当ブログでは以前、自閉症の原因と発生機制を考える私なりのモデルとして、「知覚の恒常性障害仮説」というものをご紹介しました。
これは、基本的には私が大学時代に学んだ「認知心理学」の考え方をベースに、私なりに自閉症がなぜ発生するのかを整理しようとした試みでした。
この仮説をまとめた後、私はギブソンの生態学的心理学、いわゆるアフォーダンス理論に出会いました。
ギブソン心理学はきわめて革新的な考え方を持っているのですが、その革新性の本質は、認知心理学が当然のように前提としている、「感覚」→「知覚」→「認知」という脳の情報処理のピラミッド構造を否定している点にあります。
私はギブソン心理学に触れて、この理論は非常に独創的で、従来の心理学とは相容れない部分をたくさん持っているけれども、かなり本質をついているのではないか、と直感しました。
そして、この理論を自分の考えに組み込んでいくとき、「知覚の恒常性障害仮説」を修正しなければならないことに気づきました。
なぜなら、「知覚の恒常性」という名前からも分かるとおり、この仮説は先に書いた「感覚→知覚→認知」という認知心理学的な意味での「知覚」という考え方に依存しているため、その「知覚」のとらえ方がまったく異なるギブソン心理学の立場にはなじまないものだったからです。
ただ、その修正はこれまでの考え方の否定ということではなく、これまでうまく説明できなかった部分が説明できるようになるといった「理論の拡張」とでもいえるものです。
自分の考えを整理するのに少し時間がかかりましたが、ここで改めて、ギブソンのアフォーダンス理論や脳科学的な学習モデルまで組み込んだ、新しい自閉症の発生モデル、それを前提とした療育の枠組みについて書いていきたいと思っています。
続きがあります・・・
2006年09月19日
2006年09月09日
新版・ABAおすすめ本系統図
少し前にご紹介した、ABA(応用行動分析、行動療法)に関する「おすすめ本」の系統図ですが、いくつか新しく入手可能になった優れた本が出てきましたので、改めて整理したいと思います。
今回は、特におすすめの本に「特選」マークをつけました。
それぞれの本には、(1冊を除いて)既にレビュー記事を書いています。
続きがあります・・・
| 自閉症療育寄り ⇔ ABA理論寄り | |||
| とりあえず最初に読みたい | ![]() インターネット版 「子どもと親」 パーマン・パイン、ロイ・ハワース | 特選 | |
| 次に読み進める本 | 特選 | 特選 | ![]() |
| 必要に応じて | |||
| 特定の目的のために | 自閉症児の トイレトレーニング | ![]() DVDでABAを見る | ABAのプロの 指導メニューを見る |
| マニアックに極める | 特選![]() PECS日本語マニュアル | ![]() | |
今回は、特におすすめの本に「特選」マークをつけました。
それぞれの本には、(1冊を除いて)既にレビュー記事を書いています。
続きがあります・・・
2006年07月22日
療育の「倫理」
今日はちょっと堅いお話です。
先日、ある方とのメールのやり取りの中で、「三角頭蓋の脳外科手術」への意見を求められるということがありました。
その返事を書いていて、これって療育にかかわる親御さんが誰でも考えなければならない大切なことなんじゃないか、と思ったので、記事にしてみたいと思います。
「三角頭蓋」というのは、一部の方はご存知だと思いますが、ある種の頭蓋骨の奇形のことを言います。この奇形のために脳が成長できないことが一部の自閉症の原因(あるいは症状の増悪の原因)になっているという考え方があり、脳外科手術によって脳が成長できるようにすることで自閉症を治療する、あるいは症状を軽減させるという療育?法があるのです。
私はこれまでこのブログでこの話題を取り上げたことはありませんでしたが、私のこの療育?法に対する立場は、現時点では明確に「NO」です。
私がこの方法に否定的である理由は、これまでに何度か取り上げているキレーションの問題と、ほとんど同じです。
なぜ、「三角頭蓋」や「キレーション」に対して、私が否定的な立場をとるのかといえば、それは端的には、私の倫理観に反するから、です。
続きがあります・・・
先日、ある方とのメールのやり取りの中で、「三角頭蓋の脳外科手術」への意見を求められるということがありました。
その返事を書いていて、これって療育にかかわる親御さんが誰でも考えなければならない大切なことなんじゃないか、と思ったので、記事にしてみたいと思います。
「三角頭蓋」というのは、一部の方はご存知だと思いますが、ある種の頭蓋骨の奇形のことを言います。この奇形のために脳が成長できないことが一部の自閉症の原因(あるいは症状の増悪の原因)になっているという考え方があり、脳外科手術によって脳が成長できるようにすることで自閉症を治療する、あるいは症状を軽減させるという療育?法があるのです。
私はこれまでこのブログでこの話題を取り上げたことはありませんでしたが、私のこの療育?法に対する立場は、現時点では明確に「NO」です。
私がこの方法に否定的である理由は、これまでに何度か取り上げているキレーションの問題と、ほとんど同じです。
なぜ、「三角頭蓋」や「キレーション」に対して、私が否定的な立場をとるのかといえば、それは端的には、私の倫理観に反するから、です。
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2006年07月01日
知覚の恒常性障害仮説:まとめページ
「知覚の恒常性障害仮説」とは、私が考察した、自閉症の原因と障害の本態に関する仮説です。
かなり力をいれて作った仮説で、内容的にもさまざまな知見に幅広く触れたものになっていますが、それだけに記事がかなり広く分散していますので、まとめページを作ってみました。
なお、関連記事が増えるたびにこのページは更新される予定です。
続きがあります・・・
かなり力をいれて作った仮説で、内容的にもさまざまな知見に幅広く触れたものになっていますが、それだけに記事がかなり広く分散していますので、まとめページを作ってみました。
なお、関連記事が増えるたびにこのページは更新される予定です。
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2006年06月29日
知覚恒常性障害仮説:他の発達障害との関係
※自閉症の原因を探る仮説を、改めて整理しようと思っています。
その準備として、これまでに書きためておいた「知覚恒常性障害仮説」に関する記事を(少し内容が古くなってしまいましたが)公開していくことにします。
自閉症と他の発達障害との違いとは、何でしょうか?
突き詰めていくとそれは、「世界」の認識の仕方が異常かどうかという一点に絞られるのではないかと思います。
ここで、「異常」という言葉をあえて使いました。
異常とは、普通でないことを指します。つまり、社会共同体が期待する最大公約数的な世界観を共有できない結果、社会不適応的な行動が出現するというのが自閉症の本質なのではないか、ということです。
「世界観」というと観念的なものに思えてしまいますが、そうではなくて、自分の知覚する世界、モノ、ヒト、自分などの「見え」もしくは「認識のしかた」、これらを支配する一般的な「仕組み・ルール」に対する素朴なとらえかたのことを指しています。
観念的どころか、世界がどう見えるかという、最も根源的な認知の枠組みについて考えているのです。
一方、他の発達障害の場合、ある特定の、あるいは全体的な領域についての認知能力に遅れが見られるものの、ここで言っているような意味での「世界観」については、社会が許容できるものを共有できていると考えられます。
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その準備として、これまでに書きためておいた「知覚恒常性障害仮説」に関する記事を(少し内容が古くなってしまいましたが)公開していくことにします。
自閉症と他の発達障害との違いとは、何でしょうか?
突き詰めていくとそれは、「世界」の認識の仕方が異常かどうかという一点に絞られるのではないかと思います。
ここで、「異常」という言葉をあえて使いました。
異常とは、普通でないことを指します。つまり、社会共同体が期待する最大公約数的な世界観を共有できない結果、社会不適応的な行動が出現するというのが自閉症の本質なのではないか、ということです。
「世界観」というと観念的なものに思えてしまいますが、そうではなくて、自分の知覚する世界、モノ、ヒト、自分などの「見え」もしくは「認識のしかた」、これらを支配する一般的な「仕組み・ルール」に対する素朴なとらえかたのことを指しています。
観念的どころか、世界がどう見えるかという、最も根源的な認知の枠組みについて考えているのです。
一方、他の発達障害の場合、ある特定の、あるいは全体的な領域についての認知能力に遅れが見られるものの、ここで言っているような意味での「世界観」については、社会が許容できるものを共有できていると考えられます。
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2006年06月16日
「内面」はあるのか?-コミュニケーション療育の方法論(6)
今回のシリーズ記事では、「内面はあるのか?」という問題意識から、自閉症児へのコミュニケーション療育への新しい視点を考えてきました。
ここで改めて、前回ご紹介した「世界への働きかけ」の発達マップを見てみます。

「世界にあるもの」に対する働きかけは、モノ→動物→ヒトと進むにつれて、難しく複雑になっていきます。
特にここで注目すべきは、「モノ→動物」の段階です。
「モノ」の段階から「動物」の段階に進むためには、「この世にはこちらから一方的に働きかけるだけでなく、向こうからの反応に対して双方向的に働きかけあうというものが存在するんだ」という発見、「気づき」が必要です。この「気づき」に到達することは、「モノ」だけの世界に生きている発達段階から考えると、非常に大きな飛躍だと考えられます。
そして、この「気づき」があって初めて、「相手から反応が欲しい」という欲求、つまり社会性やコミュニケーションへの意欲が生まれてくるのだと考えられます。
それに比べると、「動物」から「ヒト」の段階というのは、コミュニケーションの中身が高度化するだけで、「モノ→動物」ほどの劇的な飛躍はなく、むしろゆるやかに連続して上がっていくようなものだと考えられます。
自閉症児のコミュニケーションにおけるつまづきとはつまり、この「モノ→動物」の段階の「気づき」に至らず、コミュニケーションの意味や必要性を実感できないままに、「ヒト」の世界に放り込まれているところにあるのではないでしょうか。
続きがあります・・・
ここで改めて、前回ご紹介した「世界への働きかけ」の発達マップを見てみます。

「世界にあるもの」に対する働きかけは、モノ→動物→ヒトと進むにつれて、難しく複雑になっていきます。
特にここで注目すべきは、「モノ→動物」の段階です。
「モノ」の段階から「動物」の段階に進むためには、「この世にはこちらから一方的に働きかけるだけでなく、向こうからの反応に対して双方向的に働きかけあうというものが存在するんだ」という発見、「気づき」が必要です。この「気づき」に到達することは、「モノ」だけの世界に生きている発達段階から考えると、非常に大きな飛躍だと考えられます。
そして、この「気づき」があって初めて、「相手から反応が欲しい」という欲求、つまり社会性やコミュニケーションへの意欲が生まれてくるのだと考えられます。
それに比べると、「動物」から「ヒト」の段階というのは、コミュニケーションの中身が高度化するだけで、「モノ→動物」ほどの劇的な飛躍はなく、むしろゆるやかに連続して上がっていくようなものだと考えられます。
自閉症児のコミュニケーションにおけるつまづきとはつまり、この「モノ→動物」の段階の「気づき」に至らず、コミュニケーションの意味や必要性を実感できないままに、「ヒト」の世界に放り込まれているところにあるのではないでしょうか。
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2006年06月15日
「内面」はあるのか?-コミュニケーション療育の方法論(5)
今回の議論をまとめたうえで、療育にどう活かすかを改めて考えてみたいと思います。
人とのコミュニケーションの「はじまり」において、言葉は必要ありません。
人とのコミュニケーションの「はじまり」において、「内面」を考える必要はありません。
なぜなら、これらが必要になるのはコミュニケーション全体の一部分でしかなく、それも内容が複雑化・抽象化した場面でのみ必要な、コミュニケーションの「上級編」だからです。
それでは、コミュニケーションとは何から始まるのかといえば、「直接的な相互作用」から始まる、と言えます。
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人とのコミュニケーションの「はじまり」において、言葉は必要ありません。
人とのコミュニケーションの「はじまり」において、「内面」を考える必要はありません。
なぜなら、これらが必要になるのはコミュニケーション全体の一部分でしかなく、それも内容が複雑化・抽象化した場面でのみ必要な、コミュニケーションの「上級編」だからです。
それでは、コミュニケーションとは何から始まるのかといえば、「直接的な相互作用」から始まる、と言えます。
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2006年06月12日
「内面」はあるのか?-コミュニケーション療育の方法論(4)
自閉症児へのコミュニケーション療育の最初のステップは、どうやら「直接的な相互作用」の経験を重ねることによって、モノとはちがう「相互作用」の必要性への「気づき」に導くことにあるようです。
この辺りになると、これまでご紹介している「鏡の療育」は、あまり大きな力にはなってくれません。「鏡」は因果関係や自己への気づきといった、相互作用の大前提になる「気づき」の発達には効果がありそうですが、相互作用そのものを伸ばすことはできません。
つまり、「鏡の療育」は、そもそもの「世界への気づき」から「自分への気づき」「モノへの有意味な関わりかた」といった領域を担当する療育です。
そして、鏡の療育で培った「モノの世界への関わりかた」を足場にして、次のステップである「コミュニケーション療育」に進んでいく、という関係にあるのです。
(もちろん、これら2つの療育スケジュールが重なることには特に問題はないと思います。これら2つも、実際には相互に関連して発達していくものでしょうから。)
それでは、どんな療育方法が考えられるでしょうか?
ポイントは、『相互作用』という最も重要な要素はしっかりと残しながら、ヒトとヒトとのコミュニケーションにありがちな複雑さを徹底的に排除する、というところにあります。
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この辺りになると、これまでご紹介している「鏡の療育」は、あまり大きな力にはなってくれません。「鏡」は因果関係や自己への気づきといった、相互作用の大前提になる「気づき」の発達には効果がありそうですが、相互作用そのものを伸ばすことはできません。
つまり、「鏡の療育」は、そもそもの「世界への気づき」から「自分への気づき」「モノへの有意味な関わりかた」といった領域を担当する療育です。
そして、鏡の療育で培った「モノの世界への関わりかた」を足場にして、次のステップである「コミュニケーション療育」に進んでいく、という関係にあるのです。
(もちろん、これら2つの療育スケジュールが重なることには特に問題はないと思います。これら2つも、実際には相互に関連して発達していくものでしょうから。)
それでは、どんな療育方法が考えられるでしょうか?
ポイントは、『相互作用』という最も重要な要素はしっかりと残しながら、ヒトとヒトとのコミュニケーションにありがちな複雑さを徹底的に排除する、というところにあります。
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2006年06月11日
「内面」はあるのか?-コミュニケーション療育の方法論(3)
→6/9に誤って順序を入れ替えて掲載した記事を移動させ再掲載しました。
人とのコミュニケーションは、「目に見えない『内面』の探りあい」といった間接的なものではなくて、もっと直接的な、「目の前に実在する『人』との相互作用そのもの」だ、という気づきは、自閉症児へのコミュニケーション療育にも多くのヒントを与えてくれます。
コミュニケーションがまったくできない自閉症児に最初に教えるべきことは、ことばの模倣のような「行動の形成」ではなく、他人に対するある種の「気づき」だと思います。
自閉症児の障害を端的にいえば「ヒトに対してモノとは異なった適切な行動を取れないこと」だともいえます。
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人とのコミュニケーションは、「目に見えない『内面』の探りあい」といった間接的なものではなくて、もっと直接的な、「目の前に実在する『人』との相互作用そのもの」だ、という気づきは、自閉症児へのコミュニケーション療育にも多くのヒントを与えてくれます。
コミュニケーションがまったくできない自閉症児に最初に教えるべきことは、ことばの模倣のような「行動の形成」ではなく、他人に対するある種の「気づき」だと思います。
自閉症児の障害を端的にいえば「ヒトに対してモノとは異なった適切な行動を取れないこと」だともいえます。
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「内面」はあるのか?-コミュニケーション療育の方法論(2)
→誤って、第2回と第3回の記事を逆順で掲載してしまいました。お詫びして訂正します。
前回、私たちが当たり前のように前提にしている「内面」って、本当に私たちが考えているような形で実在しているんだろうか? という疑問を書きました。
ところで、今回のテーマにかなり近い内容を、私とは違った切り口で考察している新書を発見したので、寄り道してちょっとご紹介します。
「心」はあるのか―シリーズ・人間学(1)
著:橋爪 大三郎
ちくま新書
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前回、私たちが当たり前のように前提にしている「内面」って、本当に私たちが考えているような形で実在しているんだろうか? という疑問を書きました。
ところで、今回のテーマにかなり近い内容を、私とは違った切り口で考察している新書を発見したので、寄り道してちょっとご紹介します。
「心」はあるのか―シリーズ・人間学(1)
著:橋爪 大三郎
ちくま新書
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2006年06月06日
「内面」はあるのか?-コミュニケーション療育の方法論(1)
私が最近持っているやや哲学的な問題意識から始めて、自閉症児へのコミュニケーション療育について、少し新しい提案をしてみたいと思います。
私たちは、それぞれが「心」、ないしは「内面」を持っている、と信じています。
そして、他人を理解するというのは他人の「内面」をわかることだ、と信じています。
そして、自閉症というのは脳の障害によって起こる「内面の障害」だ、と信じています。
そして、私たちの自閉症児への療育は「内面への働きかけ」だ、と信じています。
でも、もしかするとこれって全部間違い(幻想)かもしれない、というのが、最近私が考えていることなのです。
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私たちは、それぞれが「心」、ないしは「内面」を持っている、と信じています。
そして、他人を理解するというのは他人の「内面」をわかることだ、と信じています。
そして、自閉症というのは脳の障害によって起こる「内面の障害」だ、と信じています。
そして、私たちの自閉症児への療育は「内面への働きかけ」だ、と信じています。
でも、もしかするとこれって全部間違い(幻想)かもしれない、というのが、最近私が考えていることなのです。
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2006年06月03日
はだしの天使(ブックレビュー)
「光とともに・・・」ほど有名ではありませんが、現在でも連載の続いている自閉症児の子育てまんが。
はだしの天使―自閉症児をみつめ考える実体験コミック
著:さがわ れん
ぶんか社
既に成人している自閉症者の母親にインタビューした内容に基づいて、プロの漫画家が描いたまんがということで、基本的な方向性は「光とともに・・・」にけっこう近いと思います。
「光とともに・・・」と決定的に違うのは、あちらのまんがは既にモデルの子どもの年齢を追い越しているらしく、現在のストーリーがフィクションになっているのに対し、こちらは既に成人している自閉症者の子どもの頃のお話ということで、ずーっとノンフィクションであるということと、時代設定が少し古い(15~20年くらい前?)ということでしょう。
実は、読んでいる途中まではレビューを書くことにかなり消極的でした。
でも、3巻まで読んで少し考えが変わったので、書くことにしました。
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はだしの天使―自閉症児をみつめ考える実体験コミック
著:さがわ れん
ぶんか社
既に成人している自閉症者の母親にインタビューした内容に基づいて、プロの漫画家が描いたまんがということで、基本的な方向性は「光とともに・・・」にけっこう近いと思います。
「光とともに・・・」と決定的に違うのは、あちらのまんがは既にモデルの子どもの年齢を追い越しているらしく、現在のストーリーがフィクションになっているのに対し、こちらは既に成人している自閉症者の子どもの頃のお話ということで、ずーっとノンフィクションであるということと、時代設定が少し古い(15~20年くらい前?)ということでしょう。
実は、読んでいる途中まではレビューを書くことにかなり消極的でした。
でも、3巻まで読んで少し考えが変わったので、書くことにしました。
続きがあります・・・
2006年06月02日
「鏡の療育」を改めて考える(6)
鏡の療育について、まとめていきながら、いくつか補足的に書き足していきます。
鏡の療育とは、ひとことで言えば子どもの全身が映る大きな鏡を、生活空間に固定設置して子どもに見せる、ただそれだけのシンプルな療育法です。

それでも、この鏡の療育は、発達段階が比較的低い自閉症児に対する基礎的な認知スキルの向上に大きな効果があると考えられます。
特に、おもちゃを操作するような一般的な課題がまったくできないような、「何から手をつけていいかわからない」子どもに対する取り組みの1つとして、積極的な効果が期待できます。
「おもちゃ」としての鏡は、他のおもちゃにない、以下のような特長を持っています。
・適切な意図をもって接しなくても反応がある。
・微細運動を行なわなくても反応がある。
・鏡はそれ自体ただの1枚の板であり、部品だけで無意味な遊びをするといったことがない。
・こちらの動きに対し、一瞬の遅れもなく即座に反応が返ってくる
・同じ動きに対しては同じ反応が返ってくるため、因果関係が明確である
これらの特長により、普通のおもちゃを与えても感覚遊びや常同遊びにふけってしまう子どもでも、「体を動かして鏡像の動き(反応)を楽しむ」という、適切な操作遊びに容易に導くことができます。
鏡の療育の導入時の最初の目標は、このような「初めての操作遊びの体験」をさせることにあります。
続きがあります・・・
鏡の療育とは、ひとことで言えば子どもの全身が映る大きな鏡を、生活空間に固定設置して子どもに見せる、ただそれだけのシンプルな療育法です。

それでも、この鏡の療育は、発達段階が比較的低い自閉症児に対する基礎的な認知スキルの向上に大きな効果があると考えられます。
特に、おもちゃを操作するような一般的な課題がまったくできないような、「何から手をつけていいかわからない」子どもに対する取り組みの1つとして、積極的な効果が期待できます。
「おもちゃ」としての鏡は、他のおもちゃにない、以下のような特長を持っています。
・適切な意図をもって接しなくても反応がある。
・微細運動を行なわなくても反応がある。
・鏡はそれ自体ただの1枚の板であり、部品だけで無意味な遊びをするといったことがない。
・こちらの動きに対し、一瞬の遅れもなく即座に反応が返ってくる
・同じ動きに対しては同じ反応が返ってくるため、因果関係が明確である
これらの特長により、普通のおもちゃを与えても感覚遊びや常同遊びにふけってしまう子どもでも、「体を動かして鏡像の動き(反応)を楽しむ」という、適切な操作遊びに容易に導くことができます。
鏡の療育の導入時の最初の目標は、このような「初めての操作遊びの体験」をさせることにあります。
続きがあります・・・
2006年05月30日
「鏡の療育」を改めて考える(5)
鏡の療育における導入時の最初の目標は、子どもが鏡の前で体を動かして、そこに映る自分の鏡像の動きに興味を示すという「操作遊びの体験」の段階に入ることにあります。
この段階に入った子どもは、必然的に、次のような複数の、非常に重要な気づきに導かれていくはずです。
1.自分が何かすると、反応して鏡像が動くという現象がある。
これは、相互作用ないし因果関係への気づきを導きます。
そして、漠然とした形かもしれませんが、そういう主体的な行動をする存在としての「自分」への気づきも芽ばえてくるでしょう。
つまり、これこそが世界と自分との二項関係への気づきへのきっかけとなるのです。
2.「世界」という空間が存在する。
「鏡」は常に固定されており、それに対して自分が相対的に動くことによって、鏡像の「見え」が異なってきます。関心を持つあまり鏡に近づきすぎると、動いたときに鏡に手が当たって痛いでしょう。
つまりこれは、動いているのが自分で、それに対して固定された「鏡」があり、その関係は自分の動きによって変わる、ということ、つまり、自分は空間の中を動いている存在なのだという気づきへとつながっていきます。
(これまでに何度も書いてきたとおり、「空間」というものは生まれながらに知っているものではなく、発達の過程で「気づく」ものだと考えるべきです。)
続きがあります・・・
この段階に入った子どもは、必然的に、次のような複数の、非常に重要な気づきに導かれていくはずです。
1.自分が何かすると、反応して鏡像が動くという現象がある。
これは、相互作用ないし因果関係への気づきを導きます。
そして、漠然とした形かもしれませんが、そういう主体的な行動をする存在としての「自分」への気づきも芽ばえてくるでしょう。
つまり、これこそが世界と自分との二項関係への気づきへのきっかけとなるのです。
2.「世界」という空間が存在する。
「鏡」は常に固定されており、それに対して自分が相対的に動くことによって、鏡像の「見え」が異なってきます。関心を持つあまり鏡に近づきすぎると、動いたときに鏡に手が当たって痛いでしょう。
つまりこれは、動いているのが自分で、それに対して固定された「鏡」があり、その関係は自分の動きによって変わる、ということ、つまり、自分は空間の中を動いている存在なのだという気づきへとつながっていきます。
(これまでに何度も書いてきたとおり、「空間」というものは生まれながらに知っているものではなく、発達の過程で「気づく」ものだと考えるべきです。)
続きがあります・・・
2006年05月29日
「鏡の療育」を改めて考える(4)
さて、「鏡の療育」です。
ここで、「鏡の療育」がどのようなものか、改めて整理しておきましょう。
実施方法はとても簡単で、子どもの立ったときの全身が入るような大きな鏡(ガラスの鏡は割れる危険がありますので、安全で安価なアクリルミラーをおすすめします)を、子どもがよくいる広い生活空間に設置するというものです。
そして、子どもが鏡に興味を示すように適切な働きかけを行ないます。恐らく、それほど働きかけを行なわなくても、設置場所さえよければ自分から興味を示すようになる可能性が高いと思います。
後は、放っておいても鏡自体が療育効果を発揮し、子どもを「世界と自分との相互作用」への気づきへと、自然に導いてくれることが期待できます。
・・・さて、少し結論まで書き急いでしまったような気もしますので、解説したいと思います。
鏡の特徴は、何といっても「自分が映っている」ということに尽きるでしょう。
ただ、「鏡の療育」が効果を発揮する構図は、自分が映っているから自分に気づく、という単純なものではありません。
続きがあります・・・
ここで、「鏡の療育」がどのようなものか、改めて整理しておきましょう。
実施方法はとても簡単で、子どもの立ったときの全身が入るような大きな鏡(ガラスの鏡は割れる危険がありますので、安全で安価なアクリルミラーをおすすめします)を、子どもがよくいる広い生活空間に設置するというものです。
そして、子どもが鏡に興味を示すように適切な働きかけを行ないます。恐らく、それほど働きかけを行なわなくても、設置場所さえよければ自分から興味を示すようになる可能性が高いと思います。
後は、放っておいても鏡自体が療育効果を発揮し、子どもを「世界と自分との相互作用」への気づきへと、自然に導いてくれることが期待できます。
・・・さて、少し結論まで書き急いでしまったような気もしますので、解説したいと思います。
鏡の特徴は、何といっても「自分が映っている」ということに尽きるでしょう。
ただ、「鏡の療育」が効果を発揮する構図は、自分が映っているから自分に気づく、という単純なものではありません。
続きがあります・・・
2006年05月26日
「鏡の療育」を改めて考える(3)
一般的な「発達課題」に取り組むためには、その段階よりさらに原初的な発達スキルとして「世界と自分との相互作用への気づき」が必要であり、しかもこの原初的な部分に踏み込んだ療育プログラムはなかなか存在しない、ということを前回書きました。
この話の流れに関連して、ちょっと寄り道になりますが、感覚統合訓練について書いてみたいと思います。
原初的な発達課題に真正面から取り組んでいる数少ない療育法の1つが、「感覚統合訓練」であることは間違いありません。
感覚統合訓練は、体のさまざまな部分に感覚や動きや平衡感覚といった刺激を与えることによって、それらの感覚刺激をつかさどる脳細胞間のつながりを強化・統合・適正化し、脳機能を活性化させていこうという療育法です。
私は、発達段階の初期における感覚統合訓練の導入は確かにメリットが大きいと考えています。
ただそれは、主として実践プログラムの完成度に対する評価であり、感覚統合訓練が前提としている理論的な立場は、既に古くなっており過去のものだろうと思います。
私は、感覚統合訓練は、理論はイマイチだが実践はピカイチである、そんな風に考えています。
続きがあります・・・
この話の流れに関連して、ちょっと寄り道になりますが、感覚統合訓練について書いてみたいと思います。
原初的な発達課題に真正面から取り組んでいる数少ない療育法の1つが、「感覚統合訓練」であることは間違いありません。
感覚統合訓練は、体のさまざまな部分に感覚や動きや平衡感覚といった刺激を与えることによって、それらの感覚刺激をつかさどる脳細胞間のつながりを強化・統合・適正化し、脳機能を活性化させていこうという療育法です。
私は、発達段階の初期における感覚統合訓練の導入は確かにメリットが大きいと考えています。
ただそれは、主として実践プログラムの完成度に対する評価であり、感覚統合訓練が前提としている理論的な立場は、既に古くなっており過去のものだろうと思います。
私は、感覚統合訓練は、理論はイマイチだが実践はピカイチである、そんな風に考えています。
続きがあります・・・
2006年05月23日
「鏡の療育」を改めて考える(2)
発達の最初期の子どもに対する、最初の一歩とでもいうべき最重要課題は、「世界」と「自分」との「相互作用」への気づきである、という話を前回書きました。
ここでいくつかの単語にカッコをつけたのは、意味があってのことです。
これら3つの要素(世界、自分、相互作用)は、それぞれが相互に関連しあって「気づき」に至ると考えられるからです。
「世界」とは何であるか考えてみます。
突きつめて考えていくと、下記のように、「世界」というのは、「自分」ということばを使わずに説明するのは非常に難しい概念だということが分かります。
・「世界」とは、自分の周辺に広がるものである。
・「世界」とは、自分でないものすべてである。
・「世界」とは、自分が働きかけることによって操作できるものである。
・「世界」とは、自分がその中に含まれる環境である。
「世界」が自分とは無関係な絶対的・客観的存在として最初から「そこにある」と考えないで下さい。
そういう考え方は、世界に対する経験を豊富に積み、ある種の「認知の枠組み」を身につけた私たちだからこそできるのです。
もちろん世界は現実に「そこにある」のですが、目の前にいる子どもにとって「そこにある」ようになるためには、何より「そこにある、と気づく」ことが必要なのです。
続きがあります・・・
ここでいくつかの単語にカッコをつけたのは、意味があってのことです。
これら3つの要素(世界、自分、相互作用)は、それぞれが相互に関連しあって「気づき」に至ると考えられるからです。
「世界」とは何であるか考えてみます。
突きつめて考えていくと、下記のように、「世界」というのは、「自分」ということばを使わずに説明するのは非常に難しい概念だということが分かります。
・「世界」とは、自分の周辺に広がるものである。
・「世界」とは、自分でないものすべてである。
・「世界」とは、自分が働きかけることによって操作できるものである。
・「世界」とは、自分がその中に含まれる環境である。
「世界」が自分とは無関係な絶対的・客観的存在として最初から「そこにある」と考えないで下さい。
そういう考え方は、世界に対する経験を豊富に積み、ある種の「認知の枠組み」を身につけた私たちだからこそできるのです。
もちろん世界は現実に「そこにある」のですが、目の前にいる子どもにとって「そこにある」ようになるためには、何より「そこにある、と気づく」ことが必要なのです。
続きがあります・・・
2006年05月22日
「鏡の療育」を改めて考える(1)
このブログで、以前、自閉症児への最初の家庭での療育のアイデアの1つとして、部屋に大きな鏡を設置する、という療育法を紹介しました。

↑「鏡の療育」イメージ画像(笑)
この療育法は、まだ娘の状態も今よりもずっと悪く、また自分自身、療育のやり方を手探りで模索している頃に私が独自に考え出したものでしたが、その後のいろいろな経験や勉強の中で、この方法が当初考えていた以上に、理にかなっていて有効な療育法である可能性が高いという認識を持つに至りました。
そこで、この「鏡の療育」について、これが自閉症児のどういうスキルに働きかける療育法なのか、なぜそれが療育法として有効だと考えられるのか、そういった療育理論的な側面から改めて考えてみたいと思います。
続きがあります・・・

↑「鏡の療育」イメージ画像(笑)
この療育法は、まだ娘の状態も今よりもずっと悪く、また自分自身、療育のやり方を手探りで模索している頃に私が独自に考え出したものでしたが、その後のいろいろな経験や勉強の中で、この方法が当初考えていた以上に、理にかなっていて有効な療育法である可能性が高いという認識を持つに至りました。
そこで、この「鏡の療育」について、これが自閉症児のどういうスキルに働きかける療育法なのか、なぜそれが療育法として有効だと考えられるのか、そういった療育理論的な側面から改めて考えてみたいと思います。
続きがあります・・・
2006年05月07日
ABA本系統チャート
以前から作りたいと思っていた、ABAに関連するおすすめ図書の系統図です。
1冊を除いて、すべて内容紹介のレビューがあります。
続きがあります・・・
| 自閉症療育寄り ⇔ ABA理論寄り | |||
| とりあえず最初に読みたい | |||
| 次に読み進める本 | |||
| 必要に応じて | |||
| マニアックに極める | ![]() | ||
1冊を除いて、すべて内容紹介のレビューがあります。
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2006年05月01日
空間と時間と・・・
「知覚の恒常性障害仮説」から導かれる1つの推測は、私たちに見えているような「世界の広がり」は、自閉症児には見えていないかもしれない、ということです。
「世界の安定した広がり」を感じるためには、頭や体を動かして視界が変化しても、その中に見えているものが「動いていない」と知覚できることが必要でしょう。それが、「知覚の恒常性」です。
ですから、知覚の恒常性に先天的な異常があったとすると、生まれたときからずっと、そもそもの世界の「見え」が安定した世界の広がりを感じさせないものであり続ける、ということになります。それがその人にとっての「当たり前の世界」になるわけです。
そのような知覚の中で「見える」世界は、私たちが見ている世界とまったく違うものになるでしょう。
もちろん、どのような環境にあっても、脳はその環境に最大限に適応します。ですから、その「見え」は、まったく生活できないといったようなものではなく、それなりに適応的なものになると思います。
ただし、その「世界」は、私たちのように、目に見えないはるか先まで広がっている永続的に安定したものではなく、身の回りのごく限られた範囲を、目まぐるしい変化に翻弄されながら、辛うじて把握していくようなものではないかと推測されます。
このような知覚世界を想像するだけで、自閉症児の特徴的な行動の多くが説明できるでしょう。それが、私がこの「知覚の恒常性」に自閉症の謎を解く大きなカギがあるのではないかと期待している理由です。
さて、自閉症児の「空間世界」を考えたとき、次に進みたくなるのは、自閉症児の「時間世界」についてです。
少し考えると思い当たるとおり、「時間の知覚」は「空間の知覚」と密接に関わっている可能性があります。
続きがあります・・・
「世界の安定した広がり」を感じるためには、頭や体を動かして視界が変化しても、その中に見えているものが「動いていない」と知覚できることが必要でしょう。それが、「知覚の恒常性」です。
ですから、知覚の恒常性に先天的な異常があったとすると、生まれたときからずっと、そもそもの世界の「見え」が安定した世界の広がりを感じさせないものであり続ける、ということになります。それがその人にとっての「当たり前の世界」になるわけです。
そのような知覚の中で「見える」世界は、私たちが見ている世界とまったく違うものになるでしょう。
もちろん、どのような環境にあっても、脳はその環境に最大限に適応します。ですから、その「見え」は、まったく生活できないといったようなものではなく、それなりに適応的なものになると思います。
ただし、その「世界」は、私たちのように、目に見えないはるか先まで広がっている永続的に安定したものではなく、身の回りのごく限られた範囲を、目まぐるしい変化に翻弄されながら、辛うじて把握していくようなものではないかと推測されます。
このような知覚世界を想像するだけで、自閉症児の特徴的な行動の多くが説明できるでしょう。それが、私がこの「知覚の恒常性」に自閉症の謎を解く大きなカギがあるのではないかと期待している理由です。
さて、自閉症児の「空間世界」を考えたとき、次に進みたくなるのは、自閉症児の「時間世界」についてです。
少し考えると思い当たるとおり、「時間の知覚」は「空間の知覚」と密接に関わっている可能性があります。
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| 子どもが自閉症かもしれない!どうしよう!という親御さんへのアドバイスはこちら 孫が自閉症らしい、どうしたら?という祖父母の方へのアドバイスはこちら |
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