では、前回のケースで、「子どもが持っているおもちゃを黙って奪って遊ぶ」という「間違った行動」の代わりに、本来とるべき行動とは何でしょうか?
それが、端的にいえば「ことばを話すこと」になります。これは音声言語に限ったことではなく、ジェスチャーや指差しなども含めた何らかの「表現」によって、相手に自分のメッセージを伝え、お互いが「合意」した上で行動をする、これがヒトを相手にした場合の「正しい」かかわり行動です。
だとすれば、ヒトに対してモノとは異なった行動をとらなければならない、という気づきに至っていない自閉症児にとっては「ことばを話そう」という動機がそもそも生じてこないことになりますし、仮にことばを学習したとしても、それはヒトと関わるためというよりは、自分のためのものとしてでしょう。当然、ことばの「使い方」にも異常が生じます。これが、自閉症のもう1つの症状である「ことばの異常」だと言えるのではないか、と思います。
そして最後に、「こだわり行動、興味の限定、特定のモノへの執着」ですが、これは逆に私たちの「見方」を振り返ってみる必要があると思います。
私たちはおそらく、自閉症の人から見ると「ヒトとの関わりにこだわりすぎている」ように見えるのではないでしょうか?
私たちは毎日のべつくまなしに、機会さえあれば人としゃべり、自分の思っていることを多くの人に伝えることによって、ある種の「心の平静」を保っています。孤独感を感じたり、「誰かと話したい、一緒にいたい」と強く思っているときにそれを妨害されたら、パニックとは行かなくても非常に辛い気持ちになりますよね。
そのくらい、私たちは「人との関わり」にこだわったり、特定の人と関わりを持つことへの執着を持って生きているわけです。それが私たちにとっての「普通」なわけです。
そういう見方でもって、自閉症児の「ヒトとの関わりへの気づきが遅れ、ヒトへの関心や執着が弱く、むしろモノとの安定した関わりに興味が向いている状態」を観察したときに、相対的な意味で「特定のモノへの執着、興味の限定、こだわり行動」が見える(ように感じられる)、という面が強いのではないか、と思うのです。
つまり、「自閉症スペクトラムの三つ組」と呼ばれるこれらの症状はすべて、モノとの関わり方とヒトとの関わり方とを適切に使い分けるというスキルの発達が遅れる、という、ただ一点からすべて説明できると思われるのです。
それでは、「モノとの関わり」と「ヒトとの関わり」の2つは、発達的にはどういった関係にあると考えられるでしょうか?
これは実は、結構難問です。
赤ちゃんの発達を見ると、生まれて間もない、それこそ目もまともに見えていないような頃から、母親との関わりに強い関心を持っていることが分かっています。母親への関心の芽ばえと比べると、おもちゃや母親以外の視覚刺激への関心の芽ばえはむしろ遅いくらいです。健常な赤ちゃんの知覚システムは、生後間もない頃から、目の前で動く母親を「重要な存在」として知覚し、それに対して相互作用的に働きかける能力を持っていると考えられます。
しかし、自閉症児の場合は少し違うようです。
※赤ちゃんの「ヒトとの関わり」に関する参考図書

0歳児がことばを獲得するとき―行動学からのアプローチ
著:正高 信男
中公新書
視覚世界の謎に迫る―脳と視覚の実験心理学
著:山口 真美
講談社ブルーバックス (紹介記事)
(次回に続きます。)





知覚上のフォーカスやブースターの機能の誤作動で、自分とそれ以外のものである世界が、未分化で変化する混沌とした状態を個人差はあれ感じているのではないかと、そして、様々な努力で自他を区別したり、テリトリーを確立したりするのだろうか。などと考えてました。
そらパパさんの分析で疑問が晴れていく気がしています。わくわくしてます。
いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
自閉症の原因究明、というのは素人が中途半端にやると本当に無益でつまらないものになってまいがちなので、そうならないように自分なりに最大限の努力を払いながら書いているつもりです。(^^)
自閉症児が私たちと異なった形でしか環境を知覚できていないようだ、ということの脳の情報処理的な意味付けは、先日の「認知過程のシミュレーション入門」のブックレビューで引用した部分で相当説明できているように感じています。
この引用部分が語っている内容を、この私の仮説にどう取り込もうかと考えているところです。
これからもよろしくお願いします。