2008年02月25日

「適応」という視点(4)

前回書いたような、自閉症児の現時点での「ありよう」を「適応状態」と見るということは、すぐさま1つの疑問につながってくるでしょう。

それは、「自閉症児の現状が『適応状態』だというなら、わざわざ大人が働きかけてそれを変えるべきではないということなのか?」という問いです。

これについては、実はそのとおりだという側面もあります。

先の例に戻れば、ほとんど目が見えない人が視覚以外を活用して周囲の環境を知覚できるように「適応」している場合に、その人に、そのやり方をやめて「視覚」を活用するように強要することは、意味がないばかりか、その人の「からだ」の制約条件を無視した誤った働きかけである可能性が高いでしょう。

同じように、例えばパニックを起こしたときに指しゃぶりをすることで自らを落ち着かせている自閉症児(これは少し前の私の娘についての実話ですが)について、単純に「みっともない」という理由で指しゃぶりを禁止することは、その子どもが「発達史」の中でようやく見つけた「適応方法」を奪って、再び混沌の中に投げ込むことを意味するかもしれません。

つまり、いま現れている個別の行動、あるいは行動パターンについて、私たちの目からみた価値基準で安易に評価しないことが大切なのです。私たちからみて、どんなにそれらの行動が不適切であるように見えても、それでもその子どもにとっては、その時点での一応の「適応状態」でもあり、そこに至る、無視すべきでない長い「発達史」があるのです。

・・・なんだか、こんな風に続けていくと、これは新手の「受容理論」なのではないか、という誤解を招いてしまいそうなので、そうではないもう一方の側面(そしてこちらのほうがずっと重要です)について、ちょっと急いで?書いていくことにしましょう。

例えば、脳こうそくなどで手足にマヒが残った人のリハビリを例にとって考えてみます。
マヒが残った場合、たいていの人は、そのマヒがある状態を前提とした体の動きが出来上がってしまいます。つまり、マヒのある体の部分を使わなくても生活できるような、そういう体の動きを限定した行動パターンを学習してしまうわけです。
これは、これまでに説明した「適応」の過程そのものだと言えるでしょう。マヒによって「設定」された、新しい「からだ」の制約条件に基づいて、体の動きが「最適化」されていったと考えることができるからです。

でも、整形外科では、それが必要だと判断した場合は、このようにマヒが残りそうになっている人の体を、なかば無理やり動かして、リハビリをさせます。
このように、患者の「適応状態」をあえて一旦崩すような外部からの働きかけを行なうことによって、放っておけば動かなくなってしまう体の動きを再生させようとするのです。その結果として、患者は「より自由に動く体」を取り戻すことができると考えられているわけです。

注:上記のような「無理に動かす」リハビリを正面から否定する流派もあるようです(例えば認知運動療法)。ただ、適切な外部からの働きかけ=リハビリによって、そういったことをしなかった場合よりも運動機能が向上する、という一般論は少なくとも成り立つと思います。

このような、「適応状態を崩すような外部からの働きかけ」を、いったい私たちはどう評価すればいいのでしょうか?

次回はこの辺りを考えていきたいと思います。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 21:51
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