2008年06月23日

「適応」という視点(12)

このシリーズ記事の最後の話題として、療育的働きかけを考えるにあたって私たちが見逃しがちなもう1点について考えたいと思います。適応度マップのイメージ図に戻りましょう。

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ここまで、この図を使って「山を登る」などと簡単に説明してきましたが、実は、ここにも隠された前提(つまり、私たちがつい当たり前だと考えてしまって、実のところ検証せずに使ってしまっている「仮説」)があります。

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2008年06月16日

「適応」という視点(11)

クレーン行動に固執している自閉症児に療育的働きかけを行なうことによって「絵カード交換」というより「適応度」の高いコミュニケーションを成立させ、さらにそれによってコミュニケーション能力その他の認知スキルを向上させて子どものもつ潜在的な「適応度マップ」自体を変化させ、やがては「ことばのやりとり」というさらなる「高み」を目指す・・・。

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前回は、「適応的視点」に立った、このような新しい療育の視点・戦略について書きました。
この部分の議論は、療育的働きかけとはいったい何なのか? という本質的な問いに対する、1つの答えになっていると私は思います。

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2008年06月02日

「適応」という視点(10)

前回の記事では、「クレーン行動から(ことばのやりとりではなく)絵カード交換へ」という療育的働きかけに対する、「適応的視点」からの積極的な意味付けとして、「クレーン行動に固執しているような発達段階の自閉症児にとっては、多くの場合、絵カード交換こそが『全体最適』であり、『ことばのやりとり』は全体最適にはなっていない」という考え方を示しました。

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私たちはここで、前半で書いた「適応」の本質に戻る必要があります。

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2008年05月26日

「適応」という視点(9)

前回、「部分適応から全体適応への働きかけ」の具体例として、「クレーン行動から絵カード交換へ」という働きかけについて書きました。

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↑部分最適行動から全体最適行動への働きかけのイメージ。

ところで、「絵カード交換」は、一般にはコミュニケーションという分野の「全体最適」だとは考えられていません。多くの方がイメージするコミュニケーションの全体最適は、「ことばのやりとり」でしょう。

だとすれば、ここで、私たちはなぜ、「ことばのやりとり」ではなく、「絵カード交換」に向かおうとしているのでしょうか?

この問いに対しては、2つの答え方ができると思います。

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2008年05月19日

「適応」という視点(8)

前回の記事からかなり間があいてしまいましたが、自閉症療育と「適応」という考え方についてのシリーズ記事の続きを書きたいと思います。

私たちが「問題行動」とか「こだわり行動」としてネガティブにとらえがちな自閉症児の行動の多くは、実は部分最適行動としての「適応状態」であることが多いと考えられます。

これは、このシリーズ記事の最初のほうで書いていた、障害によって現れる行動を「適応」としてとらえる、という考え方の中心になる視点です。

さて、このような「部分最適」の状態にはまって固定化されてしまった自閉症児の行動パターンを変化させ、「全体最適」に移行させるためには、外部からの働きかけが必要になります。
つまり、固定化された「部分最適」の行動パターンを崩し、「全体最適」の行動パターンにたどり着けるように、外部の力(つまり私たちの働きかけ)によって、誘導することが求められるわけです。

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2008年04月21日

「適応」という視点(7)

今回のシリーズ記事では「適応」について考えていますが、療育と「適応」の関係を考えるときにポイントになると思われるのが、「部分最適」と「全体最適」という考え方です

ある適応すべき課題について、一見最適に見える(でも実は「最」適ではない)ポイントが、本来の最適なポイントとは別に存在するとき、前者を「部分最適」、後者を「全体最適」と呼びます。

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この「部分最適」と「全体最適」を、山登りに例えてみると、小高い丘の頂上にたどりついたとしても、そこが本当に「山頂」であるとは限らず、さらに先に進んで、一旦下った先を進むともう一度登りになって、その先にようやく「本当の頂上」があったりすることは少なくありません。
ここで、「小高い丘」が部分最適、「本当の頂上」が全体最適に相当します。

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2008年03月24日

「適応」という視点(6)

前回、適応の過程を、一種の「山登り」のようなものとして図示しました。

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山登りを続ければいつか山の頂上に到達できるように、これまで説明したような「適応行動」を続けると、いずれ「山の頂上」、つまり適応度が最高であると思われる状態に到達します。

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2008年03月03日

「適応」という視点(5)

障害をある種の「適応状態」として見る視点と、その障害に対して働きかけることの正当性とは、両立するのでしょうか?

答えは、イエスだと私は考えています。

「適応している」というのは、「いちばんいい=ベストの状態になっている(全体最適になっている)」ということとは少し違います

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2008年02月25日

「適応」という視点(4)

前回書いたような、自閉症児の現時点での「ありよう」を「適応状態」と見るということは、すぐさま1つの疑問につながってくるでしょう。

それは、「自閉症児の現状が『適応状態』だというなら、わざわざ大人が働きかけてそれを変えるべきではないということなのか?」という問いです。

これについては、実はそのとおりだという側面もあります。

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2008年02月18日

「適応」という視点(3)

前回は、適応過程には決まった道すじがあるわけではなくて、私たちの多くが似たような過程をもつのは、偶然に過ぎない、ということを書きました。

このような前提に立ち、私たち自身の「発達的適応」について考えてみましょう。

ヒトの個体(つまり私たちそれぞれ)の大多数は、多少の違い---それは「個性」などと呼ばれますが---はあるものの、一定の範囲内に収まった、よく似た「からだ」を持ち、一定の範囲内に収まった、よく似た「環境」の中で発達するために、結果として、「偶然」よく似た能力を発達させ、よく似たやり方で環境に適応するようになります。
この「一定の範囲内に収まっている個体の集団」を、「健常」あるいは「定型発達」という名前でくくって呼んでいると言っていいと思います。

ところが、これに対して、そのような「一定の枠内」に収まらない「からだ」の制約条件を与えられた個体は、その「からだ」の制約条件のなかで、それでも環境に適応するために、「必然的に」独自の発達の経路をたどっていきます。その結果として、現在の行動パターンが形成されているということです。

(言うまでもありませんが、ここで言っている「からだ」の制約条件には、運動能力だけでなく、認知・知覚等に関連するものも含まれます)

このような行動パターンを取る個体のことを、私たちは、「障害児者」と呼んでいる、と言っていいと思います。

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2008年02月04日

「適応」という視点(2)

前回、適応を大きく左右する要素として、「からだ」と「せかい」(の制約)がある、ということを書きました。
ここような視点から、障害についての1つの重要な視点が導かれます。

そのことについてこれから書いていきたいと思いますが、自閉症について考える前に、別の障害について触れるところから始めたいと思います。

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2008年01月28日

「適応」という視点(1)

自閉症のことを考えるとき、ここ最近ずっと頭の中で回っているキーワードがあります。

それは、「適応」ということばです。

このアイデアについて、しっかりとした構成のシリーズ記事としてまとめられるまで温めているつもりだったのですが、なかなかそこまできれいな状態にまとまっていかないので(^^;)、まずは考えの出発点だけ書いておこうと思いました。

私たちは、なぜ今あるようにあるのでしょうか?

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2007年09月11日

講演を行ないました。

娘が通っている療育施設で妻が知り合いになった方からの依頼をいただいて、本日、都内のとある療育関連施設にて、親御さんを対象に約1時間半の講演(というほどのものでもないですが・・・)を行なってきました


↑本日の講演の様子。(プライバシー確保のためあえてピンボケ写真になっています。)

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2007年07月16日

「環境への働きかけ」を再定義する(12)

いよいよ本シリーズ記事の最終回です。

・・・思ったよりもかなり長くなりました。

今回のシリーズ記事全体で一番書きたかったのは、子ども自身に課題を与えてそれをこなすことだけが「療育」なのではなく、もっといろいろな働きかけが可能だし、それらも含めて全部「療育」として子どもの将来にポジティブな影響を与えることができるはずだ、ということです。それは具体的には、周囲の人たちや社会的資源に対する働きかけであり、新しい道具を発見・開発・提供することです。

この部分は、まさに当ブログの本来の方向性である(最近あまりそうでもありませんが・・・笑)、「お父さんの療育」というところともつながってきます。

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2007年07月02日

「環境への働きかけ」を再定義する(11)

社会適応の困難さ・容易さを決めるキーポイントの1つが「道具の使いこなし」にあるとすると、ここにもう1つの重要な「働きかけ」の余地があることに気が付きます。

もう一度ここまでの議論を整理してみます。

・同じ目的を達成するために使うことのできる「道具」は1つではない。
・「道具の使いこなし」が適応能力・生活の豊かさを決める重要な要素になる。
・療育の端的な目的は、子どもの適応能力・生活の豊かさを高めることにある。


もうお分かりだと思います。

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2007年06月11日

「環境への働きかけ」を再定義する(10)

構造化をはじめとするTEACCHの手法に対しては、「特殊な環境の下で訓練しても、現実の社会では意味がない」という根強い批判的意見があります。
ただ、これまでの議論をふまえて考えると、この意見は、本来「過程」であるはずの療育を、ある「瞬間」に還元するという誤解に基づいている可能性があると考えられるのです。

既に書いたとおり、自閉症療育の目的は、「アフォーダンス知覚を発達させ、環境との相互作用の能力を高め、ニッチの広がりと豊かさを向上させていくこと」にあります。つまり最初に考えるべきは、「アフォーダンスを知覚すること」、言い換えると、「環境がもつさまざまな『意味』や『価値』に気づくこと、そしてそれを実際に利用できるようになること」にある、ということができるでしょう。
自閉症児は、その部分にまさに困難を抱えていて、現実の社会・環境そのままではそこにあるアフォーダンスが十分に知覚できない状態にあるからこそ、さまざまな具体的な障害が現れてくるのです。これは、車のギアがニュートラルに入っていて、アクセルを踏んでも(周囲からの一般的な働きかけを行なっても)車が前に進まない(その働きかけを子どもが受け止められず、相互作用が始まらない)という状態にたとえられるでしょう。

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2007年06月07日

久野先生のブログで取り上げていただきました。

行動療法の世界では知らない人のいない久野能弘先生のブログで、拙書「自閉症-『からだ』と『せかい』をつなぐ新しい理解と療育」を大変肯定的に取り上げていただきました!

http://ykuno.jugem.jp/?eid=396

http://ykuno.jugem.jp/?eid=397

思わず恐縮して赤面してしまうようなお言葉をいただき、本当に嬉しく思います。(先生のブログにコメントにて御礼申し上げようかとも思いましたが、それも手前味噌な気がして、自分のブログにて書かせていただきました)



Amazonの出荷状況も若干改善されました。(出荷まで2~3日に変わっています)
ぜひ多くの方に読んでいただけたら、と思います。
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2007年05月14日

「環境への働きかけ」を再定義する(9)

今回のシリーズ記事の議論は、実は、近年強く主張されるようになった「ノーマライゼーション」の考え方を少し変わった角度から説明したものにもなっています。

ノーマライゼーションとは、障害者の側が適切な訓練を受ける機会を与えられ、かつ社会から安易に隔離されないことによって、自らの社会適応能力を高めていくという動きと、社会の側が、障害者がその障害をもったままでも十分な社会参加、社会的資源の活用ができるように自らを変える努力を重ねていくという動きが組み合わされることによって、障害者が健常者と同じ社会のなかで同じように生活・参加ができる社会を可能なかぎり目指していく、という考え方です。

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2007年04月30日

「環境への働きかけ」を再定義する(8)

議論がかなり本質に近づいてきました。

療育において、「子ども自身のスキルトレーニングをすること」と、「環境の側に介入すること」は、両者を近づけて「接点」を作り出す(そしてアフォーダンス知覚を獲得・発達させる)という共通の目的を持っています。

本シリーズ記事の冒頭でも触れたように、「環境の側に介入すること」について、それは子どもを甘やかしているだけだといった否定的な立場があることも知っています。
でも私は、こういった働きかけに対して払う努力は、子どもの訓練に努力することと同じように大切だと思いますし、同じように子どもの将来の社会適応に有効だと思います。

これは、安直な社会依存論でも、子どもを「いたわる」といったような抽象的な議論でもありません。

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子どもが自閉症かもしれない!どうしよう!という親御さんへのアドバイスはこちら
孫が自閉症らしい、どうしたら?という祖父母の方へのアドバイスはこちら

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