さて、ことばの発達が著しく遅れていた娘に、イントラバーバルという複雑な言語行動を教えるのは、一般的にいえばかなり難しいことのはずでした。
でも実際には、我が家では、「イントラバーバルを教える」ということに限定していえば、比較的スムーズに娘に身につけてもらうことができたのです。
というのも、娘は、ことばを覚えたてのころから、なぜかイントラバーバルとして通じる魔法のことばがあったのです。
それが、
「なに?」という質問でした。
娘は、
私たちが語りかける「なに?」ということばに対して、その場の状況に応じて、欲しいもの、やって欲しいこと、気になっていることなどの「マンド的発話」を返す、ということがかなり小さいころからできていたのです。
もともと、絵本などを指さして名前を(親に)言わせる、という遊びから「ことば」の世界に入ってきた娘は、逆の遊び(私たちが絵本を指さして娘が名前を言う)のときに、「なに?」と問いかけながら指をさす、といったことを続けた結果、「なに?」という問いかけにイントラバーバルで答える、ということが偶然できるようになっていったわけです。
でも、特に自閉症の子どもにとって、「ある瞬間にできている」ことは、「その後もずっとできる」ことを必ずしも意味しません。
これは、娘を育てていて日ごろから実感していることでもありますし、また同時に、私自身がもっている自閉症に対する仮説からも導かれることだったりします。(たとえば、俗にいう「折れ線現象」のように、一度できていたことができなくなる傾向とも関連しています。そして、こういう「学習の困難」がある意味、自閉症の「本質」なのではないか、というのが、私が以前1冊めの拙著で書かせていただいた「
一般化障害仮説」というものになります。)
自閉症―「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育
新曜社
※拙著です。
そういった「自閉症がゆえの学習の定着の困難」をふまえ、我が家でことばの療育をするときに、強く意識していたことについて触れておきたいと思います。
それは、
続きがあります・・・