2014年01月13日

NOといえる(ようになる)療育 (22)

こちらのシリーズ記事では、後半部として、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回は、「Aをする・しない」というコミュニケーションと一見近いように見える「AとBのなかから選ぶ」というコミュニケーションが、実際にはかなり異なるものであるという話題をとりあげました。

その「違い」のポイントの1つとして、「選ぶ」というコミュニケーションのシステムは、リアルの世界に存在するものとして語ることができるけれども、「しない」については、どうしても一部にバーチャルな世界、記号としてのことばの意味を理解しないと乗り越えられない壁がある、という話をしました。

今回は、その続きになります。

「選ぶ」と「しない」のさまざまな違い。
そのなかで、前回のポイントとは異なるもう1つの大きな「違い」として、

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2014年01月06日

NOといえる(ようになる)療育 (21)

改めて、あけましておめでとうございます。
2014年もよろしくお願いします。

さて、今年最初のエントリを何にしようかと思っていたんですが、ちょうど「聲の形」のレビューのシリーズ記事も終わってしまったし、第2巻が出るまでには2週間ほど間がありますし、以前から続いていてまだ完結していない、こちらのシリーズ記事の続きを書いておきたいと思います。

こちらのシリーズ記事では、後半部として、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回は、「する」ということばに比べて、「しない」ということばには、「直前のことばを完全にひっくり返す」という、ことばそれ自体に非常に大きな情報量があり、かつその情報が抽象的であることから、理解し習得することがとても難しいのだろう、という話題について書きました。
この「情報量の多さ」と「抽象性」が、「する」とは根本的に異なるところであって、「しない」を学習するためには、相当程度の言語スキルの発達が前提になるわけです。

例えば、「Aをする・しない」の別と似たようなコミュニケーションスキルとして、「AとBを比べて選ばせる」というものがあります。

でも、よく考えてみるとこの2つはかなり違います

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2013年11月11日

NOといえる(ようになる)療育 (20)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回書いたとおり、「しない」ということばは、背後に「時間の概念」や「将来への見通しをもつスキル」などを前提としており、それらのスキルに乏しい、知的障害の重い自閉症児にはとても理解や活用が困難なことばである、と考えられます。

この点について、さらにもう少し深堀りしてみたいと思います。

なぜ、「しない」ということばが、いくつもの複雑な概念を理解していないと使えない、難解なことばになってしまうのか。

それは、

続きがあります・・・
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2013年11月04日

NOといえる(ようになる)療育 (19)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

今回取り上げるのは、「時間的見通しについてのスキル」についてです。

「しない」というコミュニケーションは、言い換えると、「行動の予約についての取り消し」です。
つまり、「将来についてのある種のコミットメント(何か言うこと)」なわけです。

ですから、「しない」というコミュニケーションを自ら理解し、使いこなすためには、この「時間的見とおし」についてのスキルがどうしてもある程度必要になってくるのです。

これを、少し違う視点から考えてみます。

こちらが「Aをする?」と聞かれて、子どもがAをやりたくないとき、「しない」という最も適切な反応ができずに、その代わりに「Aをしたくなくてパニックする」という反応が出てきたとします。

でも、このパニックには、もう少し細かく見ると2つの種類があると考えられるのです。

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2013年10月28日

NOといえる(ようになる)療育 (18)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

今回とりあげるのは、「しない」と言う(ことでやりたくないことをすることを回避する)というコミュニケーションを「教える」こと自体がもつ難しさの1つとして、「『しない』を教える場面設定」が、子どもにとってネガティブな場面となり、そのために子どもの感情的な反応を誘発してしまうリスクが高い、という点について考えたいと思います。

ここで、何らかの行動「A」について、「しない」と言わせる療育(スキル訓練)をやる、そういう場面を想定してみます。
例えば、疲れて早く家に帰りたいと思っているときに、「おまいり、する?」と聞かれて、「しない」と答える、そういうトレーニング場面をイメージしてみてください。

この場面で、「A(例:おまいり)」という行為に誘われたときに「しない」と(子どもが)反応する、ということは、当然ですがそのタイミングではAは「やりたくないこと」なわけです。

しかも、いま想定しているのは、「しない」を学習してもらうという段階です。
この段階では、これまた当然ですが「しない、と言えばやりたくないことを回避できる」という学習はまだできていないわけです。

そういう状況で「Aをする?」と聞いたときに、子どもの側からはどういうことになるでしょうか?
それはつまり、

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2013年10月21日

ホワイトボードでコミュニケーション(16)

今回は、以前書いていたホワイトボードでのコミュニケーション療育について、番外的なお話と、まとめを書いてみたいと思います。
一応、こちらのシリーズ記事については、今回が最終回だと思います。

このシリーズ記事を連載していたのは、概ね去年の終わりから今年の前半くらいだったわけですが、その頃と比べて、ホワイトボードの活用状況が現在がどうなっているかというと、

朝の予定:現在も活用中です。
こちらは、夜の間に書いておいて、忙しい朝はそれを上から順に消していくだけ、という形で活用しています。


食事の後の予定:現在も活用中です。
食事が終わると、娘が妻にホワイトボードを持ってきて「かいて」と言って、その場で描かせるという形になっています。


食事のメニュー:現在はやめました



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2013年10月14日

NOといえる(ようになる)療育 (17)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

さて、以前から繰り返し書いているとおり、ある行為「A」を「しない」ということを教えるとき、その「A」という行為は実際にはまったく目の前に現れません。
現れるのは「ことば」のうえだけです。
ですから、「A」ということば(これは音声言語に限らず、お子さんの得意・不得意の形態によっては、絵カードでもいいです)を聞いて、お子さんが容易に、かつ、確実に、頭の中に「A」という行為をイメージできるよう、あらかじめトレーニングが済んでいる必要があるわけです。

ここで、そもそも、この「A」ということばが(それが何であれ)、お子さんにとって学習しにくいものであることが多々あります。

なぜなら、

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2013年10月07日

NOといえる(ようになる)療育 (16)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

さて、前回、「しない」ということばを効果的に学習するためには、できるだけ多くの行動に対して、その行動を「しない」、というコミュニケーションを同時並行して学習することが必要だ、ということを書きました。

つまり、「Aをしない」と同時に、「Bをしない」「Cをしない」「Dを…」といった形で、さまざまな行動について「しない」という意思表示をさせるトレーニングを同時に行なうことで、「しない」ということばの意味を正しく学習できる可能性が高まるわけです。

そのためには、日常にかかわるさまざまな行動に対応する「ことば」(上記でいうA、B、C、…にあたるもの)をしっかり学習し、定着させておかなければならず、ここも1つのハードルになってきます。(これもまた、知的な障害の重い子どもには難易度の高い部分を含んでいるのですが、それはまた後日触れたいと思います。)

ところで、このように「Aをしない」「Bをしない」「Cをしない」…と、さまざまな行動に対して汎用的に「しない」ということばを学習していくことは、単に「しない」ということばの意味を正しく学習するということ以外に、もう1つ、もっと重要な目的をもっています

それは、

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2013年09月30日

NOといえる(ようになる)療育 (15)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。
(というより、だんだん、「しない」ということばをきっかけに、コミュニケーション療育のさまざまな側面を議論する雑談っぽくなっていますが(^^;)、おつきあいくだされば幸いです。)

さて、このシリーズ記事の第13回でも書いたとおり、「(Aという行為を)しない」という学習を効果的に成立させるためには、「しない」の対象である「A」という行為について、「しない」の学習を繰り返しても揺らがないだけの明確なイメージが形成されている必要があると考えられます。

どういうことかというと、「Aをしない」という学習を繰り返す、ということは、「A」について話題に上がっているのに「A」が登場しない、という事態が繰り返されることを意味します。これは、少し視点を変えると、「A」についての消去学習という側面をもってしまうからです。
ですから、「Aを」「しない」という学習が、シンプルに「しない」のほうにだけ学習効果を及ぼすためには、「A」のほうが強固に学習されている必要がある、ということになるわけです。

ところで、これとは別の視点で、「Aをしない」という学習が、「A」の消去という方向性ではなく「しない」ということばのほうを学習するという方向性をより効果的にもつための、非常に重要なポイントがあります

それは、

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2013年09月23日

NOといえる(ようになる)療育 (14)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察していますが、今回はちょっと脱線した番外編的な話です。

前々回の記事で、「しない」を強化することが大事だ、という話を書いたのですが、これを書いていて、少し思い当たることがあって、ちょっと考え込んでいました。

それは死人テスト」と呼ばれるものと、「しない」ということについてです。

ここで言う「死人テスト」というのは、ABAのもととなっている行動分析学という心理学で使われる、ある事象が行動分析学でいうところの行動に該当するかどうかを判定するためのテストです。

端的には「死人にはできないことが(ABAなどでいうところの)行動であり、死人でもできることは行動ではない」というのが、死人テストが言っていることになります。

なぜABAにおいて「死人テスト」が重要かというと、死人テストに合格しない(行動ではない)事象は、オペラント条件付けで学習させることができない、つまりABAでトレーニングすることができない事象ということになるからです。

そして、「しない」についてです。

何かを「しない」ということ、それ自体は、いわゆる「死人テスト」に合格しません。

「おまいりする」→死人にはできないので合格。
「おまいり『しない』」→死人にもできるので不合格。

「トイレにいく」→死人にはできないので合格。
「トイレに『いかない』」→死人にもできるので不合格。


ですから、何かを「しない」ということ、それ自体はABA的にいえば「行動ではない」、だから「ABAでは教えることができない」ことになります。

おかしいですね。
じゃあ、「しない」というトレーニングはABAではできないのでしょうか?

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posted by そらパパ at 20:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 娘の話 | 更新情報をチェックする

2013年09月09日

NOといえる(ようになる)療育 (13)

ブックレビューが続いて、少し記事に間があきましたが、またこちらのシリーズ記事の続きを書きたいと思います。
このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回までのエントリで、「しない」を教えるときには、セットで「する(したい)」を教える必要があり、子どもがある行為を「したい」ときに「する(したい)」と発話し、「したくない」ときには「しない」と発話するという行動を「分化強化」していかなければならない、ということを書いてきました。

さて、ここで、以前も掲載した4つのパターンを改めて見てみましょう。

1)「したい」ときに「する」と答える = 「する」が強化される
2)「したい」ときに「しない」と答えた場合 = 「しない」が消去/弱化される
3)「したくない」ときに「しない」と答えた場合 = 「しない」が強化される
4)「したくない」ときに「する」と答えた場合 = 「する」が消去/弱化される


実はこのパターンは、大事な要素を1つ省いています

それは、

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2013年08月12日

NOといえる(ようになる)療育 (12)

1回ブックレビューをはさんでお休みしましたが、こちらのシリーズ記事を改めて続けていきたいと思います。
このシリーズ記事の後半では、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回のエントリで、「しない」というコミュニケーションを教えるときは、それ単体を教えるのではなく、「する(したい)」というコミュニケーションとセットで教える必要があること、その2つのコミュニケーションをセットで療育することで、この療育は「分化強化学習」となること、そして、この分化強化学習を成功させるカギの1つは、「子どもが言ったとおりに反応する(子どもがすると言ったら必ずその行為をさせて、しないと言ったら必ずその行為をさせない)」ことで、強化と弱化(消去)の「エレガントな関係性」を最大限活用することにある、といったことを書きました。

この「しない(やりたくない)」と「する(したい)」の分化強化学習を成功に導くために考慮しなければならないことを、あといくつか考えてみたいと思います。

まず大切なこととして、

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2013年07月29日

NOといえる(ようになる)療育 (11)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回のエントリでは、「しない」(やりたくない)というコミュニケーションを教える際には、同時に「する」(やりたい)というコミュニケーションを教える必要があることから、これがABAでいうところの「分化強化学習」に該当する、という話題について書きました。
つまり、「○○をやる?」という刺激(問いかけ)に対して、「する(やりたい)」と「しない(やりたくない)」という2つの異なった反応を使い分けるという学習をしなければならない、ということです。

そして、分化強化学習としての「しない」のトレーニングの難しさの1つとして、子どもの「する(やりたい)」と「しない(やりたくない)」の2つの反応を分ける要因が、子どもの内面の「やりたい」「やりたくない」という動機付けにあることがあげられます。

つまり、子どもがいまその行為を「やりたい」のか「やりたくない」のかが、大人が外から見ても「見えない」わけです。
そういう状況だと、子どもが「する」と答えたらその行為をやらせる、あるいは「しない」と答えたらその行為をやらせない、という対応をしたとしても、必ずしもそれが強化になっていない可能性があるわけですね。

この問題を、どうやって解決していけばいいのでしょうか。

実は、この問題には、ある一面では非常にエレガントな解決の構造があります。

それは、

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2013年07月22日

NOといえる(ようになる)療育 (10)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前々回、前回のエントリで、「しない」ということばの「難しさ」の要素の1つとして、「しない」を教える対象の行為については、それまでに「する」という経験を繰り返していなければならないし、「しない」を教え始めて以降も、「する」ほうの経験も重ねていかなければならない(そうしないと、「しない」を覚えたら「する」を忘れてしまう、という自閉症児にありがちな失敗に陥ってしまう可能性が高くなる)、という話題について書きました。

このように、よく似た状況下で、2つの反応についてそれぞれ異なった結果(強化・弱化)を与えることで、2つの反応の両方を適切にコントロールして学習させていくことを、ABAの用語で「分化強化学習」といいます。

これは例えば、冷蔵庫に「お茶」と「おやつ」の2つの絵カードを貼っておいて、子どもが、のどが渇いたときには「お茶」の絵カードで要求してお茶を手に入れ、おなかが空いたときには「おやつ」の絵カードで要求しておやつを手に入れる、といった単純なものも含まれると思いますし、より実践的なものとしては、子どもが何か欲しいものがあったときに、パニックで泣き叫ぶという反応をした場合には何も手に入らない(弱化)、でもことばや絵カードで「○○ください」と言った場合にはそれが手に入る(強化)、といった形で結果をコントロールすることで、もともとパニックで何かを要求してしまっていた子どもの行動を適切なことば・絵カードでの要求に切り替えていく「代替行動分化強化」といったものも含まれます。

そして、今回話題にしているような「する」「しない」を使い分ける分化強化学習は、次のような形になります。

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2013年07月15日

NOといえる(ようになる)療育 (9)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回、「しない」ということばの「難しさ」の要素の1つとして、「しない」の対象になっている行為を「しない」と考えることができるようになるためには、その行為を「する」という経験を繰り返していなければならない、という一種のパラドックスについて書きました。

今回からは、そこからさらに一歩進んで、よりテクニカルかつ重要な点について考えていきたいと思います。

いままで、いろいろな行為を「する」(やりたい)というコミュニケーションだけを教えてきて、そこから新しく、「しない」(やりたくない)というコミュニケーションを教えようとするとき、重要なポイントは、

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2013年07月08日

NOといえる(ようになる)療育 (8)

このシリーズ記事、後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションがなぜ「難しい」のかについて、さまざまな角度から考察しています。

前回、「しない」ということばの対象となる行為が実際には存在しない、というのが、しないということばの「難しさ」の1つの大きな要素になっている(だろう)、ということについて触れました。

つまり、するかしないかを聞いている時点でも、その「行為」は行なわれていないですし、その質問に対して「しない」と答えた場合には、結局最後まで、その「行為」はいちども現れず消えていきます。(一方、「する」と答えるパターンの場合は、言った後でその行為が現に現れるので、「要求すると出てくる」という、マンド的な比較的難易度の低い=学習させやすいやりとりになります。)

簡単にいうと、大人が「○○をする?しない?」と子どもに聞いて、子どもが「しない!」と答えて、大人がそれにしたがって○○をせずに済ませた場合、「○○」は結局「なかったこと」「話題にのぼっただけ」になるわけです。

○○は、ことばの世界以外にはまったく登場していません。

でも、「話題にのぼっただけ」ではあるものの、コミュニケーションとしては、「○○が話題になった(提案されて、断られた)」ということを双方が理解している必要があります(そうでなければコミュニケーションが成立していないわけですから)。

そのために必要なスキルとして、前回の記事では、いわゆる「内言語スキル」をあげましたが、もう1つ当然に必要になるスキルが「する?しない?の対象になっている行為を理解していること」、つまり、「○○する?」と聞かれたときに「○○」ということばが示している行為を知っていて、理解できる、ということです。

これは少し考えてみると意外と奥が深い話です。

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2013年07月01日

NOといえる(ようになる)療育 (7)

このシリーズ記事の後半は、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションを意識的に教えるにあたっての「難しさ」について、さまざまな角度から考察しています。

前回までの過去3回の記事では、「しない」というのは(マンドやエコーイックといった比較的容易な言語行動ではなく)イントラバーバルに相当する、複雑な言語行動だという点について書いてきました。

今回からは、「しない」ということばの持っている、それ以外の難しさについても考えていきたいと思います。

言語行動としての特性以外で、まず思いつく難しさといえば、

「しない」の指し示すことば(行為)が、想像上、イメージでしか存在しない。

ということだと思います。

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2013年06月24日

NOといえる(ようになる)療育 (6)

このシリーズ記事、後半ということで、「しない」ということば(拒否の意思表示)を活用したコミュニケーションが、他のコミュニケーションと比べても相当に難易度が高い、ということをいろいろな角度から考察しています。

前々回、前回の2回の記事で、その「難しさ」の1つの要素として、「しない、というのはイントラバーバルに相当する、複雑な言語行動である」について触れました。
今回も、その続きになります。(イントラバーバルの話題は今回が最後になります)

イントラバーバルというのは「Aと言われてBと返す」という言語行動であり、「○○をください(マンド=要求のことば)」や、「Aと言われてAと返す(エコーイック=模倣)」と比較すると、はるかに複雑です。
ですから本来であれば、娘くらいのことばの遅れ、知的な遅れのある子どもにイントラバーバルを教えるのは至難の業だと考えられます。
ですから、一般論としては、この部分がハードルになってなかなか進まない、ということが十分に想定されるでしょう。
娘の場合に関して言えば、この部分はたまたま、「なに?」というマジックワードの存在によって比較的容易にクリアできましたが、これから自分のお子さんなどに「しない」に相当することばを教えていこう、という場合には、この部分もしっかり意識する必要があるんじゃないかな、と思います。

イントラバーバルを教える基本は、「クイズ」だと思います。

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2013年06月17日

NOといえる(ようになる)療育 (5)

さて、ことばの発達が著しく遅れていた娘に、イントラバーバルという複雑な言語行動を教えるのは、一般的にいえばかなり難しいことのはずでした。

でも実際には、我が家では、「イントラバーバルを教える」ということに限定していえば、比較的スムーズに娘に身につけてもらうことができたのです。
というのも、娘は、ことばを覚えたてのころから、なぜかイントラバーバルとして通じる魔法のことばがあったのです。

それが、

「なに?」

という質問でした。

娘は、私たちが語りかける「なに?」ということばに対して、その場の状況に応じて、欲しいもの、やって欲しいこと、気になっていることなどの「マンド的発話」を返す、ということがかなり小さいころからできていたのです。

もともと、絵本などを指さして名前を(親に)言わせる、という遊びから「ことば」の世界に入ってきた娘は、逆の遊び(私たちが絵本を指さして娘が名前を言う)のときに、「なに?」と問いかけながら指をさす、といったことを続けた結果、「なに?」という問いかけにイントラバーバルで答える、ということが偶然できるようになっていったわけです。

でも、特に自閉症の子どもにとって、「ある瞬間にできている」ことは、「その後もずっとできる」ことを必ずしも意味しません。
これは、娘を育てていて日ごろから実感していることでもありますし、また同時に、私自身がもっている自閉症に対する仮説からも導かれることだったりします。(たとえば、俗にいう「折れ線現象」のように、一度できていたことができなくなる傾向とも関連しています。そして、こういう「学習の困難」がある意味、自閉症の「本質」なのではないか、というのが、私が以前1冊めの拙著で書かせていただいた「一般化障害仮説」というものになります。)


自閉症―「からだ」と「せかい」をつなぐ新しい理解と療育
新曜社
※拙著です。

そういった「自閉症がゆえの学習の定着の困難」をふまえ、我が家でことばの療育をするときに、強く意識していたことについて触れておきたいと思います。

それは、

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2013年06月10日

NOといえる(ようになる)療育 (4)

さて、最近になって娘は実際に、何かに誘われて、でもそれをやりたくない(やる必要がない)ときに、「しない」と答えることでそれをやらないという意思表示ができるようになりました。

私は、娘が少しずつことば(や絵カード)による意思表示ができるようになってきた頃から、やがてはこの「いや、それはやりたくない」という意思表示のコミュニケーションを教えたい、とずっと思ってきました。
でも、じゃあどうやって、どんな手順で教えようか? と考えたとき、そのあまりの「道のりの長さ」には、気が遠くなる思いでした。

そして娘は、私がイメージしていたほぼすべての「長い道のり」を実際に少しずつ前に進んでクリアしていきながら(でも、順番に着々と、というのではなく、停滞と謎の飛躍(笑)を繰り返して)、ようやく数年をへて、この「しない」ということば(コミュニケーション)を獲得したわけです。

では、なぜそんなに、この「しない」ということばが「難しい」のでしょうか?

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子どもが自閉症かもしれない!どうしよう!という親御さんへのアドバイスはこちら
孫が自閉症らしい、どうしたら?という祖父母の方へのアドバイスはこちら

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自閉症関連のブックレビューも多数掲載しています。

花風社・浅見淳子社長との経緯についてはこちらでまとめています。