前回も書きましたが、これはあくまで「聞いた話」であって実際の姿を詳細に検証したわけでもありませんし、そもそも今回話題にしたサービスがTEACCHを標榜していたわけでは必ずしもないと思いますから、今回の議論は、「このサービスはいい・悪い」という話ではなく、また、「TEACCHがいい・悪い」という話でもなく、ただ「もしこんな状況が仮にあったとしたら、それはTEACCHではなく、違った療育である」ということを言っている(それ以上でも以下でもない)のだ、ということをご理解いただきたいと思います。
・・・長い能書きを書いてしまいましたが、それをふまえて、さらに議論を呼びそうな、よりデリケートな話題について最後に触れておきたいと思います。
今回の話題をじっくりと考えてみると、統合教育(斉一教育)と特別教育という、非常にデリケートで難しい問題にもつながってきます。
特別支援教育における「統合教育」とは、本来は、教育の「場」を前回書いたような、TEACCH的なグループ療育の「場」に近い、個別性が最大限に尊重される環境にして、そのうえで障害のある子どもとない子どもを同じ「場」で教育するという取組みであるべきでしょう。
ところが実際には、みんなが同じレベルで同じことをするという「場」(これは、一言でいえば「斉一教育」と言っていいのではないかと思います)に、そういう意味では明らかに「『場』違い」な子どもを連れてきて、何とかその「場」に合わせようとするようなものになってしまいがちです。
仮にそこに「介助の先生」をおいたところで、教室全体が「斉一教育」の論理で動いている限りは、やはりどうしてもその「場」から疎外されてしまうことは避けられないのではないかと思います。
でもこれは、やむを得ない側面もあります。そもそも斉一教育は、一律に同じことをやることを前提としているから今の効率が達成できているのであって、そこに各自の個別性を過不足なく受け止めるような仕掛けを入れてしまうと(それはそれで素晴らしいことではありますが)効率が落ちてしまって、いまの教育費でいまの水準の教育サービスを提供できなくなると考えられるからです。
いずれにせよ、このような疎外的な「統合教育」しか提供できない限りにおいて、自閉症児にはそのような「統合教育」の環境は過酷であり、自閉症児には各自の個別性に対応できる体制をもった「特別教育」を提供すべきである、というのがTEACCHの立場であろう、と理解しています。
TEACCHが統合教育よりも特別教育を志向しているのも、単に普通の教室は構造化されていないとかスケジュールがないとか、そんな表層的なことが理由ではありません。
やはりこれまでの議論同様、TEACCHの理念を突き詰めていった結果として、自閉症児に対して適切に働きかけることができるのは統合教育よりもむしろ特別教育である、ということが構造的に言えるから、そういう主張をしているのだと理解すべきでしょう。
身近な話題から始めて、最終的にはかなり観念的な話題になってしまいましたが、今回の件は、TEACCHの基本理念について改めて考え直す、またとない機会になりました。
ご意見などいただければ幸いです。
おまけ:こんな風に、TEACCHの理念について改めて考えたりしているのは、最近この本を読んだことも理由の一つになっています。
自閉症児のためのTEACCHハンドブック
著:佐々木 正美
学研
以前レビューしたこともある、TEACCHの古典ともいうべき入門書が、15年ぶりにリニューアルされました。内容はやや高度で、入門書としてはこれより易しい本がいくつか出ましたから、「1冊目」としてではなく、理念を含めたTEACCHの全体像を知るための「2冊目以降」のTEACCH本としておすすめできる内容です。
内容的にもかなり大幅に改訂されており、近日中に、こちらもブックレビューを書きたいと思っています。
杉山先生の御本にも、「統合教育で利点を得るのは、健常な子供たちだけで、一部の機能の高い自閉症児しか統合教育に意味はない。」といった趣旨のことが書かれていました。実際、今次男が特別支援学校に通っていますが、そりゃあ、個別対応の度合いは、通常学級や通常学校の特別支援学級よりも断然レベルが高いです。「コストかかるよなぁ。」といった感じですね。
話は変わりますが、ご紹介されていた佐々木先生の御本に、「逆統合(Reversed mainstreaming)」の話が出てきますよね。非常に納得できる内容だったので、特別支援学校の交流部の先生にお話したら、すでにご存知で、且つ、お子さんによっては、交流先の学校の理解も得て、決まったお子さんに支援学校に来てもらったりしてますよ、とのことでした。今通っている特別支援学校には月に一回の頻度で服巻茂先生がお見えになって指導されているとのこと、北九州に住んでてよかった、と思った次第です。TEACCHって、ツールじゃなくて制度、文化を意味していますものね。
JKLpapaさん、
確かにこの辺りの議論は、杉山先生の「発達障害の子どもたち」が一番明快ですね。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/77420734.html
逆統合については、確か佐々木先生の本の旧版でも紹介されていたと思いますので、TEACCH的にはかなり以前からある考え方なんでしょう。私もいいアイデアだと思います。
鈴蘭さん、
アスペのお子さんを一生懸命療育して就学させたら、一部の定型のお子さんのほうがかえって授業を受けられる態勢になってなかった、という笑い話ともいえないような話は、確かによく聞きます。
「ずれ」は、ある意味あって当たり前ではあるのですが、それらにどう折り合いをつけて、親が希望する支援体制を作っていくのかが大切ですよね。
我が家も来年は就学なので、気を引き締めてやっていきたいなあ、と思います。
光栄にも、ご紹介いただいた者です。
お礼のひと言をと思いつつ、恥ずかしくて
そのまま今日に至ってしまいました。
本当に申し訳ありません。
でも、TEACCHへの誤解について
今回お書きになっていらっしゃるのを拝見し、
うれしくてついつい、しゃしゃり出た次第です。
私はTEACCHをどこまで理解できているか、わかりません。
神格化するのはちょっとちがう気もするので
あれがすごい・これがすごいというようなことは
あまり言いたくないのですが、
噛めば噛むほど味の出るスルメのように、
TEACCHは本当に奥が深いです。
私はTEACCHのどんなところが好きかというと、
あくまで子どもの文化を中心に据えたものの見方を貫いていて
その点で微動だにしない点です。
構造化やコミュニケーション指導などの背景に、
技法うんぬんよりも
その底を流れる「哲学」を感じるのです。
あくまで子どもの特性に沿って、子どもを受けとめようとする、
(子どもに迎合するとか、子どもの言うことを何でも聞く、
というような意味ではまったくありません)
これこそ一般の育児にも通じる(というより育児そのものか)、
受容の究極の姿ではないかと、私には思えるのです。
そして親さんの生活の視点を忘れない。
(「親さん」という表現は、ちょっと違和感があると思いますが
福岡のボランティアたちがその昔、仲間内で使っていた用語で、
ぶどう社さんにムリを言って、今回この表現にさせていただいた
経緯があります。
実は私が一番訴えたかったのは、第3章でした。)
そしてまた、いいものから進んで学んでいこうとする
スタッフの方たちの謙虚さ。
私自身、これからもっともっと学び続けていかねば、と
思っています。
口がまわらず、申し訳ありません。
どうも、おじゃましました。
第3部のあやまりです。
ごめんなさい。
上記のコメントからすると、「自閉症の特性理解と支援―TEACCHに学びながら」をレビューさせていただいた、藤岡先生ですね。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/58119586.html
このような素人のブログに顔を出していただき恐縮です。
TEACCHについては、私も決して「分かった」などとは絶対に言えないのですが、中途半端に学んだくらいでは「分かった」と思えない奥の深さ(多少批判的に言えば、つかみどころのなさ)が、TEACCHの本質的なところにあるような気がしています。
そんな生かじりのTEACCHですが、私も、TEACCHの本質が個々の技法のレベルではなく、その一段上の「理念・哲学」のレベルにあることについては確信を持っています。
これは、長く子どもの療育を続けていけばいくほど、だんだんはっきりと分かってきたことですね。(そして、今回の事件?で、さらにはっきりと分かった気がします。)
藤岡先生の本は、誰にでも読める優しい入り口を持ちながら、TEACCHの「理念・哲学」の水準の醍醐味を感じられる素晴らしい内容でした。
個人的には「親さん」にはいまだに少々なじめないのですが(笑)、周囲の親御さんにも自信を持ってすすめられる本だと思っています。
これからもよろしくお願いします。