確かに事実でした。
http://blog.livedoor.jp/yukakuramoti/archives/50969884.html
空を観るのが好き。 (倉持結香の【ユカ専用ブログ。】)
以前にも書いたのですが、私は『アスペルガー症候群』という病気らしいのです。
アスペルガー症候群というのは簡単に言うと言語障害は無いけどコミュニケーション能力に欠ける自閉症です。
症状としては
・相手の表情や仕草を見て、感情を理解できない。
・客観的に自分の会話や文章を理解できないので、自分の世界になってしまう。
・抽象的な言葉、曖昧なニュアンスの識別ができない。
・整理されたもの、順序だったものではないものに対して非常にいらだつ。
等です。当てはまった方はアスペルガー症候群診断テストをしてみてください。
33点以上ならアスペルガーの可能性が高いそうです。私は39点でした。
冗談を言われても理解できないのです。「流す」ことが出来なくて、落ち込んでしまう。
嫌われるのが怖くて、話しかけられない。
空気を読もうとしても上手くいかない。
同じ事を繰り返してばかりで学習しない。
どうして皆が出来る事が出来ないんだろう。何で何をやってもダメなんだろう。
皆さんをいつもイライラさせてしまって、本当にごめんなさい。
これから少しでも変わって行けたら良いな、と思います。
私は、この話を聞いて非常に驚くのと同時に、「そうだったのか!」と納得する部分の両方がありました。
というのも、このタレントの名前は、「ブログがしばしば炎上するアイドル」として少し知っていたからです。
※炎上:ブログなどに膨大な批判コメントがつき、収拾がつかなくなる状態のことを言います。
その辺りの話題を調べてみたら、こんな記事をみつけました。
http://www.cyzo.com/2008/04/post_518.html
炎上上等!? お騒がせブログアイドル・倉持結香の本音に迫る
この記事でも、インタビューでこんなやりとりがあります。
――倉持さんは昨年9月5日のエントリーでアスペルガー症候群だと書かれてましたね。でも、お会いしてみたら、すごくしっかり話されるので私は逆に驚いてしまったんですが。
「小学校くらいまでは優等生で、生徒会長を務めたりもしていたんです。でも、親や先生からの期待や、優秀な兄の存在がプレッシャーになって、とにかく『他人に良く見せよう』っていう気持ちばかりが強くなっていきました。その結果、中学のときには学校にも行けない、人ともうまくしゃべれない状態になってしまったんです。病院では、アスペルガー症候群だと診断されました。本当は薬を飲んで病院で治療することを勧められたんですけど、今は事務所でマネージャーさんから指導を受けていて、そのほうが自分でも良かったなと思っています。そして、ブログを通じてさらに精神面で強くなって、人間的に成長できたらいいなと考えています」
実際にブログで見てみると、ほかにも次のようなエントリが。
http://blog.livedoor.jp/yukakuramoti/archives/51114011.html
「今回の件につきまして 3」倉持結香
最後に…私には「アスペルガー症候群」という障害があります。これはまだまだわからない部分が多い精神的な病気といわれていますが、病名というのもは人がつけたもの、と考えています。つまり、その人の志次第で乗り越えられるものだと思ってきました。今の事務所に入って、スタッフさんにとてもとてもきびしい指導をしていただいております。それはもしかすると凄く時代錯誤の方法かもしれません。でも、礼に始まって礼に終わるということや、空手から教えてもらえる、「本当に殴られた時の痛みを覚えていれば、簡単に人に同じ事をしなくなる」と教わっています。イベント等が終わった後も、反省会をやります。そして死ぬほど怒られます。
私も改めてこの人のブログを読みましたが、正直言って薄氷の上を渡っているような、心臓が凍る思いがしました。
「世間の目」とか「周囲の『空気』を読む」こととかが決定的に重要なタレント活動をしているだけでなく、彼女の「素」が丸ごと「文章で」出てしまうブログを書いていて、かつブログのコメント欄を承認なしの完全オープンにしているというのは、ある意味とんでもない「スパルタ指導」ではあります。
インタビュー記事などを読んでいると、どうやら「それくらい厳しく世間に揉まれて、それを乗り切れれば芸能界をやっていけるし、駄目なら駄目なんだ」といった事務所の方針が透けて見える気がするのですが、私個人としては本当に先ほども書いたとおり「心臓が凍りそう」です。
記事に書かれている彼女の意見を読むと、本当にものすごい苦労をして、正義感も強く、論理的思考能力とか精神年齢も相当高いように思いますが、その一方で、確かに「それを今言ったらヤバいよね」というような「空気が読めない」記事が散見されて、読んでいるこちらがハラハラします。
最近でいうと、例えばこのエントリ。
http://blog.livedoor.jp/yukakuramoti/archives/51113979.html
【青学准教授】 光市母子殺害事件の「被害者は1.5人」赤子は0.5カウント
青山学院大学の准教授がブログでさまざまな暴言を吐いていたという話題ですが、これ、今ネットで一番ホットな話題といっても過言ではないくらい熱い話題です。
http://www.wikihouse.com/seo/
http://www.j-cast.com/2008/04/28019573.html
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1117508.html
この、非常にデリケートな話題に対して、率直にいって、主張したいことは分かるけれどもデリカシーに少々欠けていると言わざるを得ないマンガと、撮影会の宣伝を同じエントリに書いています。
これも、見ていて冷や汗が出ます。
悪意がないのは、自閉症スペクトラムに関わっている者としては多分そうだろうと思うし、そう信じたい。でも、結果としての「伝わり方」としてはやっぱりズレていると言わざるを得ないし、ここであえてこの話題を選ぶというのも、勇気があるといえばそうですが、タレントのブログとしては、やはり踏み込みすぎだと感じてしまいますね。
・・・うーん。
応援してあげたい。
でも、わずか16歳の人間に設定されている「環境」としては、ちょっと過酷過ぎるのではないか、という印象も率直なところです。
ある意味、「虚像」を売る商売なのだから、ブログをやるにしても、それこそマネージャーがゴーストライターで書いてコメントは承認制といったスタイルでもいいと個人的には思ってしまうのですが、皆さんはどう感じられるでしょうか。
いずれにせよ、いろいろな意味でどうしても目が離せないタレントになってしまいました(^^;)。
これからも見守っていきたいと思います。
コメントありがとうございます。
今回のエントリで、ちょっと後ろ向きなことを書いたのは、このタレントさんの周囲の方が、ちょっと自閉症スペクトラムについて誤解している面があるかもしれないな、と思い、そこが心配になったからです。
つまり、自閉症スペクトラムの持つ困難さが、「努力して苦労すれば解消されていく」ものだと一面的にとらえてはいないだろうか、ということが少し気になったのです。
もちろん、成長し、いろいろな経験を積んでいくことで乗り越えられるようになることはたくさんあると思いますし、それを応援したいという気持ちはあるのですが、それは、困難が困難でなくなるのではなくて、困難さを困難さのままで「うまく付き合っていく」ようになっていくことだと思います。
このタレントさんが、ネットという決して甘くない世界のなかで、「いっぱいいっぱい」にならないことを祈るばかりです。
>このタレントさんの周囲の方が、
>ちょっと自閉症スペクトラムについて
>誤解している面があるかもしれないな
それはあるでしょう。
普通の人には、なかなか
実感できないことだと
思いますよ。
>厳しく世間に揉まれて、
>それを乗り切れれば
>芸能界をやっていけるし、
>駄目なら駄目なんだ
逆に「空気を読まない」のも
一つの芸だと開き直れれば
大成するかもしれませんね。
私にいわせれば、
些細なことでいちいち執拗な
苛めのコメントを書き続ける
”一般人”のほうが、はるかに
人間として狂っていると思いますよ。
魔女狩りもナチのユダヤ人大量虐殺も
”一般人”の中に潜む狂気の表れかと
思いますよ。
コメントありがとうございます。
書かれていることは確かに真理を突いていますね・・・。
今回コメントをいただいたので、久しぶりにこの方のブログを覗いてみました。
この記事を書いてから1年以上たって、まだ元気に活躍されているということで、ちょっと安心しました。
わたしも、自分に「病名をつける」としたら
「アスペルガー症候群」です。
よくわたしは、「周りの人間とズレている」と思っていたから。
ですが、自分の殻を破ってから、
人の見え方が変わりました。
自分が「ズレている」わけじゃない。
みんな、「ズレている」んだから。
価値観が全く同じな人間は
いないはずです。
似ているひとは、いるけれど。
わたしは、だから倉持さんと
自分は、よく「似ているなあ」と思います。
自分がなにかするとき、相手を先に考えるのではなく、自分を最初に思うこと。
長くなってしまったので、失礼します。
スペース使わせていただき、ありがとうございます。
余談:倉持さんの話を読んでいて、どきどきしたりひやっとしたのは、難しい言葉でいうなら「核心」をつかれているからではないでしょうか?
コメントありがとうございました。
ご指摘のような、「自分自身を少し離れたところから見ることができるようになる瞬間」というのは、それ自体が、自分以外の他人というものを「理解」する第一歩なのではないだろうか、と思います。
実は、「自分が見える」ことと「他人が『見える』」ことは非常に近いことだと思うのです。
ちなみに、私が倉持さんの話を読んで、どきどきしたりひやっとしたりしたのは、そういう意味で、倉持さんに「見えていないもの」があるように感じられて、その「見えていないもの」から彼女が危害を受けるリスクを感じるところからきているのではないか、と私自身は感じています。