妻がこれまでの療育等を通じて知り合った「ママ友」のなかの一人の話だということですが、そのママ友さんは、自分の子ども(療育ニーズのあるお子さんです)をある療育サービスに通わせていました。
実はその療育サービスは、我が家でも検討したことがあったところでした。
検討の時点で私が聞いていた情報では、「部屋が構造化してあったり、絵カードとかスケジュールがあったりして、TEACCHをベースにしたグループ療育がされている」とのことだったので、それはなかなか魅力的だな、できることなら娘も入れてやりたいな、と思っていたわけです。それを検討していた時点では、我が家が受けているTEACCHの療育サービスが継続されるかどうかも不透明だったので、TEACCH的な療育を継続したいと考えていた我が家にとっては、「TEACCH的なグループ療育」というのはかなり魅力的でした。
ただ残念ながら、いろいろ条件が厳しくて、結局我が家は参加できませんでした。(見学にも行く機会がありませんでした)
幸い、もともと通わせていたTEACCHの療育を継続して受けられることになったので、我が家の療育体制はどうにか維持できました。
ところが、今回聞いた話では、そのママ友さんは、子どもをそのサービスに通わせることをやめることにしたそうです。
その理由というのが、
・やらされる課題の難易度が高めで、ついていけない
・グループ活動で順に何かをやるとき、それぞれの子どもが走り回ったりパニックしたりしているのに対応するのに時間がかかり、順番待ちの時間が長くなりすぎて我慢できずにパニックしてしまう
ということだったそうです。そんなことが続いて子どももそこに通うのを嫌がるようになったりで、結局、そのサービスに通わせることを断念することにした、という話でした。
私はそれを聞いて、「そうか、それはあまりうまくクラス分けされていなかったのかな、あるいはそのサービス自体が、割と遅れの小さい子ども向けにできているのかな」などと漠然と感じたのですが、なぜか、ものすごくもやもやとした気分になりました。
その「もやもや」がどうしても晴れなくて、「いったいこの気持ちの悪さはいったい何なんだろう?」と不思議に思っていた次の瞬間、その「気持ちの悪さ」の正体に気づいて、思わず妻に答えました。
「それってTEACCHじゃないじゃん!」
私は、その療育サービスは「TEACCHがベースになっている」と聞いていました。そのことと「子どもがついていけなくなったからやめざるを得ない」という話は、どう考えたって矛盾しているとしかいえないことに、今さらながらに気づいたわけです。
TEACCHの理念と言われるものにはいろいろありますが、その中でも基本中の基本だといえるのは、「個別の療育プログラム」という考えかたでしょう。
できないことを無理にさせるのではなく、できることを伸ばすのがTEACCHの基本理念であり、その「できること」が一人ひとり違う以上、その療育プログラムは個別に設定されなければならないのは必然です。
また、子どもの「できること」は静的なものではなく、常に変動しつづける動的なものです。普段はできることが今日はできない、あるいは今までできていたことが一時的に退行してできなくなることもあります。そんなときも、そのときどきの「できること」を尊重して臨機応変に対応することも必要です。もちろん、「できること」が少しずつ増えていくという側面もあります。それにしても、その発達のスピードは子どもによってまちまちなのだから、そのペースに合わせて取組みを変えていく必要があるわけで、それはあくまでも「個別」のものでしかありえません。
そういったことも、全部ひっくるめて「TEACCH」なのです。構造化とか絵カードはその理念を実現する(できることを伸ばす)ためのツールなのであって、もしそれらのツールを使いつつ、「できないような無理なことをさせる」「グループのペースに追いつかない子どもが脱落する」といったことがあったとしたら、それはもはやTEACCHではなく、むしろ「反TEACCH」ですらあるでしょう。
(続く)
※分量が多くなったためやむを得ず分割しました。
まだ議論としては途中になってしまっていますので、次回以降もさらに考察を続けたいと思います。
コメントありがとうございます。
療育というのは、たくさんの方の支援によって初めて成り立つことは間違いありません。
どのような支援と出会えるかは、ある程度は「運」になってしまいますが、その「運」をたぐりよせられるか、あるいはさらにそれを「運命」に変えられるかどうかは、実は私たちが「運」に対してできる、数少ない、でもとても重要な働きかけだと思っています。
私も、これまでとこれからのさまざまな「縁」を、大切にしていきたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
こちらにコメントするのとは話題が違うと思いますがすみません。
今1年ほど母子通園で療育に通っています。ここはTEACCH的な療育なんだと思います。
こことは別に、この4月から行動療法の施設に週1で通い出しました。
今までは無かったのですが、母子通園の方で自由遊びから課題への切り替えの際にもっと遊びたい、と大泣きするようになりました。
その際の私の息子への対応ですが、行動療法では大泣きしている時は手を出さずに泣きが修まってから抱っこしたり、褒めたり撫でたりするという事でした。
でも母子通園では泣いている時も常に声をかけ撫でて気持ちを代弁する、という対処をします。
そらパパさんのお子さんはこのようなことで対応を迷われたことはありませんか?
もしよかったら、教えてください。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、子どもは本質的に「伸びる」ものです。あるときに子どもが大きく伸びたときに、それが療育の成果によるものか、勝手にそうなったのか、それは常に誰にも分かりません(どんな子どもも一度きりの人生を歩んでいるので、これだけは検証できないのです)。
私たちができることは、その「伸びる」ということをそっと支えて、伸びるチャンスがあるときにちゃんと伸びることができるような環境を整えてやることだと思います。
そして、実際に「伸びて」くれたら、子どもと一緒に喜びを分かち合う、ということですね。
ぺったんママさん、
「切り替えができずに泣いているときに、声をかけ撫でて気持ちを代弁する」というのは、恐らく、「TEACCH的な働きかけ」ではないと思います。(あえて言うなら「受容的」?)
いっぽう、行動療法のほうで言われているやり方は、確かに典型的な行動療法的対処方法だと思います。
だからそのアプローチが間違っているかどうかは分かりませんが、もし「TEACCH的」にその場面に対処するとしたら、
・「自分の意思を表示する」といういい面は伸ばしてもいいはず。例えば「もう少し遊びます」絵カードを作って、(パニックの代わりに)それを見せたらあと5分遊んでもいい、といったコミュニケーションにつなげていってもいいのでは。
・切り替えのときに、突然ことばで告げるのではなく、部屋の外などどの活動とも無関係の場所(トランジション・エリア)にスケジュール表を掲示しておいて、それを見に行って次の活動を確認したうえで、活動を切り替えるようにする。
・パニックそのものに対する対応は、TEACCHも基本的に「行動療法的」です。パニック中は危険行為をさせないよう気をつけつつできるだけ構わないようにして、収まってきたら構ってあげて、次の活動への切り替えを誘導します。
私もTEACCHのプロではないので、上記も我流の考え方ですが、多少なりとも参考になれば幸いです。
私も以前に似たようなことを経験しています。
世の中で結構、多いですよね?
TEACCHに関し、間違った運用をしているケース。
正しくTEACCHを運用すれば、
TEACCHが合わないお子さんなんて(定型発達児でも)いないと思います。
ただ、『絵カード』を使えばいいってもんじゃないですからね。
カードを『指示の道具』にし、間違ったTEACCHを実践するから、
TEACCHが誤解されちゃうんですよね。
私も過去、そうでした。
一度TEACCHが嫌いになって、勉強し直して、
「TEACCHそのものが悪いんじゃなくて、運用の仕方を間違っていたんだ」と気がついてから
また、TEACCHが好きになりましたけど、誤解したまま嫌いな方、多いと思いますよ。
カードや写真を使って、その子の理解を助けるのはTEACCHだと思いますが、
イヤなのに、理解できていて、分かるからこそ、『イヤなことをさせられる』ので、
カードを拒絶するようになるのは反TEACCHだと思いますが、
困ったことにそういうところが『TEACCH』を謳うんですよ。
残念なことです。
コメントありがとうございます。
この記事の後半でも改めて出てきますが、この施設は、表立って「TEACCHだ」と言っているところではないようなんですね。
どちらかというと、絵カードとかスケジュールを使っている様子を見て、親の側が「これはTEACCHだ」と思ってしまう、ということがあるように思うのです。
だから、この記事のタイトル「それはTEACCHじゃない」というのは、その施設に対して言っているのではなくて、私たちの側の思い込みに対して言っているという側面もあります。
もちろん、もしもサービスを提供する側が「私たちのやり方はTEACCHです」と言って、でも実態がこの記事のようなものだとしたら、それは問題があるとは思います。