心の哲学入門
金杉 武司
勁草書房
はじめに――心とは何か?
序 章 「心とは何か?」という問い
1 心についてどのように考えていけばよいのか?
2 心の哲学の二つのテーゼ
3 哲学的議論の方法
第1章 心の因果性
1 心心因果と心物因果
2 二元論と心の因果性
3 心脳同一説
4 機能主義
第2章 心と意識
1 現象的意識とクオリア
2 クオリア問題
3 物的一元論からの再反論
4 説明のギャップ
第3章 心の志向性
1 志向性
2 命題的態度
3 志向性とクオリア
4 志向性の説明
第4章 心の合理性
1 合理性と因果性
2 消去主義
3 解釈主義
4 不合理性
第5章 心の認識
1 他我問題
2 心と行動
3 自己知
4 自己知の説明
おわりに――結局のところ答えは出せるのか?
哲学の本です。
「また哲学の本か」という声が聞こえてきそうで、私もこのレビュー記事を、月曜日以外にアップする「サブ記事」にしようかどうか迷いましたが、あえて今回は月曜にアップする「本記事」の扱いにしました。
その理由ですが、「自閉症の本なら、もう数え切れないくらい読んだよ」という方には、そのまま自閉症の本を読み続ける前に、一旦脇道?にそれて、本書をぜひ読んでいただきたいと思っているからです。
本書は、自閉症の本を「より深く、より客観的に」読むために絶対に必要な、ある種の知識を与えてくれる本だと思っています。
この本を本記事扱いでレビューしようと思ったのには、実は、先日レビューした、とある自閉症の入門書?の内容が直接のきっかけになっています。
この本の内容にはさまざまな問題があると考えられるのですが、それを単に「この人の言ってることには賛成しかねる」というだけでは、「好みの問題」になってしまって議論としては弱いですね。
ですから、レビューの中ではさまざまな問題点を、具体的かつ論理的にいくつか指摘していったわけですが、「最大の大物」についてはあえて触れていませんでした。
その大物というのは、
「脳」と「こころ」を別のものとしてとらえる考え方を安易に採用していること。もっといえば、私たちが常識的に考える素朴な「こころ」の概念をそのまま使って議論していること。
です。(やや専門的に言えば、心身問題について極めて拙い議論に留まっている、ということになります)
これの何が問題なのでしょうか?
以下、本書の例に従って、簡単に触れてみます。
例えば、「カレーの匂いに気づいて、カレーが食べたくなったからカレー屋に入った」という発言について考えてみましょう。
これを、「脳」という概念を使って表現すると、「カレーの匂いのもととなる物質が脳の神経を刺激し、その信号が脳内を駆け巡った結果として、カレー屋に入るという運動が生起された」となります。
ここには「こころ」の入る必然性はなく、理論的には、すべて客観的に観察できる事象の中に納まっています。
ここで「意義あり!」と手を上げるのが、上にあげた立場になります。
曰く、「脳をどれだけ見ても、『カレーが食べたい』と感じて、実際に『カレー屋に足を運ぼう』と考える、「こころ」の働きは見えてこない」と。
これは、常識的には納得できる考え方です。
カレー屋に足を向けたことの「原因」は、「カレーを食べよう」という私の「こころ」なのであって、そこには(ただ信号が行き交うという物理法則から離れた)自由意志があるはずだ、というのは自然な考え方だと思われます。
でも、一見自然に見えるこの考え方は、実は非常に奇妙な矛盾をはらんでいます。
唐突ですが、あなたは、念力をもっていますか?
例えば、目の前のコップを、「動け」と念じるだけで動かすことができますか?
多くの人は「いいえ」と答えるでしょう。念じただけで物が動くなんて、オカルト以外の何物でもない、と笑って答えるはずです。
・・・気づきましたか?
この時点で、すぐに上記の議論の矛盾に気づくことができれば、その人は相当哲学のセンスがあります。
では、種明かしです。
先のカレー屋に行く例を少し違う言い方で表現すると、「カレー屋に行こう」と「念じた」だけで、体という「物体が動く」ということを意味しています。
コップは念力で動かせないのに、なぜ体は『こころ』で動かせるのでしょうか?
「体は『こころ』とつながっているからだ」というのは答えになりません。もし『こころ』が、『体』と物理的に接続しているのだとすれば、『こころ』とは『体』と物理的に接続できる、物理的な存在だということになり、体のどこかを開ければ見ることができる物質だということになります(それは恐らく脳でしょう)。
もしそうでないとすれば、『こころ』は物理的な存在ではないことになりますから、「物理的に接続」することはできないことになり、先ほどの念力の話に逆戻りします。
この念力の話(心身問題)というのは、本書では「第一章」に出てきます。心の哲学のなかでは、それだけ基本的な問題だというわけです。
そこでは、私たちが素朴に考えるような「脳を物理的に調べても『こころ』はそこにはないが、私たちの行動は『こころ』によって決められている」という常識的な脳と心の関係(心身二元論)は、基本的には否定されます。
そういう心の哲学における「常識」をふまえて、先日レビューした本を読むと、一方で「脳をいくら調べても『こころ』は見えてこない」と書かれ、もう一方で「自閉症児の不可解な行動は、『こころ』の動きを理解すれば分かる」と書いているのを見ると、私には「念力で療育しましょう」と書いてあるのとほとんど変わらなく見えてしまうわけです。
とはいえ、実は、特定の本だけを責めるのは少々酷ではあります。
なぜなら、多くの臨床心理学の本において、「こころ」ということばが、あまりに安易に使われているからです。
その「こころ」について厳格に定義づけがあるのならまだしも、私たちが素朴にイメージする、常識的な「こころ」という概念が流用されているものが少なくありません。
しかし、本書を読めば分かるとおり、私たちが常識的にイメージする「こころ」の概念には矛盾がいたるところにあり、その素朴なイメージのままでは到底、科学的・論理的な議論には耐えられません。
その端的な例が、上記の「念力議論」になるわけですが、それ以外にも矛盾はいっぱいあるわけですね。
私たちは、心をめぐる議論について、もっと深く知るべきです。
それによって、さまざまな「自閉症の本」のなかで、どの本が、私たちの毎日のガチンコの「療育真剣勝負」に耐えうるもので、どれがそうでないただの言葉の遊びなのかを、しっかり見極められるようになるはずです。
本書は、そのような、私たちにとって極めて重要な(と私が強く考える)「心の哲学」について学ぶための、まさに初心者のための教科書です。
教科書ですので、ものすごく面白いか?と言われると、ちょっと答えるのが難しいのですが、扱っている題材がとても興味深いので、きっと面白く読めるんじゃないかと思います(少なくとも私はとても面白く読めました)。
また、専門用語を天下り的に使わず、分かりやすく書かれているとは思いますが、やはり哲学書であることには違いないので、読むときにはそれなりに頭を使います。
一方で、この薄さで心の哲学のほぼ全域を網羅しているのは、本書の大きな特長でしょう。
自閉症の本を数多く読み、これからも読もうと思う方の「普段使わない筋肉の筋トレ」のための本として、おすすめしたいと思います。
おまけ:本書の副読本として、これまでにも紹介したことがありますが、以下の本をご紹介しておこうと思います。
これらは、新書で読みやすく、本書ほどの網羅性はありませんが、本書よりも気軽に読める「心の哲学」の本です。
考える脳・考えない脳―心と知識の哲学
著:信原 幸弘
講談社現代新書(レビュー記事)
ロボットの心―7つの哲学物語
柴田 正良
講談社現代新書(レビュー記事)
※その他のブックレビューはこちら。
最近疑問に思っている事がありコメントさせて頂きました。
1年程前から娘は、背中の辺りを痛がる様になりました。
最近それが酷くなってきて、何度も言葉で訴えます。
当初機嫌の悪い時に限って言うので、ごねてるのかと思っていました。
痛みを和らげる為に毎週の様に、マッサージや整体温灸治療、レントゲンも撮りましたが、いっこうに直りません。
あいかわらず機嫌の良い時は言わず、悪い時は激しく怒りながら訴えます。
どうにも原因解らずいろいろ調べた結果
統合失調症の症状にとても似通っている事が解りました。娘の叔父さんが、精神科に通い若くして自殺しております。その事も
気になります。
自閉症児が、統合失調症になるなんて事が、あるのでしょうか?
現在は精神科の病院には通っておらず、薬も飲んでいません。
統合失調症だと薬以外の治療方法は無く、
薬も副作用の強いものしか無い様です。
アドバイス等御座いましたら宜しくお願い致します。
はじめまして。
コメントありがとうございます。
ご相談の件ですが、すみませんが素人である私には到底お答えが出せそうにない質問です。ごめんなさい。
一般的な議論としては、「背中が痛い」というメッセージ以外にも、いくつかのコミュニケーションがお子さんとの間に成り立っているのなら、「背中が痛い」はそのとおりの意味だと仮定できる気がしますが、仮に、お子さんから発せられるメッセージがほとんどこれ1つしかない場合は、いろいろな欲求や辛さを、「背中が痛い」というメッセージ1つですべて代用している可能性もあるんじゃないかと思います。
「背中が痛い」ということばが発せられている状況をできるだけ広く(その字面の意味だけにとらわれず)とらえて、そこに現れているコミュニケーションとしての機能を深く考えて、いろいろな仮説を立てて、それを検証していく、という地道なプロセスをとるしかないのではないか、とも思います。
ばくぜんとしたお話しかできず、すみません。
失礼ですが、どうして統合失調症の症状に似ていることが解ったのでしょうか?最近の傾向としては、統合失調症そのものが軽症化していると言われていますし、私自身もそのように思っています。精神科医の診断を受けたのなら、ともかく、統合失調症の症状をご存じの方は、そうはいないのではないかと考えているのですが。
また、私の経験からも、又専門書にも記載されていますが、自閉症で統合失調症を発症される方は存在します。
昔は、接枝分裂病という診断で、知的障害と統合失調症が併存するとされていましたが、現在ではあまり聞きません。
薬も副作用が強いものしかないと言うことも、かなり問題な発言です。統合失調症の陽性症状には、現在の抗精神病薬は著効を示します。薬物には、副作用があるのは当然で、それは、主作用とバランスを考慮して投薬するものであり、副作用(この用語も現在は使用されておりません)だけを心配するのは、いかがなものかと思います。
この様な文章にも関らず情報を頂きありがとう御座います。
背中の痛みでネット上で検索した結果、統合失調症の方々の話にたどり着き、その方々が悩んでいる症状に似通っていた為、
その様に書いただけです。
医学的な根拠等一切解りません。
私には、その他に娘の症状に似たものを見つける事が出来なくて
それを見た時に、驚きと同時に喜びの様な感覚もありました。
背中の痛みを、訴え荒れる娘に原因が解らず、その痛みを取り除く手段も解らなく。
どうして良いのか途方に暮れ精神的にも参っていたのです。
もし、その可能性があるのであればと思い、自閉症を専門とされる病院の選定に入り、2つの病院に予約を入れました。
ただ、診てもらえるのに日数が掛かるので、それ迄に出来るだけ情報を集めたかったのです。
それで、よく拝見させて頂き参考にさせて頂いています、このブログに書かせて頂きました。
統合失調症の事もネット上の狭い範囲で調べただけで、
不確かな情報を断定的な書き方をして誤解等を招き申し訳ありません。
あくまで、私の真意は、娘を少しでも幸せと感じる時間を増やしたいと願っているだけです。
天使の様な笑顔を少しでも多く見せてくれる事を願って努力しています。
今後、情報的な表現には、特に気を付けて参りますので、今後とも宜しくお願い致します。
他人様のブログにて不適切な表現にて、ご迷惑をお掛けし誠に申し訳御座いませんでした。
追伸
ここまで調べる努力と、その知識を惜しげもなく公開されるそらパパさんに、深い尊敬の念を抱き感謝いたしております。(参考にさせて頂き随分と助かりました)
本当にありがとう御座います。
精神科の疾患の診断の際には、除外診断が欠かせません。なぜなら、精神病様症状を示すのは、内科的疾患でもあり得るからです。例えば、肝臓の代謝障害によっても、精神病様症状は発現します。これは、精神疾患ではありません。内科・外科的に、他の疾患がないと診断されて初めて、精神疾患の診断となりますが、これも簡単には行きません。1回や2回の診察では、病名が特定しないからです。
次に、重度の自閉症の方の何らかの訴えについては、DurandとCrimmins(1988)が、4つの機能に分類しています。自己刺激的な「感覚要因」、注目欲求、逃避欲求、好みや物の活動の欲求です。
娘さんの訴えについては、除外診断が必要ですが、残念ながら、感覚の過敏性及び非過敏性のために、十分な情報が入手できません。そこで、現在役に立つと思われるのは、機能的アセスメント法、動機付け尺度質問、直接観察法でしょうか。いずれにしても、日々の観察と記録が問題を解く鍵となると思われます。
ぴらるくさん、
ちょっと僭越なコメントになってしまうかもしれませんが、自閉症の療育においてとても大切なことの一つは、可能な限りぎりぎり最後まで、子どもを「型」にはめないで理解しようとすることなのではないか、と最近思っています。
とても苦しいことですが、医師や専門家の支援も受けつつ、じっくりと焦らず問題に取り組むほかないと思います。
このブログで情報を基本的にすべて公開している点については、実は一度記事として書ければ書こうと思っているのですが、当ブログ開設時に、せっかくだから「Web2.0」的なアプローチで自閉症のウェブページを作ろう、と思ったのが出発点になっています。
情報を隠して「この情報が欲しかったら会員になってください」とか「情報料をください」とやるのではなくて、情報を全部出すことで「アクセスの集まり・人や情報の流れ」を作ることで、何か新しい付加価値が生まれるかもしれない、という意識で、こういうスタイルにしました。(まあ、情報料を取れるほどのコンテンツがないということもありますが・・・(^^;))
ウルトラマンの父さん、
コメントありがとうございます。
私は詳しいことは分かりませんが、いずれにせよ専門的な診断が必要だということについては、そのとおりだと理解しています。