よくわかる自閉症―「関係発達」からのアプローチ
著:小林 隆児
法研
序 章 本書を読む前に
第一章 「関係発達臨床」が生まれるまで
第二章 今なぜ「関係発達臨床」か
第三章 「関係発達臨床」の基本にあるもの
第四章 <自閉症の三大特徴①>対人関係の障碍を「関係」から読み解く
第五章 <自閉症の三大特徴②>コミュニケーション障碍を「関係」から読み解く
第六章 <自閉症の三大特徴③>偏った興味、こだわり行動、繰り返し行動を「関係」から読み解く
第七章 不可解な行動を「関係」から読み解く
第八章 「関係発達支援」で最も大切なこと
本書は、普段の判断基準に乗せれば、恐らく「読んでも紹介しない本」になるであろう本だと思います。
普段からいろいろな本を読んでいて、その中では自閉症や発達障害を扱ったものももちろん少なくないのですが、実際に当ブログでレビューしているものはその中の一部です。
基本的には、「肯定的に読めなかった本」は、文章を書くのがいろいろな意味で難しいので、レビューを書かないようにしています。
とはいえ本書の場合、先週の「図解 よくわかる自閉症」とのタイトルつながりで「レビューする」と書いたこともありますし、それなりに大きな影響力を持つ本になる予感もありますので、あえて記事を書くことにしました。
そんなわけで、今回の記事ははっきり言って肯定的なものではないです。それどころか、かなり攻撃的なものになってしまいました。
それをご理解いただいたうえで、ご興味のある方は読み進めてください。(とんでもない長文になってます。)
本書はまずいきなり、自閉症の定義を、いわゆるDSM-IVに代表されるような行動指標によるものから、著者独自の「こころの発達の問題」に置き換えるところから始まります。
乳幼児期早期から対人関係の成立に困難を示す子どもは、PDD(広汎性発達障碍)と総称されていますが、実際の診断において、対人関係の障碍をどのように判断するか、誰が診断しても必ず一致するというものではありません。
(中略)
先の診断基準(注:DSM-IVの自閉症の診断基準を指す)で「対人関係の質的障碍」と表現されているのは、単に量的な程度の問題ではないことを示しているのですが、実際の診断となるとさほど容易ではないというのが正直なところです。
その中で最も重視されるのは、気持ちが通い合うか否か、対人刺激に対してこちらが期待するような応答を見せるか否かなど、対人関係の最も基本となる非常にデリケートな反応の質です。(初版27~28ページ)
もうここから既に「突っ込みどころ満載」なのですが、まず何より、診断基準というのはそもそも「誰が診断しても一致する」ことを特に強く意識して作られたものであって、それを頭から「一致しない」と言ってしまっては、DSM-IVなどの診断基準を持ち出してくる意味がほとんどなくなってしまいます。
そして、DSM-IVの対人関係の診断基準には、「目と目で見つめあう」「仲間関係をつくる」「興味のあるものを持ってくる」「指差し」といったように、かなり具体的な行動レベルのものが豊富に掲載されています。それは、先に述べたように、このDSM-IVという診断基準が、そもそも「誰が診断しても一致する」ことを、真剣に考えて作られているからです。
それを全然無視して、「気持ちが通い合う」とか「期待する応答を見せる」とか、いきなり問題を内面化してしまって、検証不能な世界で「独自の診断」をしようとするから、「診断が一致しない」のは当たり前です。
最初にこのような「概念の操作」が行なわれているので、そこを読み誤ると、その後の議論の混乱の中に、読者ごと飲み込まれてしまいます。
言い換えると、本書は、私たちがこんにち理解している一般的な意味での「自閉症」の本ではない、と言わざるをえません。
本書は、それとは似て非なる、著者の考える独自の【自閉症】について書かれた本なのです。それは、本書の中の別の表現を使うなら「関係発達障碍」ということになります。
ですからもうこの時点で、この本を、私たちが知っている意味での「自閉症」の本としてレビューすることにはほとんど意味がなくなってしまっています。
以上、おわり。
・・・としてもいいのですが、せっかくなので、本書の内容について間単になぞっていきたいと思います。
そうすれば、なぜ私がレビューを書かないでおこうかと考えたのか、あるいはすぐ上で「以上、おわり」と書こうと思ったのかが、少しは分かっていただけるのではないかと思います。
誤解を避けるために、ここから先、私たちの知っている「自閉症」とは異なる、著者の考える「関係発達障碍」としての「自閉症」(と呼ばれている何か)のことを、【自閉症】と特別なカッコつきで表現して区別することにします。
著者によると、【自閉症】というのは、知覚過敏という「素因」によって、子どもが母親に接近したくてもできないという「アンビバレンス」な状況におかれることがすべての症状の原因だとされます。(社会性の問題も、ことばの問題も、興味の偏りやこだわりも、パニックも、すべてこのアンビバレンスで説明されます)
また、子どもが【自閉】的状態にあるのは、母親などの養育者の子どもへの関わり方が悪いことも大きな原因だとされます。自閉症の原因が脳の障害にあるという「仮説」があまりにも強く主張されたために最近はないがしろにされてきた、子から親へ、そして親から子への関わりかたにどんな問題があって、それがどのように発達の障害につながっているのかという視点を改めて持つことこそが重要なのだとされます。
養育者が何らかの理由で、子どもたちの心的世界に容易に入っていけない状態にあったならば、どうしても子どもたちと養育者のあいだで、ことばの意味的世界に大きなずれが生じてしまい、コミュニケーションの成立が困難な事態になってしまうのを、これまでの多くのエピソードからうかがい知ることができます。
子どもたちの心的世界を分かち合うことを困難にする要因としては、たとえば、養育者自身が現実生活の中で何か強い不安を抱えている時、現実生活の価値観に強く拘束されてしまって子どもの心的世界を想像できない時など、いろいろな場合が考えられますが、結局は子どもの気持ちを分かち合うこころのゆとりのなさが大きく関係しているのです。(初版148~149ページ)
しかも、このような関係の歪みは、「フロイト的無意識」のレベルでの「原初的コミュニケーション」の失敗という形で起こるとされているため、当事者自身がその場で気づいて修復することはできず、専門家が外部から観察し、無意識のレベルに対する「解釈」を与えるという形でないと、【自閉症】の理解は難しい、とされます。
つまり、【自閉症】の療育とは、外部から観察した専門家の「解釈」にしたがって、母親と子どもの両方がそれぞれの「問題」を解決するよう治療を受けることで進めることになるわけです。
ですから、療育の出発点は、当然「母子間のアンビバレンスの緩和」になるわけで、本書によると、そのためには、「それまでの過干渉的あるいは一方的な対応をできるだけ控え、子どもの関心の向かうところを丁寧に受け止める(初版220ページ)」ことが必要だとされています。
つまり、【自閉症】の療育の基本は受容である、と言っているわけです。
・・・。なんだか書いていて疲れてきました。
中身の細かい議論をしていると永久に終わりそうにありませんので、ここで早めに、本書の最大の問題点を指摘しておきます。
本書では、目に見えない「無意識のレベル」の「原初的コミュニケーションの問題」としての「関係発達の障害=【自閉症】」への療育アプローチというのは、「無意識のレベル」の「原初的コミュニケーション」を改善することによって「関係発達」を促していくことにある、とされているように読み取れます。
これは、なんだかとてもおかしな説明ですね。
というのも、この説明には、事実上何も「情報」が含まれていないからです。
【自閉症】の原因は、目に見えない「こころ」の問題、しかも「無意識のレベル」ということですから、気づくこともできない(だからこそ無意識というわけですから)「こころ」の問題にされています。
しかも、それを療育する方法それ自体も、その「無意識のレベル」の「こころ」に働きかけていくということで整理されているのです。
だとすればこれは、ただのことばの遊び、「内面化」による証明不能なトートロジー(同語反復)でしかありません。
なぜなら、目に見えなくて、当人には気づくこともできないことが、「原因」でもあり、同時に「働きかけの対象」でもあると言っているのです。
それを見つけられるのが「専門家」であり、だからこそ「指導」ができるのだ、ということでこのトートロジーに論理的な解決を与えようというのが本書の立場だと思うのですが、目にも見えず、実際に当人には「気づく」こともできないものを対象にしている以上、「専門家」が「見つけた」と称する「解釈」が正しいのかどうかも、実は証明不能です。
厳しい言い方になってしまいますが、この構造は、「自閉症児は天使である」「天使と交信できるスピリチュアリストは、その姿が見える」「だから、自閉症児の問題はスピリチュアリストに相談して天使と交信してもらい、教えを請うのがいい」という構造と、基本的にはレベルがまったく同じです。
ここでは、自閉症児が天使であるという「仮説」を否定しているのではありません。それは本当かもしれません。少なくとも、本書が述べている仮説と、ここで例にあげた「自閉症児=天使」仮説の「確からしさ」は、論理的には同程度です。
つまり、本書はその全体がトートロジー(同語反復)であって、証明も検証も不能であり、ある種の「ファンタジー」として受け止める以外に読みようがない(論理的に読むことは不可能である)と言わざるを得ないと私は考えているのです。
もう一つ、これもまた非常に重要な点について。
本書において、「【自閉症】は脳に起因する認知障害だとは限らず、親との養育関係のなかでの育ち方の歪みでもある」という(何十年も前に戻るような、ある意味レトロにさえ思える)主張をあえて今新しく提起する根拠として相当強く依存しているのが、杉山登志郎先生の「子ども虐待という第四の発達障害」という本です。
つい先日ご紹介した、同じく杉山先生の「発達障害の子どもたち」でもその概要は読むことができたのですが、やはりレビューを書くにはそれでは不十分だと思って、このレビューのために買って読みました。
そして愕然としました。以下の表現を見比べてください。
つまり、臨床的には、わずかな程度のネグレクトでは抑制型の反応性愛着障害(注:これが自閉症に近い臨床像を示すものとされています)が生じることはない。そのため、極端な虐待環境以外に少なくとも広汎性発達障害との鑑別の問題が起きることがないことだけははっきりした。(「子ども虐待という第四の発達障害」初版65ページ)
このように、反応性愛着障害と高機能広汎性発達障害との鑑別は、治療を行ないながらフォローアップすれば比較的容易に可能であることが明らかとなった。(「子ども虐待という第四の発達障害」初版67ページ)
これまでのこのような考え方(注:自閉症は認知等の障害であるという考え方のこと)に、ひとつの波紋を投げかけた本が2007年に発刊されました。杉山登志郎著『こども虐待という第四の発達障害』です。
この中で杉山氏は、今日増加の一途をたどっている虐待を受けた子どもたちが、その後の発達過程の中で、自閉症あるいはそれに類似した状態になっていくことが驚くほど多いことを報告し、その深刻な状態に警鐘を鳴らしています。
この本がなぜ自閉症理解に対して大きな反響を呼んだかと言えば、この数十年間、自閉症の原因は脳の(機能)障碍であって、養育者の育て方にあるのではないとの説が一般化してきていたからです。(本書、初版10~11ページ)
そんなこと杉山先生は全然言ってない。どこをどう読んだらそうなるのか。
一応、念のために書いておきますが、杉山先生の主張の出発点は、「子ども虐待によるある種の臨床像は、自閉症などとは別の第四の発達障害としてとらえられる」というものであって、「虐待すると自閉症になる」というものでは断じてありません。
さらに、虐待によって「自閉症様の」臨床像を示す子どもは極端な虐待例(子どもが頭蓋骨陥没のようなケガを負うくらいの虐待)でしか発生せず、かつそのようなケースであっても鑑別は比較的容易である、とまで言っているわけです。
その内容を、こんなカタチで自分の主張を補強するために使うというのは、まさにその部分について最大限慎重に整理しているこの本を引用するやり方として、どうだろうか?と思います。
(もう一点、この辺りについて指摘するとすれば、本書は「自閉症は(言語)認知障害である」という仮説を何度も攻撃しているのですが、具体的に誰のどんな仮説なのかがよく分からないですし、それと関連する引用も参考文献もまったくありませんので、実在するか分からない「仮想敵」を攻撃しているという印象がとても強いです。)
この本をおすすめできるか?
・・・一般的な意味では、もちろんまったくおすすめできません。
そもそも、本書の主張は、【自閉症】の問題は、当事者(つまり親)だけではほとんど解決できない(だから専門家の「解釈」が必要だ)、というものですから(いわゆる専門家主義)、親御さんが本書を買って、仮に本書の主張に賛同したとしても、そこから読み取れるのは「子どもの問題は自分には手におえない」という内容になってしまう、ということも指摘しておきたいと思います。
ただ、下の「おまけ」でも書きましたが、あるタイプの「心理の本」を読むときに必要な頭の構造を鍛えるためにはまたとないほどいい本だとも思います。
療育の本、あるいは自閉症の本としてではなく、「頭の体操の本」として買うのであれば、まあおすすめできます。
おまけ:
本書そのものがトートロジー(同語反復)的であることもあって、本書の中の表現も、やはりトートロジーの宝庫です。一見、意味があるように見えて、実は「AとはAである」と言っているだけ、というのがトートロジーなのですが、本書を読んでトートロジーを発見するのはかなりの頭の体操になりますし、あるタイプの「心理学」の本を読むための非常に重要な訓練になると思います。
ここでは、分かりやすい具体例を1つあげておきましょう。
(療育の進め方について)自閉症者が安心感を抱くようになり、少しでも職員に甘えるようになっていくとしめたものです。彼らの衝動的・攻撃的色彩を帯びた行動は、甘えた色彩を帯びたものへと変化してきます。甘えた行動は、必然的にソフトタッチなものになってきます。(初版208ページ)
この文章、「AになるとAになり、その結果Aになる」というトートロジーになっていることに、気が付けるでしょうか?
さらにおまけ:
本書は、背表紙のデザインが抜群に良く、書棚に並んでいると非常に目立ちます。
うーん・・・。
さらにもう1点:
本書は、アスペルガー症候群についての解説がとんでもないものになっています。
このような子どもは、アスペルガー障碍と言われています。最近、マスコミで犯罪との関連で盛んに取り上げられていますので、耳にしたことがある人も少なくないでしょう。(初版24~25ページ)
本書のごく最初にあるこの、ちょっと驚くような表現を否定・修正する記述は、ついに最後まで出てきません。となると、「アスペルガー障碍は犯罪との関連でよく取り上げられる障碍である」というのが、本書におけるアスペルガー症候群についての認識だということになります。
その他のブックレビューはこちら。
本当によく自閉症の本を読まれていて、よく解釈されていて、感心し、感動すらします。
そしてこの本・・・最近出たものなんですか?
絶句しました。とても悲しいです。
世の中いろんな人間がいますから、こういう曲がった捉え方をする人もいるのでしょうが、このような本が出版されることに・・若干恐怖を感じます。
自閉症についてよく知らない人が初めて取った本がこの本だったら・・(表紙を見ると、何だか読みたくなりますよね)恐ろしいです・・。
口には出さずとも、(なんだかんだ言って、虐待してたから、自閉症になったんじゃない・・酷い親・・)みたいに思う人が一人でも増えたら、たまらないです・・。
それに、杉山先生の文献を勝手に引用したってことでしょうか?まさか許可しないでしょうし・・迷惑な話ですね。
そらパパさんがこうして取り上げて下さって、情報として私も知ることができよかったし、同時に一人でも多くの人がこのブログを見てくれることを願っています。
長くなってすみません・・こんなに酷い本があると知って黙ってはいられなくなりました。
そらパパさん、いつも有り難うございます。本を買うのに大変参考にさせてもらっています♪
これからも、応援しています!
う~ん、困りましたね。この著者の方は、大学で先生をしていらっしゃって、今までにも発達障害関係の本をそれなりに出版されていますね。ここまでそらパパさんが書いていらっしゃるなら、逆に読んでみたいですね(^^;いまさら「冷蔵庫マザー」「絶対受容」はないですよね。
最近、新聞記事にも誤解を招くような表現が見られますが、こういった記事に対しては、毅然とした態度が必要ですね。これからも応援しています!
コメントありがとうございます。
本当は、「武闘派」になるつもりはまったくないんです。
実際、こういった内容の「レトロな」自閉症論は、あまり表に出ない形では今でもずっと根強く残っています。
ただ、今回は、著者自身が書いているように、「一般向けの、最新の本として」書かれているために、やはり少しは書いておかなければいけないな、と思って書きました。
ちなみに、「引用」そのものは著作権法上、無断で行なうことが認められています。(だからこそ、このレビューでも引用をしています。)
ただ、本書の問題点は、「引用せずに実際のコンテンツと違うことを書いている」という点にあります。
引用していればまだマシなわけです。
また、私自身、自閉症児への親の働きかけのよしあしによって、子どもの社会適応力に差が出てくることは間違いないと思っています。
でも、それと「自閉症の症状の原因は親の接しかたにもある」という、率直に言って「暴論」と言っていい意見との間には、天と地ほどの違いがあると思います。
少なくとも、自閉症の「原因」が親の接し方にあるという仮説は一度も確認されたことがないことだけは、強調しておくべきでしょう。
そのことと、「何らかの原因で自閉症になった子どもに対して、親の接し方を工夫して社会適応力を上げていく」という働きかけとは、本質的にまったく異なることなのです。
ご愁傷様です。
何か、自閉症児の保護者に対する偏見を再び、再開させようとする意図を感じさせる本であり、危険なものを感じています。
gestaltgeseltzさん、
まあ、そこまでひどく言うつもりはないですが、全体としてはそういうことです。
別の記事へのコメントでも書きましたが、本書も、「こころ」について一生懸命語っている割には、「こころ」とは何なのかについて何も語らず、定義もせずにいきなり使い始めます。
別の箇所では、「こころ=気持ち」みたいなことが書いてあって、その「気持ち」もまた定義されないので、延々とトートロジーに付き合わされることになります。
こういう本について語ること自体が、文章を論理的に読もうとするアプローチでは非常に苦痛なのは事実です。
ウルトラマンの父さん、
まあ今は、こうやってインターネットなどのオープンなコミュニケーション、情報発信の仕組みがありますから、狭い世界のなかで情報を操作して意図的に非論理的なメッセージを正当化しようとしても、それはそんなに簡単なことではないとは思います。
とても僭越な意見ではあるのですが、杉山先生には、ご自身の著書が誤読されているということについて、明確にメッセージを出していただきたいなあ、と思ったりもしています。
以前の「発達障害のこどもたち」のレビューでも書いた懸念(自閉症の原因が虐待と親の養育にあるといった誤解を招きかねない)が、やはりある程度現実のものになりつつあるのは事実ですので。
養護学校に通う自閉症の子を育てている専業主婦です。言語聴覚士の免許は持ってますが、わが子を育てるのには四苦八苦してます。
学生時代、心理学関連の科目は履修しましたが、体系的に心理学を学んだことはありません。このブログは心理学をどうやって子育てに生かすのか、という点で大変参考になります。感謝しています。
この本の先生の著作を初めて私が読んだのは、日本評論社の雑誌「そだちの科学」の創刊号「自閉症とともに生きる」においてです。こちらの先生が編集人のひとりになってました。この説を鵜呑みにしないで、そらパパさんの視点を持って読んだほうがいいと思いました。
これからもよろしくお願いします。
コメントありがとうございます。
「そだちの科学」創刊号は私も持っています。
自閉症児の「生きにくさ」や療育を考えるときに、養育者をはじめとする周囲との「関係」に着目するという、そのこと自体を否定するつもりはまったくありません。
私自身も、自閉症とは周囲(環境)と関わることの障害である、と考えています。
本書の問題は、そのような障害の現われではなく、自閉症の原因そのものを「関係づくりの失敗」に置こうとするところにあります。
また、そのような「関係づくりの失敗」に、養育者本人はその場で気づくことができず、「専門家」が外部から「解釈」して初めて理解されるというところにも、ある種の傲慢さを感じずにはいられません。
私は、「こころ」ということばを安易に使う人を、基本的にあまり信用していません。
なぜなら、「こころ」というのは本来とても難しい概念で、あまたの哲学の天才たちをもってしても、それが何であるかを明確に示すことはまだできていないくらいなのです。
(そしてこれは、「臨床」ではなく「実験」心理学を学ぶ学生が最初に叩き込まれることでもあります。)
本書は、そういう「こころ」をめぐる難しい問題について、改めて考えさせられるきっかけになりました。
そういう意味ではいい機会を与えてくれたのかもしれません。(^^;)
これからもよろしくお願いします。
有益な情報をありがとうございます。
自閉症の子を持つ父親です。
杉山登志郎先生と小林隆児先生が「発達障害と虐待の理解」というテーマで対談を行うそうです。受講対象は福祉職や教師の方のようです。どういう話になるのでしょうか?
私は専門職ではないので参加できませんが、そらパパさんのコメントを読んだあとでは興味がありますね。
なにか情報をお持ちでしたらご教示ください。
私はその講演は存じ上げませんが、このお二人は関係が深いようです。
http://www.nippyo.co.jp/maga_sodachi/index.htm
また、杉山氏は「虐待によってある種の発達障害になりうる」という主張をされています。
いっぽう、小林氏は「発達障害の子どもは虐待されている例がかなりある」といった話をされているようです。
それらを総合して考えると、「発達障害と虐待、これらは複合して現れることが少なくないが、どちらが原因でどちらが結果か、という問題について、昨今の論調では障害が原因で虐待は結果だと言われているが、実は虐待によって発達障害になるというパターンもある」という『理解』についての話題なんじゃないだろうか、と推測します。
個人的には、この辺りの杉山先生の説には若干ついていきにくいと感じている部分もあり、上記のような議論には疑問を感じますが。
ただ、虐待された子が、逆さバイバイをしたり、キラキラするものや回転体が好きだったりするかは大いに疑問で、たまたま似ている部分だけを取り上げて、原因を一つ(虐待)に持っていこうとすることがおかしいだけだと思います。
杉山氏は、虐待による発達障害は自閉症的態様を示す、とは言っていないようです。どちらかというと多動傾向や非行といった形で発現すると言っておられるようですね。
いずれにしても、育て方が脳の発達に何らかの影響を与える、ということ自体はある意味自明のことなのですが、それを「発達障害」というカテゴリにくくることには危険なものを感じるということです。
実際、その危惧どおりに、小林氏はこの記事で紹介している本で、杉山氏の研究を引用して「虐待によって自閉症になる」ということ示唆するような言い方をされています。
いっそ「トンデモ本レビューコーナー」を作られたいかがでしょうか。1年間そらパパさんのブログで「クリシン」と「科学の目」を鍛えてきたからこそ、この本のトンデモ具合が見抜けましたが、1年前の私なら信じてしまったかもしれません(いや、そんかことはないかな(笑))
でも、傷ついたことは確かでしょう。私にとっては「関係発達」は要注意ワードになりました。
抱っこ法のレビューでdon先生が書かれているように、「相関と因果」の混乱です。むしろこの本は因果(原因と結果)の逆転もあり、さらにその原因は原因であることすら実証できていません。
そらパパさんがおっしゃるとおり、「原因である」という「用語」を定義しようとして、新しい「用語」を持ち出しているにすぎません。
「発達とは」の章で発達の定義ではなくて発達障害についての著者の持論が延々展開されるなど、肩透かしをくわされた気分です。
序章でいきなり虐待について相当量記述されているところ、母子の愛着や母と子を「ペアとして考える」など、両者の個としての存在すら否定しているような論調には、明らかな「意図」を感じました。
ただ、この著者の本は多く「自閉症」のコーナーに並んでおり、こういう形でレビューを残していただくことにはとても意味があると思いました。
「権威」に対する「科学の目」「クリシン」はそんなに難しいことはなく、「どういう意味ですが、もう一度説明してくさい」と言ってみる、というのが大事かな、と思いました。少なくともプロは素人にわかりやすく説明する義務がありますからね。
「トンデモ本のレビュー」というのをまとめて書くことは、3つくらいの意味でなかなか難しいことですね。
第一に、立ち読みしてトンデモだと分かったほとんどの本は、私も買いません。
ある本がトンデモだ、という議論は、それなりにその本を読み込んでいかないと難しいので、レビューするためには、「トンデモだと分かっていながら散財する」という決断をしなければいけないわけです。
(もちろん、期待して買ってみたらトンデモだった、ということもありますが)
そして第2に、トンデモ本の多くは、そもそも「追いかけるべき論理が存在しない」という傾向もあります。
書いてあることに反論したくても、矛盾がいっぱいで「結局何を書いているか分からない」ということがけっこうあります。
こういう本に「反論」するのはとても骨の折れる作業です。
そして最後に、ある本を「トンデモだ」と判断する私の立場自体が絶対的なものではないという点も重要です。
「トンデモ」という「評価軸の混ざった」カテゴリを設けることは、ある意味、私の判断を権威化してしまうことでもあるわけです。
それはやりたくないので、「自閉症を知る本」といった「評価軸の混ざらない」カテゴリ分けのなかでこういった本も批評して、読んだ方自身に「ああ、これはトンデモなんだな」と判断していただきたいと考えているわけです。
ともあれ、ご指摘のとおり「自閉症の療育にはクリシンがとても大切だ」ということは、当ブログの主要テーマの1つですし、これからも折に触れてメッセージとして伝えて生きたいと思っています。
1つめのポイントについて、以前から「購入されてからのレビュー」と書かれていたのに、考えが足りませんでした。
ポイント2について、本レビューもそうですが、コメントへのやりとりも拝見していて、どのような主張にもクリティカルで論拠を提示する姿勢を貫かれていることに敬服していますし、勉強させてもらっています。(仕事にも影響があるぐらいです(笑))
3つ目のテーマ(絶対化、権威化)は、私としてはそらパパさんが最も注意していらっしゃることのひとつではないかと感じています。「自閉症を知る本」が評価軸の混ざらないカテゴリーというのは、気づいていませんでした。クリシンの勉強のためにも参考にさせていただきます。
いたらここを見つけました。質問があるのですがよろしいでしょうか?
>少なくとも、自閉症の「原因」が親の接し方にあるという仮説は一度も確認されたことがないことだけは、強調しておくべきでしょう。
とのことですが、自閉症の原因が遺伝的な脳の異常等の先天的なものであるという仮説が確認されたことはあるのでしょうか?もしそうであるのであれば調べたいのでお手数かとは思いますがソースを教えていただけないでしょうか?
というのは私が小学生のとき、自閉症ともとれるような異質な子がいたのですが、その子の母親はとても高圧的で支配的な人間でした。
また、自閉症とは違うと思いますが秋葉原事件の加藤智大被告の母親のエピソードを読んでみても、親の子供へのかかわりあい方が子供の発達と無関係だとは思えないからです。
コメントありがとうございます。
ただ、コメントを拝見して感じたのですが、自閉症というのがどういう障害か、正確にご存知ではないのではないか、という点を危惧します。
「変わった子、異質な子」がみんな自閉症なわけではありません。
たった1例のエピソードで判断をされていますが、私は自閉症の子の親として、たくさんの同じ障害をかかえるお子さんの親を知っていますが、みんなごく普通の親です。逆に、高圧的・支配的な親をもつ子どもがみんな障害をもっているわけでも当然ありません。
もちろん、親の子どもへのかかわりが、子どもの発達(というか、行動)にある程度の影響を与えるのは当然のことでしょう。親だけでなく、すべての周囲の人間のかかわりは、人の行動に影響を与えます。
でも、エントリでも触れているとおり、親の養育態度によって「自閉症になる」という関係が見出されたというのは、少なくとも私は知りません(こちらもエントリで触れている、杉山先生の「第4の発達障害」と言われる著しい虐待例 http://www.amazon.co.jp/dp/4054033652 は例外的存在です)。
その一方で、自閉症の原因はまだはっきりとは分かっていないものの、何らかの先天的な異常を示唆する研究結果は、特に最近になっていくつか登場してきています。例えば:
http://www.rikenresearch.riken.jp/jpn/research/4927
http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011030701000505.html
たまたまですが、昨日もこんなニュースが出ていました。
http://www.medicalnewstoday.com/releases/245553.php
自閉症の子どもでは、生後6ヶ月の段階で、首周りをはじめとする全身の筋肉の協調運動が健常の子どもに比べて遅れている、とする研究です。(これが事実なら、明らかに親の養育態度は無関係です)
こういった各種研究は、「本来はまったく健常のはずの子どもが、親の養育態度によって自閉症という障害ある状態になる」という仮説とは真っ向から対立する(否定している)、ということは理解していただけると思います。
早速のレスどうもありがとうございました。
大変勉強になります。
ご指摘のとうり私は自閉症について正確に理解していないと思います。
そこでまた教えていただきたいのですが、チャウチェスク・ベビーと自閉症児はどのような点が異なっているのでしょうか?
私はチャウシェスク・ベビーのことはよく存じ上げません。
最初にいただいたコメントも含めて、発達障害(厳密には「自閉症」ではないです)と「親のかかわり」について、最初から特定の方向性の関心をお持ちのようですので、その関心にぴったりの資料として、既に出ていますが、杉山先生の「子ども虐待という第4の発達障害」をおすすめします。
http://www.amazon.co.jp/dp/4054033652
チャウシェスク・ベビーと「発達障害」との関係についても、こちらで触れられていますし、親の子どもへのかかわりと発達障害との関連性についての、日本の第一線級の研究ですので、参考になると思います。
本のご紹介ありがとうございます。
誤解していただきたくないのですが、別に
自閉症の原因すべてが親とのかかわりあい、若しくはその他後天的環境によるものではないか?と疑っているのではありません。脳はストレスにより萎縮するようですが、ご紹介いただいた
http://www.rikenresearch.riken.jp/jpn/research/4927
のCADPS2遺伝子の欠損と同じような状態が各種ストレスにより後天的に発生し、それが原因で自閉症と全く同じ言動がみられ(第四の発達障害?)、それが遺伝子レベルの問題に由来する本来の自閉症と同じ自閉症として診断されているという可能性はないのでしょうか?
私は決して、あなたが「すべてが親のせい」だと考えている、とは言っていません。
もちろん、杉山先生の本もそんなことは言っていません。
そうではなくて、この本が、これまでの数々のご質問に、一番的確な答えを提供するものだろう、ということでお答えしているものです。
そして今回の質問(毎回、こちらのコメントにはまったくお応えいただけずに、次から次へと新しい質問をされますが…)は、「悪魔の証明」を求めるものですね。
疫学的な、ある仮説の可能性が「ない」ことを証明する(=悪魔の証明)のは事実上不可能です。
ですから、「ある」と主張する側がそれを証明しなければならないわけですし、まさにご紹介している杉山先生の本は、その「ある」可能性について掘り下げている本だと理解しています。
何度もお答えしているとおり、杉山先生の本が、平易に読めて、しかも関心をお持ちの領域についての日本でも屈指の研究ですから、そちらをお読みになるのが最も近道だと思います。
ついでにいえば、同じ杉山先生の「発達障害の子どもたち」は、自閉症を含む発達障害全般の平易な入門書ですから、そちらも合わせて参照されてはいかがでしょう。
お忙しい中コメントしていただきありがとうございます。また、不愉快な思いをさせてしまったようで申し訳ありません。
そらパパ様は虐待(?)による自閉症のような症状の発生について非常に懐疑的であるように
お見受けしましたので、何かその根拠となる情報をお持ちなのかと思い、一連の質問をさせていただきました。ご紹介いただいた本を読んでみることにします。長々とお付き合い&ご教授いただきどうもありがとうございました。
おはようございます。粘着失礼いたします(宣言)
失礼なレスをしてしまったかのような反応があったのでとりあえず謝罪しましたが、何か納得いかない感があったので今日一日中何が納得がいかないのか考えるとともに私の最初のレスの「高圧的で何か異様な印象を与える親を持つ言動がおかしい子」がそのような症状を示すに至った原因をググってあらためて調べてみました。(本当は紹介していただいた本とそらパパ様の本を読みに本屋に行きたかったのですが時間がなかったものでw)ちなみに私がその子を自閉症と言ったのはその子の親や教師がそのように言っていたからです。今から25年以上前の話ですが(笑)ちなみに私は単なる好奇心で調べてるので細かくカテゴライズされている広汎性発達障害内の名称とか興味ありませんのでw
①まず私に対するレスについてです。
>疫学的な、ある仮説の可能性が「ない」ことを証明する(=悪魔の証明)のは事実上不可能です。
別にそんな無茶な証明求めておりませんよw
お互いにそんなことは不可能だとわかっていますよね。ただどう思うか聞いてみたかっただけです。そんなことには興味ない?(*;ω人)ゴメンネ...
>逆に他人に意見されたくない人は、自分に意見することのコストを徹底的に上げまくるよね。
これは私に対しての嫌味でしょうか?被害妄想
でしたら申し訳ありません。タイミング的にぴったりなもので邪推してしまいました(笑)でもそうだとしたらそうとう性格悪いですよね~σ(∧_∧;)エ、ワタシモ?
②周囲の大人が自閉症と読んでいた子について
ググってみて今日はじめて知ったんですがDSM-ⅣとICD-10とやらで定義されている反応性愛着障害というものじゃないか?というのが現在の私の結論です。
これについては東京大学文学部心理学専修課程卒業後認定心理士の資格を取得して外資系金融機関にお勤めの頭脳明晰なそらパパ様なら当然私よりお詳しいですよね。でもなんでこの単語が出てこなかったんだろう(o゜ー゜o)??
あ、ご専門は自閉症でしたよね。すみません。
以上です。
粘着は趣味なもので放置していただいてかまいません。慣れてますので(笑)
また、できれば今月中にでも池袋のジュンク堂でご紹介いただいた本とそらパパ様の本を座り読みしてくる予定なので感想などを報告させていただきます。(←いやがらせかよ!)でも頭悪いので理解できるかどうか心配です(笑)ではまた~
前後のツイートを読んでいただければ分かるとおり、引用されたツイートはこのエントリやコメントとは何の関係ありません。
(コメントでお答えできることを、わざわざそんな回りくどく発言するようなことはしません。)
しばらくコメントをお返ししていましたが、今回のコメントも含め、生産的にやりとりをされる気はないように見受けられますので、ここまでのコメントの削除も含め、今後は対応させていただきますので、ご了承下さい。
>少なくとも、自閉症の「原因」が親の接し方にあるという仮説は一度も確認されたことがないことだけは、強調しておくべきでしょう。
私は、ネグレクトや虐待による「愛着障害(=変な子)」と先天的な「発達障害」は現時点でははっきり区別できないのにもかかわらず、「私は親のネグレクトや虐待により自閉症になったというケースを知らない」というそらパパさんのレスに違和感をもったから粘着したわけです。
はっきり区別できない以上、厚生労働省の発達障害の定義が「先天的な障害である」というものであっても意味はありませんよね?というか杉山先生の本を読んでいるのに何故このような発言ができるのか理解に苦しみます。おそらくは先天的な自閉症児の親御さんに対する配慮と書籍の売上の問題、ご自身の自閉症児の親のコミュニティーでの立場というものを考慮しているものだとは思いますが。
無論そらパパさんの娘さんのように比較的重い症状のケースは遺伝要因の影響が強いものだと思いますが、発達障害の原因を十把一絡げに論じるのは危険だと考えたため、一連の書き込みをしております。
また、このブログは先天的な遺伝子の影響(おそらくは、ですが)による重度自閉症児の親御さんがメインターゲットで、書き込みもそのような方がほとんどであるということは無論承知しています。
しかしながら本を出版し、発達障害の問題を社会に発信することができる力を持った人間には、正確な情報を供給する責任があると考えます。ちなみに私はADHD当事者ですのでこのような発言をする権利があると考えます。また、ご存知でしょうが発達障害関連のワードでググるとこのブログがかなり上位にくることも付け加えておきます。
参考
●回避性愛着障害~絆が稀薄な人たち~
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/B00HK6ZSL8/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
自閉症スペクトラムと回避型愛着スタイル(P53)
従来、遺伝要因が強いと考えられてきた自閉症スペクトラムだが、近年では、遺伝要因の関与は想定されていたよりも小さく、養育環境などの環境要因によっても、かなり左右されることがわかってきた。
スタンフォード大学の研究チームが行った最新の双生児研究(Hallmayer et al.,2011)では、遺伝要因の関与は四割未満という結果が示されている。ネグレクトを受けた子供でも、自閉症スペクトラムと見分けがつきにくい状態を呈することがある。これは、抑制性愛着障害と呼ばれるが、実際には、自閉症スペクトラムや広汎性発達障害として診断されていることが多い。
●自閉症という謎に迫る 研究最前線報告
(自閉症についての研究まとめ)
p109
遺伝子の個人差や変化が自閉症発症に与える影響が少なくないことは、これまでに説明したとうりです。同時に、生後の環境が遺伝子発現に与える影響も無視できません。(中略)自閉症は遺伝するかしないのか、先天的か後天的かといった二者択一的な問いかけ自体に無理がありそうです。(中略)
現在は、自閉症は先天性の障害であり、育て方が原因でないとする見解が多く受け入れられています。しかしながら、育て方が原因でないとしても、育て方を軽視してよいことにはならないでしょう。感染症、免疫異常、環境中の化学物質を中心とした後天的遺伝子要因の研究は今後も続くでしょう。
●子ども虐待という第四の発達障害
P67
「(自閉症みたいな症状の子供の)年齢が高い児童においては変化(愛着障害と発達障害と症状の差の)が乏しく、このことがとても気になる。つまり、10歳前後の症例においては自閉症類似の症状が既に固まっていて、臨床所見の変更が見られないだけという可能性も否定できないからである。」
ツイッターの件はすみません。被害妄想が強いようです。(多分ADHDの影響)