自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る
著:ニキ リンコ
花風社
目次
品川、北品川、新馬場
「自分にはわからない世界」との和解
大人になってよかった
舞台裏に回ってみよう
自分も使う強調表現
お金は想像を簡略化してくれる
自分を基準にしても、人のことはなかなかわからない
無害なまちがいは楽しくリサイクル
苦手な状況そのものを作らない
最初に「悪くない」と書きましたが、レビューを書くのはちょっと難しかったりします。
というのも、このシリーズ、非常に似た内容のものがたくさん出ているからです。
とりあえず私が把握しているだけで、わずかここ3年ほどの間にこれだけ出ています。
・自閉っ子、こういう風にできてます!
・俺ルール! 自閉は急に止まれない
・自閉っ子、深読みしなけりゃうまくいく
・自閉っ子、自立への道を探る
・自閉っ子は、早期診断がお好き
・自閉っ子における モンダイな想像力
そして、今回の「自閉っ子、えっちら おっちら 世を渡る」につながる、ということになります。
私自身は全作読んでいますし、今こうやって確認してみると、全作について(多少短いのもありますが)レビューも書いていることに改めて気づきました。(笑)
そんなわけで、もちろん嫌いなシリーズではないのですが、正直、2冊目以降はちょっとマンネリ傾向が続いていてるな、とは感じています。
(まあ、同じ人が同じようなテーマで書いているんですから、当たり前といえば当たり前です)
ただ、今回、面白いなと思ったのは、
・扱われているテーマが「社会的適応」である。
・すべての章について、ニキリンコさんが書いた内容をベースに、ニキさんと花風社の浅見さん(確か、社長さんですよね)がちょっと長めのディスカッションをするパートが追加されている。
この2点ですね。
いまちょうどシリーズ記事でも書いているとおり、自閉症とか障害をめぐる今の私の最大の関心ごとの1つは「適応」です。
具体的には、障害をもった「からだ」が、この「せかい」に対してどのように適応していくのか? といったことや、問題行動を、ある種の「適応行動」ととらえて対応を考えるとうまくいくんじゃないか? とか、私たちの「療育」は、本当に障害をもった子どもにとって「適応」を改善する方向に向かっているだろうか? といったことを、最近は強く意識するようになりました。
本書は、知的には遅れのない(むしろ、プロの翻訳者として非常に高い言語スキルを発揮している)アスペルガー症候群の著者が、それでもさまざまな領域に及ぶ社会性や認知面における(自閉症スペクトラムならではの)困難を、どのように自分なりに認識し、自らの努力によって「適応」していったかというストーリーが、いくつかの典型的な事例をベースに語られていきます。
そして、1つのエピソードが終わると、今度は「それを今読んだ」という設定の花風社の浅見氏との対談パートが始まります。
ここでは、浅見氏は「定型発達者」としての視点から、そのエピソードに対していろいろな意味づけや、「定型発達者ならこう考える、こう対応する」といった話を投げかけていきます。そしてそれに対して著者が答えるといった形で活発な議論が重ねられていきます。
この対談パートはなかなか面白いです。
そういえば、私がこのシリーズの中で今でも「一押し」だと思っている、1冊めの「自閉っ子、こういう風にできてます!」も、浅見氏を交えた対談が全体のかなりの部分を占める本でした。
ニキさんの、良くも悪くも「自分を中心に」書かれたさまざまなエピソードは、浅見氏の言葉が重ねられることよって、いい意味で相対化、客観化されます。
それによって、読者である私たちは、そのエピソードをどのように解釈して何を読み取れば、一般化可能な「自閉症論」として理解できるかということについて、一つのヒントが与えられる形になっているのかな、と思います。
エッセイとして気軽に読んでも面白いですし、今言ったように、たった1人の、しかも極めて個人的なエピソードの集まりから、一般化された「自閉症論」をじっくりと読み解いていくという、かなり難しいけれども取り組みがいのある読み方にも耐えうる内容になっていると思います。
最後に、やっぱりニキさんってすごいな、と思ったのが、このセリフ。
そう、景気って大事だと思う。行政の人に、当事者として望む支援を訊かれて「景気を良くして下さい」って言ったこともある。(初版293ページ)
身もフタもない話ですが、福祉というのは本質的には「富の再配分」なので、「景気が良くなることが福祉水準の向上につながる」というのは真理だと言っていいでしょう。
それが当事者として見えているというのは、本質を見抜く実に鋭い目を持っている、ということだと思います。
(つまりこれは言い換えると、景気が停滞し、右肩上がりの成長が望めなくなると、福祉の水準は切り下げられていかざるをえない、ということの裏返しでもあります。現在日本で起こりつつあることは、まさにそういうことなのだと理解しています。)
ともあれ、このシリーズの中でも、本書はお勧めできる本だと思います。
「自閉っ子、こういう風にできてます!」以降、このシリーズを読んでいなくて、気づいたらたくさん出すぎていてどの本を読むのがいいのか分からない、という方にもいいんじゃないでしょうか。
※その他のブックレビューはこちら。
さて、本来ブログのコメントで本の紹介を書き込むのは×なのでしょうが、そらまめパパのブログの影響力は大なので、紹介させてください。
子どもたちが通っている通所療育施設を運営している事業団が、服巻繁先生監修で、生活支援の絵カードデータ集の本を出されました。「自閉症の子どもたちの生活を支える すぐに役立つ絵カード作成用データ集」(エンパワメント研究所:1500円)です。Amazonでは現在品切れのようですが、もし書店でお目に留まった際には、ぜひ。CD付で、イラストがJpegファイルで入っています。そらまめパパさんのテンプレートにはれば、即絵カードができます。
みなさん、ぜひ見てみてください。
すみません、以上ご紹介でした・・・。
「適応」のシリーズ記事は、なかなか難産です。
書きたいことは山のようにあるはずなのですが、それをうまく記事に構成するのがとても難しいですね。
また、ちょっと気を緩めると簡単に哲学的なほうに走ってしまいかねない話題なので、そのあたりも苦労しています。(忙しくて時間がなかなか取れないこともありますが(^^;))
さて、ご紹介いただいた本、なかなかよさそうですね。でも確かにAmazonでは買えないようです。ちょっと買えるところを探してみようと思っています。
情報ありがとうございました!
さて、そらまめパパさんの「適応」記事を読んでいて思ったことを一つ書き込みたいと思います。
工学的な意味での「適応」では、ある「理想状態」があって、その理想状態に制御対象を近づけていくために、コントローラが設計パラメータを変更していきます。その際の評価関数は「理想状態」と「現実」との差です。ここで大事なのは、①理想状態をどう設計するか、ということと、②現実をどう(何をもって)認識するか、ということです。「安定に」適応調整がなされるための必要十分条件もいろいろと数学的に導かれていますが、実際に「適応制御系」を構成してモノを動かすときに大事なのが、上記の①と②です。あまりに高い理想は実現できないし、現実を認識するのに、リーズナブルでない情報からは現実が認識できない、ということです。
工学的な立場からのコメントなので、あまり参考にならないかもしれませんが。
以上
もちろん、その「適応」の話は出てきます。
大学の卒論のサブタイトルが「適応過程としての和音知覚」で、中身がニューラルネットと自己組織化だったくらいなので(笑)。
とはいえ、根が文系ですので、あまり正確でない文系的理解ではあるのですが・・・。(^^;)
今、ニキリンコさんの最新刊「スルーできない脳」―自閉は情報の便秘ですー(生活書院)を読み終わりました。
私は、この本で、そらパパの「一般化障害仮説」(難しい)の理解が深まった気がします。そらパパのブックレビュー楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
「スルーできない脳」は、既に書店で発見していたのですが、立ち読みしてみたところ、いままでのニキさんの本と内容がほとんど同じように思われたので、まだ手を出していないんです。
もし今後入手することがあったら、そのときはぜひレビューを書きたいとは思っています。
※余談ですが、「一般化障害仮説」、難しいですか?(^^;)
この仮説については、自閉症療育のど真ん中の方よりも、やや周辺の方から、けっこういろいろ反響をいただいています。もしかすると、自閉症というものを「少し外から」見たときに、より共感いただける仮説なのかな、と思ったりもしています。