2008年06月30日

「適応」という視点(13)

「適応という視点」のシリーズ記事は、今回が最終回になります。

自閉症児が抱える大きな困難の一つとして、自分の行動の結果としての環境からのフィードバックを適切に処理する能力の障害が考えられます。
それによって、健常児なら引っかからないようなちょっとした「部分最適行動」から抜け出せなくなり、あまり望ましくない(全体最適でない)行動が固着してしまうのではないかと考えられます。

tekio11.gif

こう考えてくると、自閉症児が、行動のレパートリーが少なく、特定の「こだわり行動」を持ちやすいという問題と、環境とのかかわり(フィードバック処理)の能力が不足していることとが密接に関連している可能性が見えてきます。

「こだわり」行動ということばはまさに私たちの「解釈」です。
私たち自身も生活のなかにさまざまな「パターン化された」行動をもっているのに、それが「こだわり行動」と呼ばれないのは、単に「私たちにとって全体最適で他の行動に変える必要がないから」に過ぎません
ですから自閉症児も同様に、「自分としてはうまく適応している」行動として「こだわり」行動を続けている可能性があるわけですね。

でも、その「こだわり」行動をあえて修正していくことが、子どもにとっても利益になる、と私たちが判断するとき、そこに「療育的働きかけ」が生まれます。

環境からの複雑なフィードバックを知覚する(受け止める)能力に弱さを持つ自閉症児に働きかけるわけですから、ただ行動パターンだけを取り出して、それを変えていこうとするのではなく、その新しい行動に対するフィードバックそのものにも働きかける(例えば、強化子を即時提示するなど、ABA的な分かりやすいフィードバックを意図的に与える)ことが必要だということも、自然と理解できると思います。


ところで、ここで重要なことは、この「フィードバックを受け止める能力(が低いこと)」それ自体が、自閉症児の認知能力に基づく「からだ」の制約条件になっている、ということです。
そして、この能力も、療育的働きかけによって改善することが可能なのです。

だとすれば・・・?

もうお分かりだと思いますが、「『からだ』の制約条件」それ自体も、障害があるから認知力がひくい、といった固定的・静的なものとしてあるのではなく、療育的働きかけの「生きている」ダイナミズムの中にあるのです。

このイメージ図における、「適応度カーブ」の形も、そのカーブの上での「探索のしかた」も、「現在地」も、すべてが互いに連動しながら常に変化していきます。それが、「発達的適応」の過程です。
療育的働きかけとは、このダイナミズムの中に自らの身を投じ、時に予想を裏切る「ダイナミズムの変化」に翻弄されながら、それでも現在地と目標を見失わずに子どもを導くことなのだ、と思います。

療育は、生きものです

療育という働きかけによって、自閉症児の「からだ」と「せかい」の制約条件は複雑にからみあいながら、変わっていきます。それが「発達的適応」です。
そして、その療育というダイナミズムに身を投じている私たち自身も、必然的に変わっていくのです。

それらすべてを含めた、いわく言いがたい「生きてうごめく何ものか」が、療育という取り組みの真の姿なのだ、と思います。


最後に、蛇足的な文章を。(興味のない方は読まなくて大丈夫です)

最後は散文的な結論になってしまいましたが、これはひとえに私自身の文章力のなさのせいだと思います。
この辺りの考え方にもっとも近い思想は、恐らく「オートポイエーシス」という考え方だと思っています。
一応、WikiPediaにリンクを張ってみましたが、ここの解説も含めて、オートポイエーシス理論はものすごく難解ですね。私自身も、理解できているかどうかさえも正直よく分からなかったりします(笑)。
ただ、オートポイエーシス理論を学ぶなかで、今回の記事でまとめたような、「自己が自己を書き換えるような療育のダイナミズム」に気づいたのは事実です。

以下は、オートポイエーシス理論に関連する、恐らく唯一の「一般啓蒙書」ですのでご紹介しておきたいと思います。(でも、これも難しい本です。)


哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題
著:河本 英夫
日経BP社



最後に:

今回のシリーズ記事は、どんな療育の情報源にも出てこないような(でも重要な)視点を提供したいということで書いてきましたが、一方で、ややテクニカルで難解な方向に行き過ぎたなあ、と反省しています。

この後のシリーズ記事は、もっと肩の力を抜いて読めるものや、より実践的なものを予定していますので、よろしくお願いします。
posted by そらパパ at 22:00| Comment(9) | TrackBack(0) | そらまめ式 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
JKLpapaです。「適応」シリーズ、お疲れ様でした。
療育のダイナミズムということについては、実際に日々子供たちに接している当事者の方々にはよく実感できることだと思います。「やっと、うまく適応できたかと思ったら、別の問題が・・・。」とか、「やっと落ち着いたと思ったら、違うこだわりが・・・。」とか、日々更新の毎日ですね。それでも長い時間的スパンで見たときに、大きく後退するときがあります(いわゆる折れ線です)。「ここまで後退するか?!」という感じになりますが、それをどうにか乗り越えると、後退前よりも、大きく前進していることが多々あります。おそらく、部分最適をうまく療育的働きかけで飛び越えることができたのでしょうね。
 工学と発達での「適応」に関する大きな違いは、このダイナミズムでしょう。理想状態まで変化してしまうと、数学的な評価関数は設定できません(安定性が保証されないからです)。すべては一時も休まず変化していく、という教えは、私は仏教から学びました。
新しい連載、期待しています。
Posted by JKLpapa at 2008年07月01日 09:31
そらパパさん、こんにちは。このシリーズの途中からこちらのブログにおじゃまするようになり、本記事は興味深く読ませていただいていました。
「問題行動」や「こだわり」も、子供たちの身体条件に合わせた「適応」なんじゃなか、と気づくきっかけになりました。シリーズ記事を全部読ませていただいてからコメントしようと思っていましたが、なかなか時間がとれないまま最終回になり、ここでコメントさせていただきます。
数週間前に連載を読んでいて、ふとアスペの娘の方が実は要求を「ことば」で表せてなく、唐突に手を出す、「クレーン」の動作で要求していることに気づきました。他のことばが流暢なので、5歳の今まで気づかなかったことです。気づかなかった、というよりは、問題行動ととらえていたかもしれません。ただ、彼女の語彙力で絵カードというわけにはいかず、(もう小学生向けの本が読めてしまいます)心理士の先生にも相談して、少しづつことばによる要求の方に最適化させていければと思います。
個別最適の問題で難しいのは、親が全体最適化されたイメージをもつことです。たとえば「クレーン行動」なども、一般の育児書には書かれていない発達過程ですよね。以前にそらパパさんに言われたように、最初の療育ニーズへの「気づき」が重要なのかもしれません。自閉症の本を手にとってみるまでが、最初の山かと思います。次に、個別最適の状態で、なんとなく親も居心地がよくなってしまって、一歩踏み込めない状態です。2歳の息子の場合、クレーンから少しことばと指差しによる要求がでてきて、絵カードを本格的に導入するのとどっちがいいのか迷います。
絵カードは手間と息子のことばへの適応の度合いとのバランスですね...
他にも、自分かきづいていないで、親子ともども個別適応状態になっているものがいろいろあるんだろうな、と思います。そういうのがわかる、レーダーチャートみたいなのがあればなぁと思うこのごろです(笑)。
Posted by ピッカリママ at 2008年07月02日 11:10
皆さん、コメントありがとうございます。

JKLpapaさん、

私は原始仏教も好きで、「ブッダのことば」は高校生のころから読んだりもしているのですが(ただの哲学として読んでいて、信仰があるわけではありませんが・・・)、私は仏教からはどちらかというと「動」ではなく「静」を感じ取っていたような気はしますね。(流転することも含めてわれわれが知覚することは「色」であり、それはすなわち「空」である、と。まあこれは般若心経ですが)
自分の中で、今回の記事のインスピレーションの源泉はやはり「オートポイエーシス」にあるような気がしています。

ところで、宗教がらみということでいうと、例の「やる夫シリーズ」で、最近完結した「やる夫がキリストになるようです」という、キリストの生涯を描いた作品が大傑作です。(私は読んで真面目に感動しました。)

http://yaruomatome.blog10.fc2.com/blog-entry-240.html

2ちゃんねるは嫌いとかキリストなんて知らないとか、ぜひそういう先入観抜きに読んでもらいたい「名作」だと思います。


ピッカリママさん、

もし今回のシリーズ記事や、当ブログの一連の記事が、そういった「子どもの行動の『意味』の再発見」につながったのだとしたら、これほど嬉しいことはありません。
なぜなら、当ブログで一番、一番伝えたいことは、まさにそこだからです。

ピッカリママさんが手にされた新しい「視点」は、まさに科学としての心理学の視点です。心理学は読心術とは違いますが、ヒトの行動の「意味」を、常識にとらわれずにとらえなおすことができる、スリリングな学問だと思っています。
そんな、「科学としての心理学の視点」をもつことこそが、「自閉症という障害を生きる子どもの世界」を理解するための、一番の近道になると確信しています。

これからもよろしくお願いします。
Posted by そらパパ at 2008年07月02日 21:54
こんにちは。
6才自閉症の娘をもつ母です。

こちらのブログではそらまめパパさんの自閉症に関する見解や療育などについて書かれていて、いつも勉強させていただいています。
ところで、そらまめパパさんは、お嬢さんとのかかわりはどのようになしていらっしゃるのでしょうか。

奥さまのブログも拝見させていただいていますが、奥さまとお嬢さんとのかかわりについてはすごく具体的に書かれていますよね。

家族で旅行した話はよく出てくるのですが、パパさんとお嬢さんが二人だけで何かしたとかいう話は出てこないので、どういうふうなのかな、と思いました。

そらまめパパさんは、奥様がいない時はお嬢さんとどのようにかかわっておいでなのでしょう。
奥様ぬきで、お嬢さんと二人だけでおでかけになることはありますか?

ブログのテーマと外れるかもしれませんが、たまにはこんなテーマのお話も聞いてみたいです。
Posted by こうし at 2008年07月05日 13:35
こうしさん、こんにちは。

既にお察しのとおり、このブログは、どちらかというと療育そのものをテーマにしていて、個人的なことについては、基本的には妻のブログのほうに譲るというスタイルになっていますので、このブログでは娘の話はかなり少なくなっていますね。

休日は、だいたい家族3人で外出して昼食は外食して、午後戻ってきて家にいる、という感じでしょうか。
もちろん、妻に休日予定が入って別行動の(昔の友達と会って食事したり買い物したりといった)予定が入ったときには、娘と二人で留守番します。
そういうときは、公園に連れて行って、帰りにマクドナルドで昼食、とか、そういう感じで遊ばせることが多いですね。

レジに並ぶのが難しいので、親子2人で外出するのは結構難しいです。(妻のブログをよく読むと分かりますが、2人で外出しているときは、ファーストフードを除いて、外でレジに並んで食事をとるのをうまく回避していることが多いはずです。)
なので、休日は親子3人まとまって行動する場合がほとんどですね。

今回のように、特に「堅い」内容の記事はいったんお休みする予定ですし、また機会があれば、このブログにも、娘との話も書いていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
Posted by そらパパ at 2008年07月05日 15:08
私、オートポイエーシスの研究者です。「オートポイエーシスの黒板」なるブログを開設しておりますので、よろしかったら訪れてみてください。
Posted by 山人 at 2008年07月07日 22:24
山人さん、

コメントありがとうございます。
「オートポイエーシスの黒板」ですが、ググって調べてみたら以下のブログにたどり着きました。

http://blogs.dion.ne.jp/autopoiesis/

これは、すごく面白いブログですね。
内容の密度が濃くて簡単には読破できないですが、ちょくちょくお邪魔して読ませていただこうと思います。

興味を持ったので、「オートポイエーシスの世界」も、Amazonのマーケットプレイスから注文させていただきました。(なので、その連絡が届くと思います。)

自閉症の療育が「オートポイエーシス的」なのかどうかは、理論への理解が不十分なのではっきりとは分からないのですが、養育者と被養育者との間の相互作用によって、適応マップ上を全体最適に向かって動いて「自己組織化」していくだけでなく、その最適化の動きの結果として、さらに「新しい療育課題」、つまり適応マップ自体が新たに生成され続けるところから、療育的働きかけはシステムとしてオートポイエーシス的にとらえられるのかな、と考えて、上記のような記事のまとめ方をしてみました。

これからもよろしくお願いします。
Posted by そらパパ at 2008年07月08日 00:33
拙著のお買い上げありがとうございます。アマゾンからは本名で注文が来ますので、どれがそらパパさんなのかわかりませんが。ご質問などございましたら、ブログの方へどうぞ。
ちなみに教育も治療もどちらもオートポイエーシス的な試みです。オートポイエーシス・システムに撹乱を与えて、期待する方向に導こうとするコミュニケーション・システムですから。
Posted by 山人 at 2008年07月22日 10:06
山人さん、こんにちは。

お送りいただいた本、すでに届いていて、他の本と並行しながらですが読み始めています。

私は、オートポイエーシスは自閉症療育とのつながりで関心があるので、もう1冊の「オートポイエーシスの教育」も買わせていただきました。

コメントが少し遅くなったのは、療育(教育と言い換えてもいいですが)というのは、ある既存のオートポイエーシス・システムに擾乱を与える試みとしてだけではなく、療育という働きかけ(相互作用のなかにあるもの)そのものが、オートポイエーシス的な実存としてとらえられないか、ということを考えていたからです。

オートポイエーシスは、物理的なモノとは独立に実存している(まあ、この「実存」という言い方自体を考えるだけでものすごく大変なことだとは思いますが)と理解しています。だとすると、「療育」という営みも、そういう意味でオートポイエーシス的に「実存」するんじゃないだろうか、と妄想したりします。

その辺りを、私はまだしっかりと文章にすることができません。
この記事の後半でモニョモニョ書いていることは、まさにその辺りのことなのですが、この辺りをもう少しまともに文章化できるようになったら、またご質問させていただくかもしれません。
Posted by そらパパ at 2008年07月24日 22:18
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