私たちはここで、前半で書いた「適応」の本質に戻る必要があります。
適応というのは、与えられた「からだ」と「環境」という2つの制約条件によってどのような道筋をたどるのかが決まります。
つまり、「自閉症児である」という「からだ」の側の制約によって、たとえ同じような「環境」の下にあっても、私たちとは適応のあり方(どのような行動がどの程度の適応度を持つのか)が異なってくるということです。
「絵カード」と「音声言語」の例を引き続き使うならば、かなりの割合の自閉症児にとっては、「絵カード」によって(あるいは併用して)コミュニケーションを行なうことのほうが、純粋に音声言語だけでコミュニケーションを行なうことよりも適応度が高い状態にある可能性があります。
「適応度のマップ」は一人一人が異なったものを持っており、療育的働きかけは、この適応度マップがどのような山・谷を描いているのかをしっかり頭に描きながら行なわなければならないのです。
こういった考え方は、TEACCHの中には既に含まれていますね。つまり、TEACCHの「自閉症児の特性を知り、その特性に合った働きかけをする」という療育観が、それにあたります。
さて、それではこのようなケースの場合、音声言語を教えることは永遠に「行なうべきではない不適切な働きかけ」でありつづけるのでしょうか。
そんなことはありません。
いきなり、現状を省みずに「絵カード」から「音声言語」に向かおうとすれば問題が起こりますが、焦らずに、地道な取り組みによって子どもの認知能力を高めることによって「適応度のマップ」を変化させることができれば、やがては「絵カード」よりも「音声言語」のほうが適応度が高い状態を作り出すことができるでしょう。
そうすれば、もはや音声言語へ向かう働きかけにとって障害となるものはありません。
次回はいよいよ、今回のシリーズ記事で一番書きたかった、「適応的視点」から見た、療育的働きかけの本質について書いていきたいと思います。
(次回に続きます。)