前回書いたとおり、パニックへの対処法としてのタイムアウトには、
①積極的な消去を行なうというよりは、その行為が間違っているということを明示することを主たる目的にする。
②「放置」ではなく、「拘束」の方向性に持っていかざるを得ない。
という2つの方向性があると思います。
前回、①について触れましたので、今回は②の視点について書いていきたいと思います。そして、その視点から、ふたたび「抱っこ法」を取り上げます。
その②についてですが、パニック時には、自傷や器物損壊などのリスクとあわせて、暴れること、叫ぶことそれ自体も自己刺激的な強化子になっている可能性が考えられますので、同じタイムアウトでも、何もない部屋に放っておくというよりは、子どもをしっかり拘束してパニックを抑制するほうが、より「消去的」であると考えられます。
子どもがまだそれほど力をつけていない段階であれば、パニックを起こしたときに、子どもをしっかり拘束し、かつ、子どもに注目したり声をかけたりといった「ごほうび(強化子)」を与えることなく(できるだけ目線も合わさず)、ただ淡々と子どものパニックが静かになるのを待つという「タイムアウト」を行なうことができるでしょう。可能なら、「後ろから拘束する」ことで、このような拘束的なタイムアウトを比較的容易に実施できると思います。
そして、やがてパニックが収まったらすぐに目を合わせ、ほめ言葉をかけ、それが欲求のパニックであれば、静かに代替行動に誘導したうえで欲求をかなえてやるといったように「ごほうび」をたくさん与えます。
これは一見「抱っこ法」にそっくりです。
でも、オリジナルの「抱っこ法」とは正反対に、抱っこをしている間は、子どもの反応を徹底的に無視し、声もいっさいかけません。
さらに、このような「抱っこ」という行動に対して「愛情表現」といったあいまいな概念を使わず、「マイルドな罰としてのタイムアウトの一種であり、拘束行為である」と明確に規定している点がまったく異なります。
(そのように定義するのは、この「抱っこ」は必ずしもメリットばかりある対応方法ではないということを肝に銘じて、慎重に活用すべきである、という趣旨だとご理解ください。)
私は個人的に、このやり方を「冷たい抱っこ法」と呼んでいます。
そして、これと似たような働きかけは、自閉症とTEACCHの入門書としてもはや定番化したといってもいい、佐々木正美先生の「自閉症のすべてがわかる本」にも登場しています。
パニックを抑えこんでいる間は冷淡にして子どもの相手をしないこと。子どもが落ち着いたら声をかけたり構ってあげたりしながら解放する。(初版51ページ)
このシリーズ記事では、ここまで何度もくりかえし「抱っこ法」の話題が登場しました。
行動療法的視点からみた場合に、この「抱っこ法」が非常に複雑なしくみの上に成り立っていて、自閉症児の療育のなかでも際立って微妙な位置にいるということが、徐々に分かっていただけてきたのではないかと思います。
「抱っこ法」が一時的なパニックのコントロールに効果がある可能性はあります。
でもそれは、どちらかというと罰とか負の強化といったネガティブな原理によって生まれた効果である可能性が高く、学習性無力感をはじめとする副作用に十分注意する必要があります。
ただ、それらの知識や副作用への慎重さを持っている前提であれば、パニックへの対処法として、「身体の拘束」としての抱っこを活用することは無意味とはいえないと思います。(このような奥歯にものの挟まった言い方になる理由については、このシリーズ記事でこれまでに抱っこ法について触れてきた内容を参照いただきたいと思います。)
(次回に続きます。)