そして、無視しきれなくなって、「ときどきパニックに応えてしまう」という反応をしたとき、それは行動療法的には「無視(=消去)」ではなく、「部分強化」と呼ばれます。「部分消去」ではなく、「部分強化」です。
「無視、ときどき構う」というのは、無視(消去)の一種ではなく、強化(ごほうびを与えて行動を起こりやすくする)の一種なのです。つまり、パニックに対して「無視、ときどき構う」という働きかけを行なうと、パニックはむしろ強化されてよく起こるようになります。
それどころか、この「部分強化」というのは、他のあらゆる強化方法のなかでも最もその行動が強固に定着してしまう強化方法なのです。
「部分強化」によって強化された行動がなぜ強固に定着するのかということについては、競馬やパチンコなどのギャンブルを思い浮かべれば理解しやすいと思います。
ギャンブルは、典型的な「部分強化」のシステムです。
ギャンブルでお金を賭けるとき、当然ですが毎回大当たりがくるわけではありません。多くの場合は、外れてしまいます。ところが、何十回か何百回かに1回は、大当たりがやってきます。
ここで、「ギャンブルにお金を賭ける」という行動は、たまにくる「大当たり」というごほうび(強化子)によって強化されています。ごほうびは毎回ではなくたまにしか来ませんから、これは「部分強化」ということになります。
このように「部分強化」で強化されているギャンブルは、負けても負けてもやめられないといった強固な中毒症状をしばしば引き起こします。ギャンブルにお金をつぎ込んで見返りがなくても、その行動は収まるどころかさらにもっともっと強く定着していきます。
※ちなみに、「部分強化」と対になるのが「連続強化」で、これは行動に対して必ず毎回ごほうびが与えられる強化のやりかたです。こちらの具体例としては、「自動販売機にお金を入れてジュースを買う」という行動を考えると分かりやすいでしょう。連続強化で学習された行動が比較的消去されやすいことは、「ある自販機にお金を入れてもジュースが出ない」という経験を3回も繰り返せば、その人はその自販機でジュースを買うことはなくなるだろう、ということをイメージすれば理解できると思います。
ここで、ギャンブルからの連想で、ギャンブルにお金をつぎ込むことを「パニックすること」、買って大金が戻ってくることを「(パニックに)応えて(親が)構ってしまうこと」に置き換えてみてください。
そうすると、たまに構ってもらえる、欲求がかなえられるという「部分強化」によって、「もっとパニックすれば構ってもらえるかもしれない」という期待感?が維持され、無視されても無視されても、かえってどんどん強いパニックが起こる、そしてそれに根負けした親が実際に構ってしまうことによって、また「部分強化」が起こり、さらにパニックが強固に定着する、という悪循環に陥ってしまうことが理解できると思います。
つまり、「無視、ときどき構う」というパニックへの対処法をするくらいだったら、パニックに対してすぐに要求をかなえてしまうという、広く「誤ったやり方」だと教えられている対処法のほうがまだマシなくらいなのです(もちろんこれも「誤ったやり方」であるには違いありませんが)。
無視する「だけ」で自閉症児のパニックを解決できる、というのは、非常に誤解を招きやすく、また失敗しやすいアドバイスであるということがお分かりいただけたと思います。
・・・さて、ここまで、パニックに対する「うまくいかない対処法」ばかりご紹介してくる形になってしまいましたが、これは、「パニック」という一見単純な問題行動の背後にある非常に複雑な構造についてあぶり出すことが目的でした。
今回の記事でそういった「問題の構造」についての議論がひととおり終わりましたので、次回からはようやく「効果があると思われる対処法」についてご案内することができそうです。
(次回に続きます。)
2ヶ月程前に私が担当している土曜日に大パニックを起こした時悩んでこのブログに出会いました。
そらパパさんのブログで学んだ事を自分なりに実践してからは、今の所、私と一緒に過ごす土曜日はとても機嫌良く過ごしてくれています。
娘の自分に対する目も随分変わってくれた様に思います。ありがとうございます。
まだまだ安心は出来ませんが、方向性は間違っていないと思い、今後も様子を細かく見ていこうと思っています。
今後の課題は、土曜日以外の自宅にいる時です。
高校2年の娘は当然擁護学校に行くのですが、学校が嫌いな彼女は当然毎朝パニックを起こします。
たまに機嫌良く行く事もあります。
おまけに高2という事もあり、学校側も社会に適応させる為に今までとは違い厳しい指導と仕事の訓練という彼女にとっては、
最悪の場所な様です。
それでも親として譲れない部分としてパニックを起こしても行かせております。
娘も怒りながらも仕方なく行っています。
ある程度は仕方ないと思っていますが、毎日の事だと母親も大変そうで、もう少し機嫌良く行ってくれる日を増やせたらと思っております。
ただ夏休みなど学校の無い日でも朝は機嫌が悪い日が多いのです。(日曜日もです)
彼女の言葉や文字で行う要求はほとんど
叶えてあげているのですが。
そこの部分が今一番の謎です。
難しい事だらけですが、がんばります。
今後共よろしくお願いいたします。
お子さんがある程度大きくなってからの親の対応というのは、私にとっても未知の世界ですので、お話を聞いて今から気を引き締めています。
大きくなるにつれ、障害を持った子どもといっても、徐々に社会への適応力を向上させていくことが求められますので、確かにその辺りは難しいですね。
お子さんも、学校に行って辛いことばかりでは学校に行きたくなるのはある意味当然ですので、「学校に行って楽しい」という状態を(社会適応のための活動ももちろん続けながら)どうやって作るのか、ということを、学校とも協力しながら考えていくことが大切なのではないかと感じます。
要求については、「かなえるかどうか」よりも、「表現できるかどうか」が大切だと思います。
学校でも家庭でも、子どもの要に無制限にこたえることは、現実的に難しいですね。ですから、子どもの要求について大切なことは、
・子どもが自分の要求を適切に表現できること。
・それを、親が理解しているというフィードバックがあり、それを子どもが理解していること。
・そのうえで、応えられる要求には応え、そうでないものは淡々と断ること。
が大切なのだ、と思います。
つまり、要求を聞いて、それに対応するというのは、最も基本的かつ重要なコミュニケーションの第一歩だ、ということです。
これからもよろしくお願いします。
私はアメリカニューヨーク近くの大学で幼児教育を勉強しています。
専攻は特殊教育です。まだ2年生なのでそれほど専門的な事を学んでいる訳ではないのですが、日本でヘルパーなどしていた事もあり、今後は自閉症時に関わる仕事に就きたいと日々勉強に励んでる毎日、と、言いたいところですが、今のところボチボチです。
今心理学系のクラスのペーパーで自閉症児の療法のアメリカと日本の違いを書いてみようと思っています。
今後ご意見をお伺いする事があるかと思います。よろしくお願いします。
ps。アメリカでは最近、最高裁で障害児を持った親の訴えが最高裁で通りました。
それは、近くの公立であまりいい学校がない場合、私立の学校に行く事になった障害児の学費は全て州、もしくは国持ちになるというものでした。
詳しく書くとホントに長くなってしまうので割愛しますが、IDEA(Individuals with disabilities Education Act、個別障害者教育法)の中の権利の一つとしてFAPE(Free Appropriate Public Education、無料の適切な公教育)の一環として親御さんの意見が通ったように思います。中途半端ですみません。。。
コメントありがとうございます。
また、アメリカの情報、参考になります。
私は専門家ではなく、1人の自閉症児の父親でしかないので、ミヒャエルさんの参考になる情報が提供できるかどうか分かりませんが、お答えできることであれば協力させていただきます。
ところで、最後にミヒャエルさんが書かれているニュースについては、意外に思われるかもしれませんが私は素直には喜べなかったりします。
それは、かなり前に下記のページでも書きましたが、
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/12173437.html
こういった「非常にコストのかかる福祉サービス」というのは物理的にそれを必要とする万人に提供することが不可能である(アメリカならいい条件で裁判をできるだけの財力があるか「運がいい」人、そしてそもそも他の相対的に貧しい国では及びもつかないことです)という問題があります。
そういったサービスを「勝ち取る」ことは、本当に善なのだろうか、ということをいつも考えます。