7月のランキング
1.PECS絵カードテンプレート集
2.自閉症の早期診断について(CHATとM-CHAT)
3.あしたはきっと晴れ・あしたはきっと晴れⅡ(ブックレビュー)
4.優先順位と認知の階層
5.キレート療法を斬る
6.オリジナルDVDについて:まとめページ
7.自閉っ子におけるモンダイな想像力(ブックレビュー)
8.レビュー一覧
9.幼児期の療育を考える(9)
10.「環境への働きかけ」を再定義する(11)
更新頻度を週1~2回としてから、ページ別のアクセスでは比較的はっきりした傾向が出てくるようになってきました。それは、
コメントで議論が活性化した記事には、多くの方からアクセスがある、ということです。
いつもコンスタントにアクセスのある「定番記事」、そして新しく掲載した「新着記事」に混じって、新たなコメントが加わった「新着コメント記事」、この3つのタイプの記事が、アクセス数上位に入ってくるようになっています。
一度書いて時間のたった記事も、読者の方のコメントをきっかけに改めて注目され、活気を帯びるというのはブログのいいところだと思いますし、まさにネットの世界でも、当ブログのキーワードといってもいい「相互作用」が起こるんだということを示しているように思います。
そんな皆さんのアクセスの傾向に対応できればと思い、トップページの左サイドバーのトップに、「最新コメント」という項目を追加することにしました。
ぜひご活用いただければと思います。
こちらのブログを初めて見ました。私も高校生の自閉症の子供がいる母親です。
とても一生懸命ご両親が頑張っているのだなと思うと同時に、まるで教師が家にいるような感じにも思えました。「頑張らないけれど効果は高い療育」と書いてありますが、これが頑張らないのであれば何を頑張ると言うのかなとも思いました。
こんなことを書くのは失礼かとも思いましたが、障害がないお子さんであれば、このような指導は英才教育というか詰め込みにも思え、自分が子供ならば息が詰まりそうだとも思いました。
障害があるからと言って、どこまでも療育し朝から晩までスケジュールに沿って生活することがどれだけ必要なのでしょうか。本当に申し訳ないのですが、私は時々小さいお子さんが療育をされている場所で、その場面に出くわしますが、まるで矯正しているように見えることもあり、前からとても疑問に思っていました。
療育とは、私たちの世界に障害児を合わせるためにあるものなのでしょうか。とても考えてしまいます。障害があるというだけで、何もかも療育に沿ってぎっちり生活しないとダメなんでしょうか?このような指導をしている家庭のQOLの水準は高いものなのでしょうか?
九州で行われたTEACCHのセミナーに出かけたことがありますが、そのセミナーの後で真剣にTEACCHをやっていたご家族の奥様が突然家出をされたという話をききました。数ヶ月戻ってこなかったそうです。何か療育でかなり追いつめられた気持ちになっていたということが原因だったらしいです。私はその気持ちがすごくよくわかりました。
それと同時に療育の不適切さによる二次障害や三次障害においても、治療する場所がないという話もお聞きしました。その時にTEACCHが基本をふまえず広がり、その仕様の仕方が大変乱暴なことが原因で、二次障害や三次障害を得た子供たちもいるということを知りました。そのようなことはどうお考えですか。子供によっては正しい療育の仕方であっても、合わないということから二次的、三次的障害になる可能性もあると思われますけれど。
コメントありがとうございます。
いただいたコメントを読んで、頑張る・頑張らないといったことや、「訓練至上主義」、あるいは家族や自閉症児のQOLといったことについて、いろいろな立場や考え方があるのだな、という印象を新たにしました。
ただ、ちょっと誤解されてるのかな、と思うのは、私がこのブログでいろいろなことを「頑張って書いている」ということと、「療育を頑張る」ということは違うということですね。
私自身はたしかにこのブログを続けることに関しては相当に頑張っていますけど、それは療育を頑張るということとは直接には関係ないですし、ましてや他の親御さんに同じようなブログを書いて頑張れ、といっているわけではありません。
我が家の実際の具体的な「療育」といえば、週1~2回程度の外での簡単なプログラムと、毎日10分から15分程度の模倣や課題などの練習くらいです。
あとは、毎日の予定を事前にスケジュールとして示して見通しをつけさせたり、絵カードを活用することでことばを発することができない子どもが欲求をうまく伝えられるようにするなど、子どもが混乱しにくく、楽しく生活できるような工夫をしています。(これは、広い意味では療育だと思いますが、少なくとも「訓練」ではなく、子どもがうまく生活できるような「配慮」「工夫」に相当することです。)
私自身、いわゆるロヴァース式の早期集中介入などにはかなり批判的ですし、親子ともども、過剰なトレーニングを強いることによるストレスや挫折には強い警告を発しています。
まだご覧になってはいらっしゃらないかもしれませんが、下記などがそれに関連する記事ですので、よろしければごらん下さい。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/25400588.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/25581910.html
家族のQOLを考えて、楽しく生活していくことも大切ですよね。そのことも記事に書いたことがあります。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/10006100.html
私たち家族の普段の娘との接し方や生活については、当ブログよりも妻のブログのほうがイメージがつかみやすいと思います。
http://yaplog.jp/sora-mame14/
さらに申し上げるとすれば、美穂さんのTEACCHについての認識は、少なくともTEACCHの立場からは、明らかに誤解である、ということも言えると思います。
TEACCHの最大の特徴は、「私たちの世界に自閉症児を合わせるのではなく、自閉症児の世界に私たちが近づいていく」ことにあります。TEACCHと「訓練至上主義」「私たちの世界に障害児を合わせる」「詰め込み・矯正」「療育にそってぎっちり生活」といったことは、もっとも縁遠いものです。
TEACCHのこういった考え方については、以下の記事が比較的まとまっていると思います。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/25581753.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/25581802.html
もしかすると、美穂さんがおっしゃりたいことは、TEACCHやABAに限らず、最近の療育の傾向全般が「訓練至上主義」であり、自閉症児をロボットのように型にはめる冷酷なものだ(そういった療育の方向性自体に疑問がある)といったことかもしれません。
もしそうだとすれば、私はそれとは違う立場をとっています(ABAやTEACCHに肯定的です)、とお答えするほかありません。
そういった主張をしている本についていくつか批判的にレビューしていますので、そちらもご覧いただければと思います。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/27054745.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/27087961.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/20387222.html
これらのテーマに関連する、いくつかの記事もご紹介します。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/25398042.html
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/17143528.html
もちろん、親御さんが「療育」に熱心になりすぎるあまり挫折してしまったり、あるいは不適切な働きかけで子どもの状態がかえって悪くなることは避けなければなりません。
でもそのために必要なのは、療育のための十分な知識であり、一生を障害をもつ子どもとともに生きていく親としての哲学、信念を持つことだと思います。
そして、それこそが当ブログで私が「頑張って」ブログを書き続けて情報発信している理由なのです。
ベストな療育とは、家族のQOLを犠牲にして訓練に全精力を注ぎ込むことでもありませんし、子どもの主体性を無視して型にはめ込むことでもありません。
どうすれば、親はラクをできて、子どもは楽しく主体的に生活できるようになって家族全員のQOLがあがり、将来的な子どもの社会適応と親の負担軽減につながっていくのか、ということを追求するためのキーワードが「効果が高くて頑張らない」療育ということです。
「訓練」のように見えることは一切やらない、というのも親としての1つの立場だと思いますので、それ自身を頭から否定することはしません。
ただ、私自身は、それはベストな方法ではないのではないかと考え、そうではない方法を模索している、ということです。
今回は貴重なご意見、ありがとうございました。
そらパパさんが、このブログでいろいろ書かれている療育法や理論・意見等は、具体的にご自身のお子さんの為のものというのではなく、他全体の自閉症児や、その親達の為ではないでしょうか。
もちろん、ご自身が心理学を専攻されたこともあり、その知識が特に必要なお子さんを持たれたとき、いろいろ研究されブログにまとめていくことは、ご自身の為でしょうが、それを多いに利用できるのは、私達皆だと思います。
そらまめちゃんは重度の発達遅滞を持つ自閉症と書かれていますが・・・、私の息子(重度自閉症児)のことを話しますと、いろいろ療育してみようと試みても、すぐ逃げられるし、反応・成長というのも、本当に少しずつで、それも後戻りしたりして、なかなかうまくいきません。親の方がくじけそうで、とても子どもを好きなように<訓練>する事など出来ません。
そらパパさんが、こんなにたくさんの事を勉強したりブログを続けられている、そのパワーに頭が下がります。
これも、良く知ったうえでないと語らない、という性格の方と思われますが、
障害を持つ子どもの親として、良く知り、自分で納得した療育を探される姿勢の表れかと。
結果、「効果が高くて頑張らない療育」を最短距離で享受できる、そらまめちゃんは幸せと思います。
ちなみに、9年前に日本の大学病院で我が子を自閉症と診断された助教授に、「それではどうしたらよいか?どこへ相談したらよいか?」と質問したとき、「特にありません」と言われました。また、「薬で治るものでもありませんし・・・」というのもよく言われました。何か出来そうな今の方が良いと思いますが・・・。
うかつに間違った療育を避ける為に、慎重であるべきと思いますし、判断するのは親自身であると思います。そらパパさんは、そんな選択を助けてくださっているのでは・・・。
問題を解決するには「問題があるからやめる・・・」ではなく「さらに正確な知識を広めていく・・・」ではないでしょうか。
そして大切なのは、親がひとりで悩まないよう、フォローしてくれる体制を地域に広げる・・・かな。
そらパパさんへひとこと・・・
こんなパワーをお父さんにくれたそらまめちゃんに感謝です。
コメントありがとうございます。
これは以前も書きましたが、自分が大学で心理学を学んだこと(これ自体が、当時を思い出すと相当に偶然でした)と、自分の子どもが自閉症だったということの間に、不思議なつながりを感じています。
(こういうことを書くのは「科学的」ではありませんが(笑))
ですから、私が書けることはどんどん書いていこう、それが誰かの役に立てば嬉しい、そういう気持ちでこのブログを続けています。
(一個人がブログを使って、どのくらいの情報発信ができるのかという実験でもあります。)
娘には苦労させられっぱなしですが、maman de PRさんのおっしゃるように、いま娘がいることで歩むことになった(歩まざるをえなくなった)人生は、けっこう充実しているとも思っています。(^^)
そらパパさんの記事やコメントには、いつも心から共感できます!
>娘には苦労させられっぱなしですが、いま娘がいることで歩むことになった(歩まざるをえなくなった)人生は、けっこう充実しているとも思っています。(^^)
の所は、特に感動して、思わずウルウルしてしまいました!私も同感です。
私の周りの人で、『普通が良かったな・・・』と言う人もいますが、私はそうは思いません。『普通』って何なんでしょう?私は樹の今の状態が、樹にとっての『普通』だと思っています。
もちろん、将来のこと、親亡き後のこと、問題は山積みです。でも、今おかれた状態をしっかり受け止めて、今できることを一つずつ、じっくりと取り組んでいくしかないと思います。
でも私は、そのことを、辛く苦しいとは思っていません。いつも一緒に楽しみながら取り組んでいます。もちろん上手く行かなくて、涙してしまうこともあります。でも、必ずその失敗の原因を考えて、反省して次に活かせていると思います。
樹のおかげで、私自身も充実した人生を歩めているなぁと思って、産まれて来てくれたことに心から感謝しています。
実は、いっくんママさんが引用された部分は、私も強い気持ちをこめて書いた部分でしたので、目に留めていただけて嬉しく思います。
幸せって何なのかな?なんていうことは、まじめに書くと説教くさいし、下手な表現で負け惜しみのように受け止められたらまったく本意ではないのでなかなかしっかりと書く機会がありませんが、私もいっくんママさんが書かれているようなことと同じことを考えています。
すごくシンプルにいうと、「人生の幸せ」というのは、「人生の充実」とほとんどイコールだと思います。そして、与えられる運命はもしかすると変えられないかもしれませんが、その運命の中でどう充実した生活を送るのかは、私たち自身で変えることができます。
そういえば、現在我が家では、ブームに完全に遅れたビリーズブートキャンプブームが到来しているのですが(笑)、ビリーのワークアウトDVDでは、最後に必ず説教タイム(笑)があって、そこで彼はしばしばこう言っています。
Where I am today is where my mind put me. Where I will be tomorrow is where my mind put me.
(私のいまある姿は昨日までの私の心が作ったものだ。私の明日ある姿は今日の私の心が作るものだ。)
これ、クサいけど、自分にも子どもにも当てはまるいい言葉だと思います。(^^)