実は、このような、子どもをパニックが起こるようなストレスのかかった状態におき、かつ、パニックを起こしてもそこから逃げられない、という経験を繰り返すことで「無力感」を学習させ、パニック傾向を弱めるという仕組みが応用されているのではないか、と私が考える療育法があります。
それが、「抱っこ法」です。
抱っこ法とは、継続的に子どもをしっかり抱きしめ、「愛情を注ぐ」という活動を繰り返すことを薦める療育法ですが、抱っこ法について書かれた著書や実際の経験談を見る限り、この抱っこは親の主導によって「開始」され、子どもが嫌がっても続けられることがあり、むしろ抱っこされたときのパニックを「感情の発露」「一時的退行」といったふうに肯定的にとらえるケースもあるように思われます。
しかし、例えば、「抱っこを開始すると子どもがパニックを始める」、そして「そのパニックが収まるまで抱っこを続ける」というパターンが形成されている場合(抱っこ法を実践している、少なくとも初期のころは、このパターンとなるケースが少なくないと思われます)、それは実は先の「学習性無力感」を学習させるという好ましくない働きかけになっている可能性があるように、私には思われます。
結果として、パニックが減って落ち着いてくる「ように見える」可能性はあるのですが、それは実は学習された「無力感」からきていて、その結果、外界に対する積極的な反応傾向自体を長期的に抑制してしまうリスクも否定できないわけです。
ですから、わざわざ抱っこによってパニックを起こさせるような「抱っこ法」は、少なくとも実践すべきでない、というのが私の立場です。
そもそも「抱っこ法」については、見た目以上に理解と取扱いが非常に難しい療育法だと私は考えています。
少なくとも、いわゆる抱っこ法について、「愛情を注いでいるから効果がある」という形で理解しようとするのは、あまり適切ではないと私は考えています。
その一方で、パニックに対して抱っこのような形で身体を拘束して、それを抑制しようとすることには、一定の効果がある可能性があるとも考えています。
しかし、その「効果」には、望ましいものと望ましくないものが共存していて(望ましくないものの代表的な1つは、上に書いた「学習性無力感」の獲得のリスクです)、どちらかというと慎重に適用すべき療育法であるというのが私の立場です。
ところで、まだ実は、ここまでの議論では「抱っこ法」について私が考えることの全体像は書き切れていません。「抱っこ法」的な働きかけとパニックとの関係は、一般的に考えられているよりもはるかに複雑で難解だといえます。
このような、抱っこ法の「効用」の複雑さについての議論は、このシリーズ記事内で、この後も何度か登場することになる予定です。
(次回に続きます。)