実は当ブログでも、パニックについては既に一度書いたことがあるのですが、けっこう古い記事で、当時勉強していた、「狭い意味でのABA」にのみ拠っているところがあって、少し守備範囲が狭かったように感じています。
実際、我が家でも娘のパニック対策にはその後もずっと四苦八苦し続けていて、その中で「狭い理論だけでは立ちゆかない」側面もいろいろ体験してきました。(苦労している、という意味では、もちろん現在でもそうです。)
また、パニックに限らず、自閉症へのかかわり方全般についても、より多面的に考えることができるようにもなってきました。
そういった状況もふまえて、パニックについて改めて考え直し、新たにシリーズ記事として書いていきたいと思います。
1. そもそもパニックとは何なのか
実は、私が娘が自閉症だと分かって、自閉症について勉強するようになって最初につまづいた?のが、「いろんな本に『パニック』って書いてあるけど、パニックって具体的にはどんな行動のことなんだろう? 何か特別な定義があるんだろうか?」ということでした。
とはいっても、娘にパニック的な行動がなかったわけではありません。それどころか、毎日のかなりの時間、泣き叫んでいました。
でもそれは、自分の身の回りで何が起こっているかが分からず、欲求をかなえる方法も分からず、騒然とした刺激に常時さらされている(という風に当時理解した)自閉症児の行動としては、ある意味「当たり前」のものだと思われたので、わざわざ特別に身構えて特別に悩まなければならない特別な問題行動だとは思わなかったのです。
その認識は、実は今でもそれほど変わっていません。
パニックというのは突然降ってわいてくる理解不能な災難などではなく、その自閉症児が抱える問題がある種「自然なかたち」で具体的に表面化したものだと言えるでしょう。
だとすれば、なぜそれが起こったかを理解できれば、パニックが起こったときに適切に対処すること、そしてある程度「予防」することも、十分に可能なはずです。
これは、言い換えると、パニックそれ自体を対処すべき問題行動としてとらえるよりも、そのパニックがなぜ起こるのかを考える、つまり、パニックはある別の問題の「結果」として考えて、パニックの原因となっているより根源的な問題を解決することを優先的に考えていく必要があるということでもあります。
この辺りについては、後であらためてじっくりと考えていくことにしたいと思いますが、次回は引き続き、パニックとは結局のところ何なのか、ということについてもう少し考えていきたいと思います。
(次回に続きます。)
勉強不足ですが、思い当たるところがあったのでコメントを書かせていただきます。
現在担当する子どもが学校でよくパニックを起こしていました。ABC分析をしても原因が特定できず、(視覚、触覚で過敏があったり、フラッシュバックかな?と思うところもあったので)とりあえず、いわゆるTEACCH的なアプローチ(構造化とスケジュール)をしたり、AACに絵カードを使ったり、体の緊張が高いのでほぐしてあげたりしたらパニックが少なくなりました。経過を見てみると、どうやら効果があったのは、体の緊張を取り除くということだったようです。もちろん他の方法も効果がありましたが、体の緊張を取り除くことで、今まで周りの子どもたちの行動にびくびくしていた様子(学年初めだったというのもあるかもしれません)があまり見られなくなり、寝転がって休むということができるようになりました。
特に触覚過敏があったせいで乳幼児期から環境に働きかける機会の少なかった(機能的に問題があるわけではなく、絶対的に体を動かす経験の少なかった※ボディイメージの形成が不完全、もしくは間違った形で形成されている)子どもの場合は、パニックのことを考える際に特有の感じ方にも焦点をあてなければいけないのかなあと思っています。
第4の特徴とも言える感覚の問題に直接アプローチするのが、今のところ感覚統合ぐらいしか見当たらないので(自分が知っている限りでは)、今回のことで視野が広がった気がしました。
テンプル・グランディンさんの締め付け機やニキ・リンコさんの「こたつに入ると足がなくなる」という話ともつながるところがあるのではと安易に考えています。
記事とずれて大変申しわけないのですが、気になったので感覚統合訓練について調べてみました。
http://home4.highway.ne.jp/matsu1/kayano_si/kayano_si_all.htm
以前の記事で感覚統合訓練にも通じていらっしゃるというのは知っているので紹介するまでもないことですが…。
触覚過敏をそらパパさんのおっしゃるところの(解釈が間違っていたらすみません)外部環境からの入力過剰だとすると、乳幼児期から、触覚過敏のある子どもに対して、馴化のステップを踏むことで、環境との相互作用を小さなサイクルから大きなサイクルにしていくことが有効なのでしょうか?
触覚過敏のある子の一番の問題は他の子に比べてボディイメージが形成されにくいことだと思います。感覚統合の考えかたではボディイメージができていないと不安感につながるととらえられているようです。
ボディイメージを形成するには様々な運動をすること(環境に働きかけることが多いですよね)が必要だと思いますが、そう考えると乳幼児期に触覚過敏を軽減することができれば、環境に働きかけることが(抱っこなども含めて)多くなり、様々な運動をすることができ、十分なボディイメージを形成することができるのではないか、そうすることで、パニックにつながるような余計な不安感をなくすことができるのではないかと思いました。
乳幼児期に限らず、そういった取り組みは認知面を伸ばすことと並んで、すごく重要ではないかな?と前回のコメントを書いてから思い直し、記事の内容とは少しずれているとは思いつつ、書かせていただきました。
「抱っこを好きになるには?」で実践されているそらパパさんに、自分の想像の枠を出ないコメントをしたことをお詫びします。
長文のコメントありがとうございます。
なるほど、確かに自閉症児のパニックの中でも、原因不明のように見えるものの中には、まさに「環境の知覚のまずさ」による不安や混乱が主因となっているものもあるかもしれませんね。(その場合であっても、パニックの「直接のきっかけ」は、その場その場の欲求や刺激などであることが多いとは思いますが)
そういったパニックに対して、環境知覚の改善という取り組みを予防的に行なうことはきっと意味があるように思います。inonakanobutaさんご指摘の、緊張をほぐす、ということについても、ただ目の前の子どもの緊張した姿を見るというところをさらに越えて、「なぜ緊張しつづけてしまうのか」を考えると、やはり環境の知覚の問題に行き着くのではないかと思います。
同じように、パニックとボディイメージの形成不全との関係も、やはり「環境の知覚・環境へのかかわり」のまずさという点でつながっている可能性はあるでしょうね。
当ブログや拙著で触れていますが、ボディイメージの形成に役立つと思われる療育は、確かに「感覚統合」と、あとは「鏡の療育」です。
私は、必ずしも自閉症児=感覚過敏=感覚入力の過剰=パニックの原因、といったつながりを考えているわけではありませんが(感覚入力に関していうなら、過剰というより未分化といったほうが近いかもしれません)、幼児期に多くの感覚刺激を与えて、「環境の知覚」の発達を促すという意味では、感覚統合的な訓練は幼児期の自閉症児には効果があるのではないかと考えています。
「鏡の療育」について、改めて見させていただきました。そらパパさんの本も見させていただいたのですが、まだ熟読が足りませんね。
有効性が実証されている(トンデモじゃない)理論体系を学んで、子どものつまずきをあらゆる角度から解釈できるようになりたいなーと思います。そうでないとアプローチの仕方が一方的になって(自分の療育しやすい型にはめて)しまいそうで恐ろしいですね。
そらパパさんの理論は主張が一貫しているのですごく理解しやすいです。自分にはちょっと難易度が高いですが…。
ありがとうございました。
見た感じ外的刺激を受け付けにくくなって、自分の声、行動などなどに自己刺激を受け続ける、さながらアクティブな自閉といった様相に思えます。
>inonakanobutaさん
ABC分析でいえば、原因はパニックにおける自分の感覚および行為で、結果もパニックという循環的なパターンにはまっているのだと思います。
解釈、ということばが出てきましたが、解釈というのは常にある種の「危険」を伴っていることをいつも心に留めておかなければならないと思っています。
解釈にはどうしても私たちの視点が入ってしまうので、「解釈」をすればするほど、誤った結論を導いてしまう可能性が高まってしまうということもあると思います。
できる限り、客観的に外から見えることを重視し、外から見えることに働きかけることが、そういった誤りを避けるためには有効で、この考え方は行動主義に明確につながっていきます。
これからもよろしくお願いします!
gestaltgeseltzさん、
横から口をはさむ形になり恐縮ですが、ABC分析のAとBとCに同じものを入れてしまっては、それはもはや「分析」ではなくなってしまっているように思います。
もし本当にそうなるとしたら、それはABC分析で切り取るべき「瞬間」を逸しているということを意味しているのではないかと思います。
(パニックは、起こる瞬間が重要であり、分析に値すると思います。パニックが「続く」ことについては、誤った対応による部分強化によって、あらゆる対応が弁別刺激としての機能を失っているといった見方をすることが(行動分析学的には)いいように個人的には思います。)
教員の中にはパニックが起こると「調子悪いね」「今日は機嫌悪いのかな?」と言ってあまり分析せずに対応する人がいるので、しっかり勉強して(行動変容法入門を読み始めました)、広げることで、誤った対応による部分強化が行われないようにしなければと思っています。
>gestaltgeseltzさん
ご意見ありがとうございます。
うまくいえませんが、自分が思っているのは、感覚の過敏性が直接パニックにつながるというわけではなく、パニックが起こる背景に潜んでいるのではないかということです。あまり適切ではない表現ですが、
「熱がある状態で(感覚過敏)、家事を頼まれたら(先行事象)怒る(行動)すると、家事をしなくてすむ・逆に怒られる(結果)
「怒る」をパニックと考えると、熱(感覚過敏)がなかったらパニックは起こりにくいわけです。
こういうのは応用行動分析でいうと何て言うのでしょう?先行事象が二つと考えるのでしょうか?
暑い(感覚過敏)ので、クーラーを入れる(行動)と、暑くなくなった(結果)
という場合には先行事象にあたるかもしれませんが…。
そらパパさんのブログをのぞくと勉強するぞ!というやる気につながります。gestaltgeseltzさん、そらパパさん、ありがとうございます。
ですから
1、弁別刺激としてパニックを誘発するトリガーに触れる
2、パニックが誘発される
3、誘発されたパニックによる自己刺激によってパニックが維持悪化される
みたいなことを想像しています。この一度発火したパニックという自己刺激状態時に1の弁別刺激をコントロールしても、パニックそのものが”外的”刺激として作用するので、結局パニックのコントロールは難しいということになります。
まあ、パニックが起こる瞬間を取り扱えるのであれば、1の弁別刺激を扱うこともありでしょう。瞬間って難しいですけど。
そういった意味では「予防」と、「沈静」はかなり違うアプローチを求められることなのかもしれませんね。