さて、前回のエントリの最後で、下記の「福祉国家の利得モデル」のグラフについて、
段階的な社会福祉制度の導入によって、一部に「利得の逆転ポイント」が生まれる、という問題があることを指摘しました。
これは、実際によくある、「障害認定が軽い方になってしまったので(あるいは、障害認定がぎりぎりされなかったので)、もう少し障害が重い人よりも支援が少なくて苦しくなってしまった」といったケースが図示されていることになります。
こういう状況が起こると、大きく2つ問題があります。
まず1つは、「障害を重く見せる」もしくは「あえて障害を軽くしない」というインセンティブが働いてしまうことです。
障害認定の「段階」が変わる境界近辺では、「障害が軽い方が受けられる利得が減る」という状況になるため、「できるだけ利得を多く得る」ためには、あえて障害の程度を軽くしないことが最適戦略になってしまいます。
これにより、障害を克服してよりグラフの右、つまり自力で得られる利得を増やせるように(より自立できるように)向かおうとするインセンティブ(動機付け)が弱くなり、あたかも「既得権」のように、「弱者」の位置にとどまってそこで得られる利得を維持しよう、という行動をとる人たちのグループが生まれてしまうことになります。
もう1つの問題は、このような福祉利得を得ていない、あるいはより少なくしか得ていない人たちから見て、より多くの福祉利得を享受している「弱者」の人たちが、「努力しないで自分達より多くの利得を得ている人たち」と認知され、妬みないし非難の対象となってしまうという問題です。
こちらの問題については、実際に、「弱者」として支援を得ている当人ではなく、それを外から観察している第三者の側の問題となるため、さらに問題が複雑になる側面があります。
つまり、多くの福祉的サポート(利得)を社会から受け取っている人たちの「困り感」というか、もし福祉的支援がなかった場合にどの程度生活が困窮するか(ベース利得の低さ)が正しく認知されず、「もともと大して困っていないのに福祉ですごくもらって得してる人たち」と判断される可能性があるわけです。
最後に指摘した問題を図示したグラフがこちらです。
福祉的サポートを受けている人たちの「本来の困り感」=弱者のベース利得の認知が誤っているために、福祉的サポートを受けたあとの彼らの利得を過大に評価し、「もらいすぎで許せない」といった妬みの感情を引き起こしてしまうようなグラフになっています。
(次回に続きます。)
※既にまんがの内容とは別のポイントでの議論になっていますが、いちおうまんがのリンクも貼っておきます。
聲の形 第1巻・第2巻・第3巻・第4巻
大今良時
講談社 少年マガジンKC