自閉症スペクトラムとは何か: ひとの「関わり」の謎に挑む
千住 淳
ちくま新書
はじめに
第1章 発達障害とは何か
第2章 自閉症スペクトラム障害とは何か
第3章 自閉症はなぜ起こる?
第4章 自閉症者の心の働きI――他者との関わり
第5章 自閉症者の心の働きII――こだわりと才能
第6章 自閉症を脳に問う
第7章 発達からみる自閉症
第8章 社会との関わりからみる自閉症
第9章 自閉症という「鏡」に映るもの
第10章 個性と発達障害
おわりに
参考文献
多くの科学に基礎と応用があるように、学問の世界?における「自閉症の研究」にも、基礎と応用があると言っていいと思います。
ここで「基礎」とは、「自閉症の定義」「自閉症のメカニズム」「自閉症をもっている人の認知の機制」といった、自閉症そのものを理解し、そこで何が起こっているのかを問うことを指しています。
当然、自閉症をひきおこす遺伝子とか、自閉症の人の脳で何が起こっているのか、といった問題意識も、この「基礎」のほうに含まれます。
いっぽう「応用」のほうは、「自閉症の診断」「自閉症の療育」「自閉症の人の社会参加」「自閉症の人を支援する法整備」といった、そこに「自閉症」の人がいる、ということを前提に、その人にどう働きかけていくのか、その人をとりまく社会にどう働きかけていくのか、といったことを考えていくことを指しています。
その中でも特に「自閉症の療育」の部分が、「応用」のなかでは極めて大きな位置を占めています。
これは、端的にいうと、自閉症に対する「基礎(実験)心理学」と「応用(臨床)心理学」という区分に近いですね。
そして、これまで自閉症に関する多くの優れた「入門書」はほとんどのものが「応用」に関するものでした。
ABAしかり、TEACCHしかり、絵カードしかり。
どれも、「自閉症という障害とどうかかわって、困難な部分やさまざまな発達課題をどのように改善し、また成長・発達につなげていくか」といったテーマのもとに、具体的な働きかけかたについて解説していくものになります。
当ブログでも、そういった「応用」に関するさまざまな書籍をご紹介してきました。
しかしながら実際には(私もそうでしたが)、子どもが自閉症だと診断された(あるいはネットなどの情報から、自閉症なのではないかという疑いを持った)とき、最初に立ち上る「問題意識」は、具体的な療育の方法というよりはむしろ、「そもそも自閉症とはどんな障害なんだろう?」という本質的な問いのほうなのではないでしょうか。
でも、そういった疑問に答えてくれる「入門書」というのは、実際にはほとんどありません。
もちろん、先にご紹介したような「応用」中心の本にも、こういった疑問に答えるような「基礎」に関する部分は含まれています。
しかしながら、どの本も、「応用」を専門とする人が書いているわけで、まあ率直にいえば「本とかを読んで勉強して、そこからコピペして書いている」感がぬぐえないわけです。
「それ以上」を求めようとすると、いきなり専門書になってしまって(しかも専門書でもきれいにまとまっている本はほとんどない)、本の値段的にもボリューム的にも難易度的にも、親御さんが気軽に読むといったものではなくなってしまいます。
結果、自閉症そのものの理解については、「応用中心の入門書にざっと書いてある程度の内容」で満足せざるを得ず、多くの親御さんは、自閉症について漠然と「脳の障害」で、こだわりとか社会性の困難とかがある障害なんだ、くらいの理解で、もういきなり「問題行動への対応」とか「音声言語の訓練」とかに進んでいってしまう、というパターンがほとんどになっているのではないかと思います。
(ちなみにABAについては、その原理である「行動理論」は基礎の部分から詳しく勉強できる本が比較的豊富に揃っていますが、「行動理論」それ自体は自閉症とは関係ありません。むしろ自閉症であるか否かにかかわらず、さらにはヒトに限らず動物にまで共通するような、一般的な「行動の原理」を追求したものが「行動理論」になりますので、ABAを基礎にまで掘り下げても、実はそこからは「自閉症とは何か」ということへの答えは得られないのです。)
本書は、そのような、これまで不毛だった領域にようやく登場した、待望の「自閉症の基礎分野に関する入門書」だと言えます。
著者は、自閉症の「応用」には関わらず、実験心理学(認知心理学)の「ヒトの社会性」という領域で研究を続けている基礎心理学者です。
「ヒトの社会性」という領域に手を出せば、必然的に、まさにその部分に局在的に困難を抱えている「自閉症」についても研究を進めることになりますね。(というより、格好の研究対象でしょう。)
本書でまとめられている主なトピックは、以下のようなものになります
・自閉症とはどのような障害か
・自閉症が引き起こされるメカニズムとは(特に遺伝と環境について)
・自閉症の人の心の動き(他者とのかかわりかた、こだわり)
・脳科学からみた自閉症
・発達心理学からみた自閉症
・自閉症を「ヒトが社会とかかわりあう接点」から考えること
・自閉症と「定型発達」とを対比して考えること
・自閉症は「個性」なのか「障害」なのか両方なのか
一見して分かるとおり、非常に幅広く、さまざまなトピックが網羅されています。
「療育」とか「診断」に関する部分はほぼまったくと言っていいほど含まれていませんが、だからこそ、従来入門書ではそれほど掘り下げられてこなかった「自閉症という障害そのものを深く考え理解する」ためのトピックが、新書という限られたボリュームの中に十分に盛り込まれています。
しかも、本書の著者はこれらをまさに専門とする研究者であるため、その内容もどこかから引っ張ってきただけの百科事典的なものではありません。
例えば自閉症は「遺伝と環境」の両方が複雑にからみあって発現する「多様な障害」である、という解説から、その「多様さ」が具体的にどのようなものであるかの「心の働き」の解説につないでいくといった形で、全体が「ストーリー」としてつながっています。
言い換えると、「話がつながっているので、読んでいて面白い」のです。
本書を読み終えると、はじめて「自閉症」という障害に直面することになった親御さんや関係者が誰でももつ「自閉症ってどんな障害なんだろう?」という疑問に対して、かなりクリアに「現時点でわかっていること」が頭の中で整理されることと思います。
そしてそれは、実際に子どもに働きかける「応用」の場面で、子どもの障害を想像し、理解し、働きかけをカスタマイズしていくために欠かせない、有用な知識となることは間違いありません。
自閉症についての「基礎」と「応用」、2つの領域の理解が、療育を効果的に進めるために欠かせない「両輪」になります。
今回登場した、この「基礎」についての素晴らしい入門書は、だからこそ価値が高いのだと思います。
久しぶりに、本書を当ブログ「殿堂入り」としたいと思います!
※補足:以前レビューしたこちらの本でも、同じ千住氏が自閉症についてかかれていますね。
また、著者と自閉症との関わりについては、こちらの新書にも詳しいです。
社会脳とは何か
千住 淳
新潮新書
「自閉症の基礎研究」というジャンルでは大物の一人だといえるバロン=コーエンと著者との関係などにも触れられていて、なかなか興味深いです。
※他のブックレビューはこちら。