聲の形 第1巻・第2巻・第3巻
大今良時
講談社 少年マガジンKC
まんがの単行本も、いよいよ来週月曜日に3巻が発売されますね。
3巻は最後に驚きの展開が待っている(はず)ので、これまで2巻までお持ちの方はぜひ3巻も読んでいただきたいと思いますし、まだ読んでいない方は3巻発売を期にまとめて読むのもとてもいいと思います。ぜひ。
ところで、先週はこのシリーズ記事でまさに今連載中の「聲の形」の展開を話題にしましたが、そちらもまだ話が続いています。
いちおう、27話での植野のセリフはある程度露悪的なものだった、という整理で話が前に進んでいくようなので、そちらはそちらでこの先を見守っていきたいと思います。
さて、ここからは本論に戻りたいと思います。
今回、このシリーズ記事で着目しているのは、「聲の形」の小学生編でいみじくも示されているとおり、障害者(だけでなく、いわゆる社会的弱者と呼ばれる人たち)へのいじめのなかには、単に「異種の存在を排除する」といった「古典的」なものだけでなく、「弱者が公的に保護され支援されていることに対する『衡平化圧力』としての私的制裁」といったものがありうる、ということです。
それがどのようなものであるかということについては、前々回のエントリで箇条書きで書きました。
ここでは、その中身をもう少しシステマチックに見ることで、問題の構造を明らかにすると同時に、そのような「いじめ」を抜本的に解決しうる方法と、応急処置的に解決する方法についても、あわせて構想していきたいと思います。
その副産物として、障害について「社会の理解を深めていく」ことがなぜ必要なのか(そのことと、障害者への「いじめ」がどのようにつながっているのか)、ということについても1つの答えが出せるように思います。
そのために、このようなグラフを導入したいと思います。
これは、今回とりあげている障害者いじめの問題が発生するしくみ、構造を理解するために作成したグラフで、まあ率直にいって問題を単純にしすぎている部分はあるのですが、それでも多くのことをこのグラフから語れると思いますので、これを使っていくことにしました。
このグラフ、横軸(x軸)とたて軸(y軸)で構成されており、横軸は、ある個人の、その人が所属する社会に対する「適応できる力」を表しています。
左にいくほど社会に対して適応できる力が弱い、つまり社会的弱者であることを表しており、右にいくほど逆に社会に適応し力を発揮できる状態にある、ということを示しています。
一方たて軸は、ある個人が、その人が所属する社会から得られる、収入や社会的サービスの利用可能性などの「リソースの量」を表しています。
つまり、このたて軸で下のほうに位置すればするほど、得られる社会的リソースが少ない(平たく言えば収入が少なくいろいろなサービスを利用できる機会も少ない)、上にいけばいくほど多くの社会的リソースが得られる(収入も多く裕福な生活を享受できる)ということを表しています。
このグラフのなかに、ある社会に所属する人を「その社会に適応できる力」と「その社会から得られるリソース」によってプロットし、その関係性を単純化すれば、このグラフのようになるでしょう。
平たく言えば、「社会への適応できる力」と「その社会から得られるリソース」は比例関係になる、ということです。
(本当はまちがいなく非線形になりますが、そこも単純化しているということでご容赦ください。)
つまり、このグラフは、ある社会において、強者と弱者がどのように扱われているか、ということを単純化して示したグラフである、ということになります。
次回以降は、このグラフを使って考察を深めていきます。(もはや聲の形はほとんど関係無い?(笑))
(次回に続きます。)
あれこれいじって出てきた画面に「これから韓国に出張」と書いてあったので、最近の記事だと早とちりしたようです。
でも、それだけ長くこのブログを続けておられるということですね。
長い年月の蓄積を感じさせる勘違いでした。
それでも世界を飛び回りながらコツコツブログを書かれていることは事実、すごいですよね!
最近このブログで話題になっているマンガの聴覚障害の登場人物ですが、これから美しいだけではない内面が描き出されるというわけですか・・・。
そこまで読み下されているそらパパさんの読解力には到底かないません。
私は、マンガの障害者像というと井上雄彦先生が『スラムダンク』(女性ファンも多い)の後に書かれた車いすバスケを題材にした『リアル』が頭にあったんだろうと思います。
最初から、車いすの障害者たちが、普通に自己顕示欲があったり、妬みがあったり、攻撃性が強かったりと色々な等身大の人々として書かれて、一切美化されていないんです。でも、最初はありがちな美化から始まって、それを崩してゆくという展開もアリですよね。
そらパパさんの解釈の続きを楽しみにしています。
話は変わりますが、佐村河内守さんのゴーストライター事件で、矢幡さんがテレビでコメントしているのを1週間ぐらい前に見ました。検索すると、各局ひっぱりだこでコメントを求められていたみたいです。
それを見て、矢幡さんをバラエティーで見かける度に腹が立っていた理由が自分なりにわかりました。昔の事件コメンテーターとしての発言を見て、矢幡さんの事件コメントには何か鋭いものを感じて、この人が自閉症テーマでのホームページやブログを作られると、きっと素晴らしいものができるだろう、と過大な期待を寄せていたんですね。一頃は毎日チェックしていたのに、ブログはいつの間にか全部削除。ホームページは更新なし。
事件コメントでは、彼の発言には、無意味な不安を煽られるイヤな感じがなかったんです。記憶は定かではありませんが、スタジオ生出演で司会者から「こういう事件が増えていますよね」と振られて「統計資料を見てみないと、わかりません」的な答をしていたように思います。
人格障害では何十冊も著作を出されているし、自閉症のことはずっとやっている専門家にゆだねてもよかったように思いますが。娘さんのことがあったのでしょうし、気持はわからなくもないですが、慌てて出した新書はそらパパさんから、基本的な知識がないことをあっさり指摘される粗悪品。新参者ならばもう少し研鑽を積んでからでよかったのに、生かじりのロヴァース万歳でおしまい。文学賞を取り損ねて、さっさと自閉症問題から撤退してしまったように見えてしまいます。
まあヴァラエティー番組にレギュラー出演されるのでしたら「リア充」でしょうから、ネットに見向きもする気持はなくなってしまうのでしょうが・・・。自分が期待していた分、腹を立てていたのだと気がつきました。
2年以上更新がない彼のホームページに腹を立てるだけ時間の無駄。基礎知識欠陥本に憤慨するのも時間の無駄。もう矢幡さんのことは書かない事にします。
そらパパさん、週1回だけの更新でも、自閉症の周辺トピックスでもいいんですよ!きちんとオリジナルな発言を続けて下さるだけでも勇気がいただけるんです。ご無理のない範囲でがんばって下さい。応援してます!
コメントありがとうございます。
まあ、矢幡さんについては「自閉症に関する論客」としてはもう完全に過去の人という整理でいいのではないでしょうか。
当ブログの更新については、前回も書きましたがのんびりやっていきたいと思います。
よろしくお願いします。