この日(入園式)に間に合わせるために、サポートブックも先週末に仕上げて、2冊用意しました。
↑とりあえず完成版のサポートブック。
結局、写真フォルダではなく「通帳ファイル」というちょっと変わったサイズのクリアファイルにしました。ちなみにこのファイルに入る紙は、ちょうどはがき用紙の短辺を1.5cmほどカットした大きさです。
↑中身は、こんな感じですね。
火曜日の入園式の様子は、妻のブログにあるので詳しくは書きませんが、とにかく感じたのが、「ことばだけが話され続ける時間が長い!」ということ。
入園式の最中の式辞はいうまでもありませんが、それだけではなく、それが終わった後の簡単な集合の時間も、「先生のおはなしを聞いて楽しむ時間」が大部分を占めていて、これじゃあことばが分からない娘ががまんできるはずはないな、と感じました。(で、案の定、帰りたがってパニックしてしまいました)
これと比較すると、これまでの療育では、ことばだけが投げかけられる時間というのはほとんど皆無で、常に動作プロンプトや歌や踊り・手遊び、運動といった、ことば以外を介した活動やサポートが行なわれていたことに気づき、ああ、やっぱりあれは特別に配慮された環境だったんだなあ、と改めて感じたわけです。
そして入園式最後の集合写真は、これはうまくやれというほうが無理な相談で、妻とは「写真の上の方に(欠席扱いで)丸く写るパターンで全然構わないのにねー」と言いながら、逃げたがる娘を「定位置」に立たせているだけで精一杯でした。
↑ようやく写真撮影が終わっても、まだパニックになってしまった状態を抑えられず泣いている娘。
まあ、こんな状態だったので、翌日からの実際の幼稚園での生活では、早々に問題行動起こしまくりになるかと思いきや・・・
今のところ、それほど大きな問題を起こさず、比較的おとなしく遊んでいるようです。というより、新しい環境に用心して様子をうかがっているような感じのようですね。
ただ、最初がこういう感じのときは、やがて環境になれて自主的に遊ぶようになり、結果的にうまくいく可能性があると期待しています。(うまくいかないパターンは、最初からパニックして大暴れになる場合です)
まだ入園式をいれて3日しかたっていないので何も言える状態ではありませんが、まずは無難なスタートを切れたようですね。
さて、そらパパさんも書いていらっしゃるとおり、ウチも始業式や終業式のときは「お話の時間」が長くてちょっと大変です(特に次男)。そこで最近活用しているのが、いわゆる「ビデオiPod」です。第5世代iPod。同級生のお母様に勧められたのですが、iPodにお気に入りの動画(ウチの場合は、トムとジェリーやしまじろうなど。YouTubeから仕入れています)をダウンロードしといて、苦手そうな時間になったらiPod作戦開始!割と落ち着いて見てくれています。最近はさらに、iPodに写真として絵カードをいれておこうかな?と検討しているところです。ただ、自宅でも「ポッドくん、みるぅ~!」とたまにうるさいですが(^^)
以上、ご参考になれば。
娘さんの入園、おめでとうございます。
先生方、また娘さんの友達となる保護者の方々にも自閉症理解が広まるといいですね。
我が子の入学式の思い出。
広い体育館の一番真ん中、前の方の席でした。式も終わりかけという頃、最後の校長先生の長い話まできて、とうとう限界がきました。身体を動かし、大きな声が響いていました。
私が何もしないという手もあったでしょう。もう少し待てば、校長先生が話を終えてくれていたかもしれませんし、どなたか先生が何か声をかけて注意してくれたのかもしれません。
しかし、保護者席から立ち上がった私。横に並ぶ先生方の前をつかつかと通過、校長先生の真正面、子供に向かって「静かにしていなさい」と言い、軽く頬を叩きました。
新入生とその保護者の皆さん、そして先生方の前で、その子には何か問題があり、そしてその子の親は私だということを見てほしかったから。
子供は静かになりました。しかし、私の対応は正解ではなかったことでしょう。
私は過去、自閉症に対して頭でも体でも精一杯向き合ってこなかったという負い目があります。
今更ながら、真摯に自閉症と向き合っていきたいと思っています。
追伸 次、『行動変容法入門』に突入しましたよ。
いまの娘にビデオiPodを渡したら、恐らく落として壊してしまうでしょうね(笑)。
まだ、微細運動にかなり問題があるうえに、1つの遊び道具で長く遊ぶことが難しいので・・・。
でも、確かにお話の時間のような特別な時間には「安心グッズ」のようなものを持たせておくのはいいのかもしれませんね。
初代さん、
パニックそのものに対して適切に介入するのは難しいといつも思います。
理想をいえば、パニックにならないように働きかけるべきでしょうし、パニックになるにしても「小パニック」あるいは「周囲が受け入れられるようなパニック」に留まるようにできるといいなあ、と思っています。
「罰」のようなものがもし有効な場面があるとすれば、それは、罰によって痛い目にあわせてやめさせるというよりは、「今やったことはいけないことなんだ」という明確なフィードバックを与えることにある、と思います。
「行動変容法入門」は、私も辞書的に使っていて、完全には読めていないです。これを全部理解したら、それはもうABAについて一般的に理解されていることは一通りマスターしたことになるんじゃないでしょうか。