聲の形 第2巻
大今良時
講談社 少年マガジンKC
障害者に対するいじめを残酷なまでに詳細に描いていることで話題となったまんがの、連載単行本の第2巻になります。
↑お店によっては特典がついてましたが、もうそろそろなくなったようですね。
このまんがに対するさまざまな角度からの考察は、すでにこの第2巻の内容まで含めて、第1巻発売時にシリーズ記事としてレビューしていますので、それを繰り返すことはしないでおこうと思います。
聲の形 第1巻
簡単にまとめると、小学校時代、普通校に転校してきて過酷ないじめの被害者となり、去っていくしかなかった聴覚障害の少女・西宮硝子と、その硝子を無邪気にいじめ、やがてそれが原因で孤立し、逆にいじめの被害者に転落していった少年・石田将也とが、5年の歳月をへて、高校3年生で再会するところまでが第1巻、その出会いをかきまわす「結弦」というキャラクターと、石田に中学以降初めてできた友だち「永束君」を軸に、将也と硝子との間に新たな物語が生まれ始めるまでを描いているのが第2巻、ということになります。
まあ率直にいって、第1巻だけだと「長い長い前ふり」というか、この連載作品のもととなったオリジナルの読みきり版のエンディングにすらわずかに到達していないところまでで終わりになってしまいます。
読みきりにあったエンディングのカタルシスすら与えられずに「次号に続く」になってしまうので、小学校編の執拗ないじめ描写ばかりが印象に残って、非常に後味の悪い読後感になってしまっていたと思います。
今回第2巻が出て、ようやくそのカタルシスも与えられて、この先の展開を楽しみにできるところまでストーリーが進んだので、ある意味「安心しておすすめできる」作品になりました。
障害といじめ、という問題に強く意識をもちながら読むのであれば、硝子、将也をとりまく人間関係(クラスメイトだけでなく、親や先生も)、さらにはそれらの人がとった決断(例えば、なぜ硝子の親は硝子を普通校に転校させ、そしてまた転校させていったのか、といったことも含めて)などをあわせて考えながら、この「いじめの構図」はどのような要素で構成されているのか、といったことをじっくり考えていくことを受け止めるだけの存在感をまちがいなくもった、「社会派」と呼んで差し支えないクオリティのまんがであると思います。
いっぽう、そんな肩肘はった読み方をしなくても、ピュアで胸が痛くなるような切ないボーイミーツガールの青春ストーリーとしても(少なくとも第1巻だけでなく2巻まで揃えれば)存分に楽しむことができる作品でもあると思います。
ところで、週刊少年マガジンのこの作品の連載は既に21話に到達していて、コミックでいうと第3巻が終わったくらいまできていると思います。
連載を読んでいる方はご存じのとおり、かなりドラマチックで意表をつく展開となっており、この先どう物語が進んでいくのかまったく読めません。
ただいえることは、鋭い人なら気づくであろう、第2巻での石田の(一見美しい)行動原理に対する「違和感」をちゃんと掘り起こして、「ああ、この作者はここまで描ききる覚悟ができているんだな」という展開になっている、ということです。
いずれにしても、「障害と差別・いじめ」という問題と、本質的・普遍的な意味での「コミュニケーションというもののもつ難しさ」という問題と、少年誌のまんがらしい、切なくピュアな「ボーイミーツガールのラブストーリー」というプロットと、これまた少年誌らしい「少年が自我を確立し大人になっていくという成長ストーリー」とが絶妙にからみあって、他のまんがには絶対に出せない独特の味わいと面白さを生み出していることは間違いありません。
さらに、マガジン編集部が「天才」と呼ぶほどの画力と構成力でもって、すさまじいまでの伏線がありとあらゆるところに散りばめられています。あらゆるキャラクターのあらゆる言動、あらゆる表情、あらゆる「間」に意味があると言っても過言ではないくらいに。
そういうところを細かく読み解くことを「マイクロリーディング」というそうですが、このまんがはまさにそのマイクロリーディングをやるだけの「画」の描かれたまんがだと確信をもって言えます。
非常に完成度の高かった読みきり版から、連載化されるにあたって失敗を危惧する声もありましたが、現時点ではそれはまったくの杞憂だったと思います。
いや、要はほんとに面白いんですよ。
まんがを好きなかたも、それほどでもないかたも、このレビューを読んだのも何かの縁かもしれないので、ぜひ一読されてはいかがでしょう。
そして、このまんがだけでなく、作者である大今先生に興味をもたれた方は、プロデビュー作である「マルドゥック・スクランブル」もぜひ。
思った以上に面白くなってるんでホッとします。
ただ、十話のバカッター騒ぎが出てきたときは
正直、え~なんだこれ?もしかして、ネタが
つきた??と思っちゃいましたが、見事に盛り返しましたし・・
ただ、このマンガってジャンル分類が難しいですよね。おっしゃる通りいろんな要素が入ってるんで、あまり社会派とか障がい者ものって宣伝というかPRをやりすぎると、あれ?思ってたのと違う・・ってことになりかねないし
こちらにもコメントありがとうございます。
このまんがですが、読みきりはある意味1つのテーマ(差別の先にある友情、カタルシス)で走りきってしまっていますが、連載にするにあたって、このエントリでも書いている通り非常に多くの要素を欲張ったものに変わっていると思います。
その欲張った構想を、破綻させずに前に進めることができている大今先生の実力はやはりすごいとしかいいようがないな、と思っているところです。
結果、「社会派」というよりは、いかにも少年誌らしい、「いろいろな経験」のドラマが描かれた作品になっているように思います。