一応、こちらのシリーズ記事については、今回が最終回だと思います。
このシリーズ記事を連載していたのは、概ね去年の終わりから今年の前半くらいだったわけですが、その頃と比べて、ホワイトボードの活用状況が現在がどうなっているかというと、
朝の予定:現在も活用中です。
こちらは、夜の間に書いておいて、忙しい朝はそれを上から順に消していくだけ、という形で活用しています。
食事の後の予定:現在も活用中です。
食事が終わると、娘が妻にホワイトボードを持ってきて「かいて」と言って、その場で描かせるという形になっています。
食事のメニュー:現在はやめました。
もともとは、ここから始まったホワイトボードコミュニケーションでしたが、今年の中盤ごろから、描かれている食事のイラストの線のつながり(例えば、丸い線が書いてあったら、その線がつながっているか途切れているか)や角度などに強くこだわるようになり、描いてある内容よりも絵の形のほうでパニックを起こしたりする場面が増えてきたために、実験的にホワイトボードをやめて口頭などでメニューを伝えるようにしたところ、そちらのほうが良好なコミュニケーションがとれることが分かったので、そちらに移行しました。
言うなれば、食事のメニューについては、娘はホワイトボードを「卒業」して、より難易度の高い音声言語でのコミュニケーションが通用するようになった、ということだと考えています。
(ちなみに、絵の形などへのこだわりには、飲んでいた薬の影響もあった可能性があり、最近医師の指示で薬を替えたところ、他の面でのこだわりも大幅に緩和されたため、今ならそのこだわりは現れないかもしれません。でも、口頭で伝わるなら、あえてホワイトボードを使うことはないですね。(^^))
その他:外出時に使っています。
外出時、特に車で外出する場合には、かつては家のドアの前で絵カードを見せ、車のなかでも絵カードを貼って次の行き先を提示していたのですが、他の場面でホワイトボードを使うようになってからは、外出時の行き先提示もホワイトボードを中心に伝える形に変わりました。
絵カードからホワイトボードに変えて、柔軟性が増した部分として、これまで絵カードでは「次の予定」だけしか伝えることができず、2つ以上の予定を同時に貼ると混乱してしまっていたのですが、ホワイトボードの場合は(朝の予定や食後の予定と同じように)、先のほうの予定までたくさん数珠繋ぎに一気に描いても大きな混乱を示さず、上から順番にやっていく(そして順に消していく)ことで先の見通しを持ちながらスケジュールをこなしていくことができるようになりました。
さて、こんなわけで、我が家ではホワイトボードを本格的に娘とのコミュニケーションに活用するようになってから、概ね1年近くがたちました。
ホワイトボードを導入する前にときどきあった、「毎日のルーチンであるにもかかわらず、先の見とおしが立てられずにパニックする」ということは、現在はほぼなくなりました。
そして、たくさん数珠繋ぎに描かれたスケジュールが1つずつ消えていくことで、娘は「スケジュールが見とおしどおり先に進んでいる」ということを認識できて満足しているように見えます。
シリーズ記事のなかでも何度か触れてきましたが、やはり、「1つずつ消えていく、消していくことができる」という「視覚的な効果」が、娘にとって分かりやすさにつながっているらしいということは改めて実感しています。
また、絵カードに比べるとホワイトボードに描くイラストは単純化されて「抽象度」が高いですから、将来的に「文字だけ」に進んでいくための中間のステップとしても(絵カードからいきなり「文字だけ」に移行するよりも)効果的なんじゃないかと思います。
一方で、食事のメニューの件でも見られるとおり、ホワイトボードというのはコミュニケーションの「ゴール」では必ずしもなく、音声言語でコミュニケーションが可能になれば、そちらのほうがより時間もかからず、幅広い内容を伝達できることになります。
ホワイトボードを「卒業」して、音声言語に移行するという場面も今後もどんどん出てくるだろうと期待しています。
ただ、その「移行」も一気に起こるわけではなく、あるコミュニケーションについては移行し、あるコミュニケーションについてはずっとホワイトボードを活用する、といったまだら模様になっていく可能性が高いと思われます。
私たちだって、長ったらしい行事とかでは「式次第」とか「プログラム」みたいな「視覚支援」がなければ、最後まで集中して行事に参加できないわけですから、当然、コミュニケーション療育においても、その複雑さなどに対応して、さまざまな手法を組合せて使っていかなければならないということですね。
コミュニケーション療育については、「音声言語にこだわらない」「使えるツールはなんでも使う」「さまざまな方法を並行して使う」「その時点での(お子さんの)能力の制約の中で、もっともコミュニケーションコストが低いものを選択する」といったことを意識することが大切だと思います。(要は、臨機応変にお子さんの状態にあわせてカスタマイズして療育する、ということに尽きるわけですが)
そういった「いろいろなやり方」の1つのヒントとして、我が家での「ホワイトボードのコミュニケーション療育への活用」が少しでも参考になれば幸いです。
おまけ:我が家ではホワイトボードはあちこちで使ってます。
私が平日、遅く帰ってくると、冷蔵庫にこういうのが貼ってあります(笑)。
ちなみにこれですが、「冷蔵庫に貼っているもの」が書いてある場所だけホワイトボードマーカーで、それ以外は通常の油性マジックで書いてあります。こうすることで、イレイザーで消える部分と消えない部分を作っているわけですね。
子供が重度の自閉症で発話が無く、iPadやiPhoneで鳥研の「ねえ、きいて」というアプリを用いてコミュニケーションをしています。
彼はかなり高い理解力があるのですが、遠慮しているのか他のことに気をとられているからのか、自分の言いたいことを表現することができず不満をつのらせており、イライラがつもりつもってけいれん発作を起こすまでになってしまいました。もちろん薬は処方されていますが、医師からも不満を解消させるためにコミュニケーション能力を開発する必要に迫られていると言われています。
そこでまず最初はお腹がすいた時やトイレに行きたい時など、必須の生理現象から彼の意志を伝達できるようにして、徐々に別の要求も言えるようにしていきたいと思っています。
「ねえ、きいて」というアプリは本人も気に入っていてよく遊んでいるのですが、まだ本当に自分の意志で要望を伝えていると親が確信するにはいたっていません。
うんちがしたい時は自分の意志でトイレに行くことができるし、たいていはおしっこのとき一緒にトイレで用を足すので問題は無いのですが、おしっこはまだおむつでしてしまうため、小さい時から大人が頃合いを見てトイレに誘うようにしていました。
すると本人は「トイレに行こう」という誘いを命令だと勘違いしてしまったらしく、行きたくない(かもしれない)時でも誘いに逆らったことは無く、またトイレに行くと必ず多少のおしっこをするので、こちらも誘ってよかったのだと信じていました。
でもトイレに行きたくなる時というのは人によって違うもので、頃合いを見て誘うというのは結構難しく、しかも本人もおむつの中でおしっこをするのはよくないとわかっているので、たとえ少量はおむつに漏らしてもまだ放尿の欲求を抱えたままイライラしながら大人に誘われるまでがまんしているようなのです。
そこで是非とも「ねえ、きいて」の「トイレ行きたい」を彼が自発的に押すことができるようにする必要性を感じています。
「トイレに行こうよ」と誘った時こちらがiPhoneの画面を示して、彼に押すように促すと「トイレ行きたい」を押すことができます。その時私が言った「トイレ」という言葉を聞いているので、複数の選択肢の中からでもそれを選ぶことはできます。
でもそれはもしかしたらこちらの誘いをまだ命令としてとらえ、その命令にiPadの画面を押すと言う新たな命令が加わっただけだと勘違いされているのではないかという気がしてなりません。声がけだけでトイレに行くことはできるので、「行きたい時に自分で『ねえきいて』を押してね」と言って、意志を伝えるための道具だとは繰り返し言い聞かせているのですが、どこまで理解できているかは不明です。
彼は複数の選択肢の中からでも「トイレ行きたい」を選んでいるので、もしかしたらちゃんと彼の意志を尊重していて、続けていればいつかは自分の意志で押してくれるようになるのかもしれませんが、本当に強要していないのかどうかよくわかりません。
心理のプロとして、そらパパはいかが思われますでしょうか?
コメントありがとうございます。
7年前とはずいぶん以前ですが(^^;)、長く当ブログにお付き合いくださってありがとうございます。
さて、私はプロではなく(笑)、一介の自閉症児の親でしかありませんが、ご相談いただいた件について、感想程度のことを書かせていただければと思います。
まず、私自身が実感していることは、トイレトレーニングというのは「とても難しい」ということです。
これはどういう意味かというと、トイレトレーニングで「新しいこと」を教えるというのは避けたほうがいい、という意味です。
トイレトレーニングは、「他の場面で既に学習していることを応用するトレーニング」と位置づけることが、個人的にはうまくいくこつなんじゃないかと思っています。
そういう意味では、今回の問題でいうところの「(トイレに)行きたい意思を表示する」「(トイレに)行きたくないという意思を表示する」というのは、どちらも「トイレで初めて学習させる」という流れではなく、他の場面、具体的には食べ物や遊びなどの要求にかかわる場面でまず学習させ、それができるようになったところでトイレに応用していく(もしくは、自然にトイレでもできるようになる)、という流れのほうがやりやすい可能性があると思います。
また、私は当該スマホアプリを使ったことがないので詳しくしらないのですが、そのアプリは常に表示されているのでしょうか?また、そのアプリ上には、常にトイレのボタン?が表示されているのでしょうか?
もしそうでないとすると、そのアプリでトイレに行きたいという意思を自分で示すためには、何もない画面からいくつかのステップを経て、自分でトイレのボタン?を表示させなければならないということになりますが、これができるためには、お子さんの頭の中に、いわゆる内言語、トイレのイメージが保持されて、保持されたままでスマホを操作することができる必要があります。
これは結構高度な認知の仕組みですし、この部分をABA等でトレーニングすることはできないので、実は隠れたハードルになります。
このようなハードルを作らないためには、アナログではありますが、「トイレ」のイラストか写真の絵カードを作り、それを生活の場のいつでも見えるところ(冷蔵庫など)に貼り付けておいて、それを取ってきて親に示すことでトイレの意思表示をする、といった方法のほうが、「単純さ」という点では優れています。
(もちろん、お子さんによって使いやすいツール、使いにくいツールがありますので一概には言えませんが)
こういったことを含め、「どうすれば子どもにとって一番「認知コスト」がかからないやり方になるだろうか?」ということを自問しながら、試行錯誤していく、というのが私の個人的な療育のやり方になります。
多少なりとも参考になれば幸いです。
この目的はいわゆるおむつを卒業させることを目指すのではなく、本人がトイレに行きたいのに言えない苛立ちを解消させることという概念に基づいているのですが、行きたいという意志を伝えるということはやはりトイレトレーニングの一環になってしまいますよね。たとえば彼が我慢しないで、オムツでしてしまって気にしないでいる子ならストレスが溜まらないんでしょうけど、オムツには少量漏らすだけでイライラしているので、そしてトイレに誘うとそこで大量に出るため、自分で行きたいことを教えられたら本人もスッキリするだろうなと思った次第です(^^) いちおう遊びや食事など他の場面では、どっちが好きかという程度の意思表示はできるのですが、それを「やりたい」のか「やりたくない」のかは、表示できる時とできない時があります。
「ねえ、きいて」は
http://ne-kite.com/index.html
でも紹介されていますが、大学の研究室によって開発された、障害を持つ人のためのコミュニケーションツールです。
私がアプリを画面に開けて渡すと、彼は自分で「行きたい」を選び、「トイレ」を選ぶことができます。(ボタンを押すというよりはバナーに触れるイメージです)すると「トイレ行きたい」という音声が出力されるので行動の確認にも役だっています。別にアカデミックな手法だから使わせたいというわけではなく、うちの子にはパソコンが主なコミュニケーション手段のようです。なぜかスマホを操作することのほうが、カードを使うより「認知コスト」がかからないらしいのです。
何しろ長年カードによるやりとりを試みましたが理解してくれなくて、おまけに何度作ってもカードはかじられてボロボロになってしまいました。ラミネートしても市販のカードを買っても全然理解してくれないですぐにかじられ、途方に暮れていたところ、何年かして実物の写真なら指差してコミュニケーションをしてくれることがわかりました。はじめた頃は実物でなくてはならず、写真でも理解してくれませんでしたが。
また絵本を読んであげようとしてもすぐに何処かへ行ってしまうのに、パソコン上のお話だと最後まで興味を持ってページをめくりながら見てくれました。
3~4年前から彼はiPadに夢中になり、お出かけするときも私が目的地のウエブサイトを見せれば先の見通しが立つので、パニックにならずにすんでいます。
「ねえ、きいて」のアプリはいつも触っているので、私より熟知しているくらいです(^^)
以前発作にともなって、頭を激しくタップするという行動を示したので頭痛だと思い、医師とも相談の上「ねえ、きいて」の「頭が痛い」を押したら頭痛薬をあげるようにしていました。ところがこのところ頭痛とは違うという自覚があるのか「休みたい」を押すようになっていたので病院で精密検査を受けました。結果は発作による脳の酷使以外に頭痛を促す病気は発見できず、頭痛薬を頻繁に飲み続けていると身体に良くないので止めて、ストレスを溜めさせないようにするという方針に変わりました。これを彼が、「ねえ、きいて」でコミュニケーションしていてくれたと受け取っていいのかどうかは何とも言えませんが。
一番の目的は不満を持たせないことなので、当面はトイレに誘う時私が「トイレ行きたい」を押して、音声確認するだけでもいいかと思っております。
退院後、本人の意思を尊重するという方針でやっていたら、少しは自分の気持ちを示してくれるようになりました。
例えば窓の外を見るのが好きで何時間でも「シューシュー」声を出して手を叩きながら興奮して見ているのですが、そうするとけいれん発作が出てしまうので(別に窓を見ているのは構わないんですけれど)、以前は口頭でiPadで遊ぶことを勧めていました。デバイスで遊んでいる時は、不思議と発作が出にくいのです。でもそれでは命令だと受け取られてしまうかもしれないので、最近そういう場面では、私がYouTubeで彼の好きな料理の動画を作動させるようにしています。すると、気がついてすぐに私の手からiPadを奪って行きます。
そんな風に子供の意思を尊重していたら、トイレに誘おうかなと思って彼を見ると、リビングの出口まで自分で来てくれることも何度かありました。そういう折には、「自分でトイレに行きたいって教えてくれたね」といっぱい褒めてあげています。
ただ学校では、先生がそこまで集中して彼だけを見ていてくれるわけではないので、ぜひ意思を伝えて欲しいところです。今のところ彼にiPadを学校に持たせていますが、トイレに限らず自ら「ねえ、きいて」を示して要求を伝えるにはいたっていないようです。でも彼がイライラしている時に先生が「何がしたいの?」と聞きながら画面にアプリを示すと、いちおう何かは答えているらしいです。
このアプリを既に教育に導入している養護学校もあって、そこでは「ねえ、きいて」を使う際に、子供にねえねえと教師の身体に軽く触れさせて、意思を伝える時は人の注意を促すことも同時に導入しているようです。
うちでも是非試してみたいと思っております。
コメントありがとうございました。
どうも、誤解していたところもあったようですみません。
確かに、デジタルデバイスについては、私も以前「タブレット療育」のシリーズ記事で書きましたが、一度慣れるとびっくりするくらいいろいろなことができるようになりますね。
ケイコさんも書かれているとおり、子どもが「何を伝えたいのか」、あるいは「どうすれば伝わるのか」というのは、コミュニケーション療育をやっていくなかで常にぶつかる、とても難しい問題だと思います。
でも、よくよく考えてみると、私たちのふだんのコミュニケーションでも、ある意味、相手に伝わっているかとか相手のいうことを理解しているのかというのは「推測」でしかなく、療育の場合はそれの難易度が上がっているだけと考えることもできるよなあ、と思ったりもします。