(というより、だんだん、「しない」ということばをきっかけに、コミュニケーション療育のさまざまな側面を議論する雑談っぽくなっていますが(^^;)、おつきあいくだされば幸いです。)
さて、このシリーズ記事の第13回でも書いたとおり、「(Aという行為を)しない」という学習を効果的に成立させるためには、「しない」の対象である「A」という行為について、「しない」の学習を繰り返しても揺らがないだけの明確なイメージが形成されている必要があると考えられます。
どういうことかというと、「Aをしない」という学習を繰り返す、ということは、「A」について話題に上がっているのに「A」が登場しない、という事態が繰り返されることを意味します。これは、少し視点を変えると、「A」についての消去学習という側面をもってしまうからです。
ですから、「Aを」「しない」という学習が、シンプルに「しない」のほうにだけ学習効果を及ぼすためには、「A」のほうが強固に学習されている必要がある、ということになるわけです。
ところで、これとは別の視点で、「Aをしない」という学習が、「A」の消去という方向性ではなく「しない」ということばのほうを学習するという方向性をより効果的にもつための、非常に重要なポイントがあります。
それは、
「Aをしない」だけでなく、「Bをしない」「Cをしない」など、さまざまな行為に対して「しない」を同時に学習する
ということです。
例えば、日本語を外国語として学習していて、まだあまり詳しくない、というシチュエーションを想定してみて下さい。
ここで、「Aをしない」と発話して、Aが起こらなかった場合、それだけでは「しない」ということばに「選択しない」という意味があるのか、そもそも「A」ということばが指し示す行為を誤って学習してしまっている(だから「A」と発話したのにA(で想起される行為)が起こらない)のかは、それらのことばに自信がない状態では、どちらなのか確定させることができません。
でも、「Aをしない」と並行して「Bをしない」「Cをしない」などを同時に発話して、それらすべてで「Aが起こらない」「Bが起こらない」「Cが起こらない」という経験をすれば(そしてさらに、「A」「B」「C」それぞれ単独では「Aが起こる」「Bが起こる」「Cが起こる」という経験をすれば)、「なるほど、『しない』ということばは、それが指し示す行為を起こさないという効果を生むんだな」ということが、非常に高い確信度をもって言い切れることになります。
これと同様、自閉症児に教えるにあたっても、「しない」の対象となる行動を1つに限定する(「A」だけで教える)のではなく、できるだけ多くの行動を目的語にして並行して教える(「B」「C」などについても「しない」を教える)ことが、必要になってくるわけです。
次回は、このようにできるだけ多くの行為を「しない」の対象として教えることのもう1つの重要な意義について書いていきたいと思います。
(次回に続きます。)