ノーマライゼーションとは、障害者の側が適切な訓練を受ける機会を与えられ、かつ社会から安易に隔離されないことによって、自らの社会適応能力を高めていくという動きと、社会の側が、障害者がその障害をもったままでも十分な社会参加、社会的資源の活用ができるように自らを変える努力を重ねていくという動きが組み合わされることによって、障害者が健常者と同じ社会のなかで同じように生活・参加ができる社会を可能なかぎり目指していく、という考え方です。
この「ノーマライゼーション」というキーワードを使って表現するならば、自閉症児の療育とは、子ども自身への働きかけと環境・社会への働きかけを適切に組み合わせることによって実現する、親御さんによる子どものノーマライゼーションの働きかけである、と考えることができます。
そう考えると、「子どもを甘やかす」とか「社会に負い目を持つ」といったネガティブなイメージを持ちがちな「環境の側への働きかけ」の意味が、まったく違って見えてくるのではないでしょうか。
私がこのシリーズ記事で書きたかったのはまさにその点、「環境への働きかけ」という行為にはどういう意味があり、親としての「療育戦略」のなかでどういう位置付けを与えるべきか、ということを再定義したかったのです。環境に働きかけることは、子どもを訓練することと、本質的な意味において等価なのです。
最後に、今回のシリーズ記事に関連するその他の話題をいくつかピックアップしておこうと思います。
第一は、TEACCHの「構造化」についてです。
構造化とは、環境の側に働きかけることによって、困難を抱えた自閉症児にとって自分のおかれた環境の「意味」が分かりやすくなるように調整することです。つまり、ここまで書いてきた「環境への働きかけ」の具体的な取り組みの1つだと言えるでしょう。
構造化も、限定された「課題遂行場面」におけるもの(ワークシステムや手順の構造化など)から、家庭や学校における絵カードやスケジュール表の活用といった視覚化、さらには地域社会に対する行政レベルまで巻き込んだ働きかけまで多岐にわたります。
これまでの議論を前提に考えれば、これらの「構造化」の試みはそれぞれ別のものではなく、同じ理念をさまざまな場面・次元で適用している連続したものであると理解することができます。
さらに加えるなら、構造化をはじめとするTEACCHの手法に対する「特殊な環境の下で訓練しても、現実の社会では意味がない」という批判的意見は、本来「過程」であるはずの療育を、ある「瞬間」に還元するという誤解に基づいている可能性があると考えられます。
次回は、この辺りから続けたいと思います。
(次回に続きます。)