2007年04月24日

「環境への働きかけ」を再定義する(7)

前回、レストランで食事をするという「能力」をトレーニングするとき、以下の2つのアプローチは実は「等価である」、という話をしました。

①子どもに対して、レストランで食事をするスキルを訓練する。
②近所のレストランにお願いして、子どもがその店で食事ができるようにとりはかってもらう。


ここで、上記の①と②の間に、より現実的で私たちが最初に検討すべき「道」が隠されていることに気づきます。

その第3の道とは、

③子どもが無理なく到達できる、レストランでの食事に関連するスキルを訓練する。あわせて、近所のレストランにお願いして、子どもに対する一定のサポートを提供することをとりはからってもらう。

という形です。

この記事で想定している「子ども」には(自閉症には限らないかもしれませんが)何らかの障害があり、社会適応に困難を抱えています。それが出発点であることを考えれば、子どもに対する訓練だけで100%の完全な社会適応を目指すのは、求める期待値レベルとして、やや過酷に過ぎる場合も多いのではないかと思います。

社会適応のための子どもに対する「訓練(スキルトレーニング)」は必要だと私は考えます。健常の子どもだって学校その他で勉強したり人間関係を学んだりして苦労しながら成長していきます。それと同じ意味において、障害をもった子どもも、その困難さの中で、伸ばせるスキルをできる限り伸ばしていくことは、親や周囲の大人の責務であると思います。ただ、それによって到達できるスキルの水準は、健常児とまったく同じということにはならない(ことが多い)と考えるのが現実的でしょうし、そこまでを求めること自体が妥当なのかという議論もありそうです。

私たちが検討すべきは、その「どうしても届かない部分」をなげくことでもなく、無理やり「どうしても届かない部分」を必死に訓練することでもなく、子どもの側の訓練・努力だけでは「どうしても届かない部分」を、環境の側、社会の側が補うように働きかけることで、「届く」ようにすることなのではないか、と思うのです。
これはまさに、子どもと環境との間に真に有意味な「接点」を作っていくための、療育の最重要要素の1つであるといっても過言ではないでしょう。

例えば、レストランに行って、食べたいものを注文して、じっと待って、食事が出たら食べて、食べ終わったらお金を渡して帰る、ここまでは訓練できたとします。でも、おつりの計算だけがどうしてもできなかったとします。
この場合、近所のレストランにかけあって、お金を払わずに食事ができるように取り計らってもらうこともできるでしょう。これは先の②の考え方ですが、でも、せっかくお金を渡すところは訓練してできるようになったのに、これだとちょっともったいないですね。
そこで考えられるのが、例えば、その子ども専用のメニューを作ってもらうことです。1000円ぽっきりの食事だけが載っているメニューを作ってもらって、子どもには1000円札を渡しておき、そのお金を渡すだけで会計が終了するようにするのです。本当は800円とか900円のメニューでも私たちは1000円払ってもいい、といった取り決めにするのであれば、お店側にもメリットがあります。
慣れてきたら900円のメニューも作ってもらって、1000円札で払ったら100円の(切りのいい)おつりが返ってくる、という練習をさせることができたらさらに素晴らしいと思います。

もちろん、上記はあくまで例示ですし(実際、ちょっと陳腐な感じもします)、こういった働きかけが必ず成功するということではありません。子ども自身のスキルトレーニングでの到達点と、社会・環境の側の受け入れ態勢作りとを組み合わせて、有意味な「接点」を作っていくことが重要なのだ、という趣旨です。

(次回に続きます。)
posted by そらパパ at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | そらまめ式 | 更新情報をチェックする
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