それは、あるアフォーダンス知覚を発達させるための働きかけは、1つではないという点にあります。
ポイントは、子どもと環境との「接点」に着目することです。その「接点」が真に有意味な「接点」になったとき、そこにアフォーダンス知覚が獲得されるのです。
例えば、子どもにレストランで自分で食事ができるというスキルを身に付けさせようと思ったときに取ることができる働きかけとして、まず思いつくのは
①子どもに対して、レストランで食事をするスキルを訓練する。
です。でも、もう1つのやり方もあります。
②近所のレストランにお願いして、子どもがその店で(お金を払ったり注文できなくても)食事ができるようにとりはかってもらう。(お金は別途親が払うなどする)
①と②は、「子ども」と「レストラン」という社会的資源との「接点」に働きかける、対照的なやり方ですが、この②のやり方は、単に社会の「お情け」で子どもを甘やかしているだけでしかないのでしょうか?
必ずしもそうとはいえません。
このような取り計らいによって、それまでレストランという「社会的資源」を活用できなかった子どもがそれを利用できるようになったとすれば、それによって初めてその子どもは、レストランの「意味」あるいは「価値」を知る、つまりレストランという環境要素に対するアフォーダンス知覚を獲得することができる可能性があります。
だとすれば、実はこの②のやり方は、子どもにとってみるとレストランのアフォーダンスを学習し、実際にそれを活用できるようになるという観点からは①と等価であるといえます。もちろん、細かく考えればいろいろ違いはありますが、少なくともこの①と②は対立する働きかけではなく、同じ目的を実現するための異なった働きかけの「選択肢」なのだ、ということは理解いただけると思います。
ここで、②よりも①のほうがすぐれている、と安易に判断しないでください。
仮に、①を実現するのに3年かかる(ちょっとオーバーかもしれませんが)とした場合、その子どもは、3年間の間、レストランのアフォーダンスを知覚することなく年をとっていくことになります。幼い子どもにとって、この「過ぎていく(戻らない)時間」というのは、無視できない損失です。
それに対して、もしかすると②は10分で実現できるかもしれないのです。その場合、その子どもはお金を払ったり注文したりするスキルはその段階では身につかないかもしれませんが、その日からレストランを「利用する」ことを学習し、レストランとは出かけていけば食事ができる場所なんだ」というアフォーダンス知覚を発達させることができるのです。
その結果、「レストランに行って食事をしたい」という欲求が初めて生まれるでしょう。その動機づけを利用しながら、注文したりお金を払ったりといったスキルをゆっくりと訓練すれば、結果として①のやり方よりも効率的なトレーニングができる可能性も高いと思います。
これは、音声言語によるコミュニケーションと、PECSによる絵カードを使ったコミュニケーションとの関係でもいえることですね。まず絵カードで「コミュニケーション」できるようにしてから、音声言語はゆっくり教えるという考え方です。
(次回に続きます。)
私は素人ですので、個別のケースに具体的にお答えするのは荷が重い感じもしますが、親御さんの協力がどうしても難しい場合は、教室でだけ起こること、教室だけの働きかけでちゃんとコントロールできる活動から働きかけを始めるしかないのではないかと察します。
(具体的には、高畑庄蔵先生の「やさしい応用行動分析」に出ている実践例のような活動でしょうか)
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/19851925.html
そして、教室での活動の改善で「実績」を作り、それを親御さんに見せていくことで親御さんの行動を変えていくという地味なアプローチしかないようにも思われます。
絵カードなどの指示も、教室でやっても家で消去されるのなら定着しないと思いますので、例えば時間割や特定の作業の手順のように、教室内だけで完結する要素から徐々に始めていくようなやり方はいかがでしょうか。
ABA的なやり方は、「刺激と結果の関係を強力にコントロールできること」が必須条件になりますので、自分がコントロールできる範囲で導入することが必要になると思われます。
なかなか難しい親御さんなのですね。
パニックに対してそのような対応が誤りであることは、理屈では簡単に説明ができるのですが、実際に理解してもらうのはとても難しいことだと思います。
教室が、逆にそのお子さんにとって安心して能力を伸ばせる場になるといいな、と思います。