前回までの過去3回の記事では、「しない」というのは(マンドやエコーイックといった比較的容易な言語行動ではなく)イントラバーバルに相当する、複雑な言語行動だという点について書いてきました。
今回からは、「しない」ということばの持っている、それ以外の難しさについても考えていきたいと思います。
言語行動としての特性以外で、まず思いつく難しさといえば、
「しない」の指し示すことば(行為)が、想像上、イメージでしか存在しない。
ということだと思います。
なにか、Aという行為があるとして、「Aを『しない』」ということばを考えてみましょう。
ここで注目すべきは、行為の対象になっている「A」が、ことば(もしくは絵カード等)で提示されているだけだ、ということです。
「A」という行為は、「Aを『しない』」というコミュニケーションを行なっている時点でも行なわれていませんし、その後も、結局最後まで行なわれません。
つまり、Aを「しない」というコミュニケーションをするとき、「A」という行為が存在するのは、ことばのうえだけになるわけです。現実世界にはまったく登場しません。
ここから分かることは、「Aを『しない』」ということばを理解するための必要条件として、「A」と言われて、頭のなかで(現実に存在しなくても)Aをイメージすることができるようになっていることあるだろう、ということです。
そして、「Aと言われてAをイメージし、そのイメージのうえで『するか、しないか』を考えられるスキル」というのは、さらに2つのサブスキルに分解できると考えられます。
そのうちの1つは、実際に目の前に存在していたり、現に実行していることでなくても、ことばを見たり聞いたりしただけでその『意味』が分かり、かつそのことばが指し示す対象に対して何かを考えたり判断したりすることができるスキル、つまり内言語スキルです。
これは言い換えれば、「ことばを見たり聞いたりして、そのことばの意味を頭の中でイメージできること」とも言えるでしょう。
そしてもう1つのサブスキル?は、もっとシンプルな話として、「A」ということばの意味が分かっていることです。
これは当たり前のように見えて、少し掘り下げるととても奥の深い話だったりします。
(次回に続きます。)
自分の間違いに気付きました
「しない」は今現在起こっている事に連続する「いや」とは違うのですね
未来に起こる事を言葉だけで言われて判断するイメージと内言語の問題なのですね
うーん、やっぱり専門の勉強してない人間には難しい
批判せずやんわり教えて頂いてありがとうございました
引き続き最後まで読ませて頂いてよく理解してからコメントします
コメントありがとうございます。
いえいえ、そんな深い意味はなく、前回のエントリについてはレスさせていただくのをうっかり失念していただけでした(ですので、前回のエントリの私のコメントを少し加工しました。ご了承下さい)。
でも、「いや」と「しない」というのが、とても似ているけど詳しく考えると違う、というのはとても重要なポイントですね。
トイレトレでも、こちらが誘ったらトイレに行ってしまうんだけど(実はやりたくなくて)嫌がってしまう、という状態だと、まだ自主排泄からはだいぶ遠いですが、誘ったときにトイレにいかずに「しない」と言ってくれれば、かなり大きな前進だと言えると思います。
これからもよろしくお願いします!
もう、お家以外ではトイレしない!!!と絶叫落涙しながら言われてしまいます。
でも、大局的にみると、従順?に誤魔化された2年前から先々週までとは違い、時制も因果関係も理解してしまっているから起きている出来事でもあります。類推(イメージの世界)がまちがっているが(笑 そんなに頻繁にトイレの改装はないし、別にオストメイト用装置は危険な装置ではない)
しないから広がる世界、含まれる世界、面白いですね。
検診では二歳まで様子見で、療育も二歳にならないとないとのことだったので自宅で何かできないかと調べるうちにこちらにたどり着きました。
内容はもちろんのことお人柄が伝わる読みやすい記事ありがとうございます。
まだ知識不足なので遡って拝見させていただきますね。
ところで大分古い 「自閉症児と絵カードでコミュニケーション PECSとAAC」ブックレビューという記事にあった本、こちらは一歳半でも始められる内容でしょうか?
視覚優位なので絵カードを始めようかと思っているため、よろしければ教えてください。
コメントありがとうございます。
我が家も、いろいろな場面で環境が変わるとしばらくパニックしてどうにもならないということがよくあります。
「ごまかせなくなること」が子どもの成長そのものだ、というのは大切な視点だと思います。
その視点がないと、子どもの状態が悪化していると誤解してしまうこともありますが、実際には「いろいろ分かるようになってきた」からこそ、ごまかせなくなりパニック等が起こったりするわけですね。
まめさん、
コメントありがとうございます。
PECSですが、1歳半で始められるか、というと、お子さんの状態次第なので断言できませんが、一般的にはちょっとハードルが高い場合が多いんじゃないかと予想します。
1歳半からの療育というのはあまり世間では用意されていないと思うので、「自分で創りだす」部分が大きいのではないかと思います。
このブログでかなり昔に書いた「鏡の療育」、「マッチングカード」などは参考になるかもしれませんし、世にある療育の中でいうと「感覚統合療法」「作業療法」のなかに、1歳半くらいからできる働きかけがいろいろ含まれています。
左のタブにある「幼児期の療育総論」の「最初期の療育」のあたりも参考にしていただければと思います。
ただ、PECSの考え方を知っておいて、機が熟したらすぐに取り組むことは意味があると重いますので、今からPECSの本を勉強されることはまったく無駄にならないと思います。
よろしければ、またお越し下さい!
私も、乳児期から自閉圏を疑ったので、そらパパさんのお言葉に追加させていただけたら幸いです。
ここのカラムの右の方に書いてある、殿堂入り本の{あなたが育てる自閉症の言葉2歳から~}の本と、そらぱぱさんの記事が、一番ご年齢に近いかと思いますので、読まれるといいと思います。ことばだけの本ではありませんよ。そして、あえて、アマゾンのレビューも。記事から2年後、言語訓練が少ない!!と怒るレビューがあります。お気の毒に…。
まめさんは、幸いにも、先にこのHPにたどり着きました。{言語}訓練は、コミュニケーションのための訓練です。療育は、本人を含めた家族の幸せのためです。それを誤っていない、かつ、家族の幸せという、一見当たり前の基準が自覚されている情報源は、実は、なかなかないのです。怒りレビューの方は、そこを知る前に良書に当たってしまったのです。
また、自閉圏であるか定型であるかにかかわらず、コミュニケーションと幸せ を逸脱していない関わりは、子供のよき発育の妨げにはなりません。ベビーサインが音声言語を阻害しないのと同じです。そこを逸脱した危険な関わりも世間や本に溢れています。(左のカラムのリストに一杯検証を挙げてくださっています。そういうHPで今も多年齢対象に動いている個人HPは、日本ではここだけと言っても良いです。)
私は、医師です。乳幼児を抱える親の孤独さ、発達への不安は、痛いほどわかります。現実にムスメはテレビも見せてないのに(笑)自閉圏でした。息子は定型です。科学的でないだけならまだしも、高いリスクをもっていたり、経済的に家族が壊れるほどの対価を要求したりするビジネスが、自閉圏に対して成立しているのが、怖く、赦せない。
何が言いたいのか、よくわからないかもしれませんが・・・。
お気を付けになって、リテラシーを持って、ゆっくり進んでください。