前々回、前回の2回の記事で、その「難しさ」の1つの要素として、「しない、というのはイントラバーバルに相当する、複雑な言語行動である」について触れました。
今回も、その続きになります。(イントラバーバルの話題は今回が最後になります)
イントラバーバルというのは「Aと言われてBと返す」という言語行動であり、「○○をください(マンド=要求のことば)」や、「Aと言われてAと返す(エコーイック=模倣)」と比較すると、はるかに複雑です。
ですから本来であれば、娘くらいのことばの遅れ、知的な遅れのある子どもにイントラバーバルを教えるのは至難の業だと考えられます。
ですから、一般論としては、この部分がハードルになってなかなか進まない、ということが十分に想定されるでしょう。
娘の場合に関して言えば、この部分はたまたま、「なに?」というマジックワードの存在によって比較的容易にクリアできましたが、これから自分のお子さんなどに「しない」に相当することばを教えていこう、という場合には、この部分もしっかり意識する必要があるんじゃないかな、と思います。
イントラバーバルを教える基本は、「クイズ」だと思います。
つまり、こちらが何かをたずねて、子どもがそれに対して答える。
我が家の場合でいえば、イントラバーバルを理解するきっかけになったのは、こちらが絵本の写真を指さして「なに?」と聞く→写真の示しているものの名前を答える、という遊びに娘が夢中になったことでした。
(それによって、「なに?」ということばかけに対して、娘はつねに「答え」を返そうと頑張るようになったわけです。)
さらにさかのぼると、その遊びの前は、逆に娘が絵本の写真を指差して、私たちがその名前を答える、という遊び、これこそが発話のなかった娘がことばをおぼえて少しずつ発話するきっかけになったことば遊びでした。
そういう意味では、娘にとってはイントラバーバル的やりとりは、娘の「ことばの発見」であり、「ことばへの興味そのもの」でもあったのだと思います。
いずれにせよ、イントラバーバルを教える際には、何かを訊ねて答えさせる、という「ことばあそび」に到達する必要がまずあります。
そこからさらにさかのぼれば、ことばを使わない「やりとり遊び」にたどり着きます。
「Row, Row, Row Your Boat」のような遊び(下の動画)から始まって、積み木を交互に積み上げていく遊び、ボールを投げあうキャッチボール、複数のバケツのうち、指さしたバケツにボールを入れる遊びのように、単に親のやっていることを模倣するのではなく、状況にあわせて相手がやっていることに反応して行動する(そういう要素があれば、言語行動でいうところのイントラバーバルに機能が近づきます)、といった遊びを日々の療育に上手く取り入れること、すごく遠回りに見えますが、そこから始める必要があるんだろうと思います。
ところで、この「イントラバーバル性」というのは、これだけでもとても複雑な話ですが、それでも、「しない」ということばの持つ複雑さの特性の、たった1つの側面に過ぎません。
次回からは、もう少し観念的な側面(あるいは哲学的な考察)も含めて、この「しない」ということばを教えることの(他のことばと比較した場合の)難しさについて、考えていきたいと思います。
(次回に続きます。)
エコラリア、遅延エコラリア、造語、自分の世界の白昼夢(自己刺激)それらがことばの世界の入り口で肥料であると理解しつつも、ため息が出ちゃってる家族にとって、{こちらから出すクイズ}は、貴重なヒントになるかもしれないですね。我が家でも、ハイパーレクシアだが発語のほとんどが遅延エコラリアだった娘が、一年たって見ちがえるようになりました。
あちらからの{なに?}{なんで?}に、応答しつつも、全く理解はしていない寂しさに浸っていましたが、数年かかってクイズの楽しさがしみ込んだあとは、こちらの{どれだと思う?}にも、答えを返し始めました。あ、{わかんない}とそっけなく返すのも長く続きましたけど、パニックよりは過ごし良かったです。
ちょっと、同年代の、遅延エコラリアで悩まれている方に、ご紹介したいなあ、と思う記事でした。
普通、自閉症はそれが難しいんですよね
我が子は偶然ですが、「いや」の発語は早かったです二才の頃、親子教室でお弁当全部食べなさいと言われて「いや」と言って先生をにらんだのが初めてですね
せっかく言えたのだからと食べなくてもおしまいにしてあげました
とっても便利な言葉だと身に染みたんでしょうね
10年たった今でも発語する事はほとんどない重度ですが、最近数ヶ月ぶりに出た言葉も「いや」でした
元々たまに出ていたのも開けて、取って、等の動詞の要求語ばかりで名詞に興味がなく、エコラリアもなく、ボディマップも弱く音声模倣が難しいのでノンバーバルコミュニケーションを伸ばしてきたので、質問にも指差し、頷き、ジェスチャー、カード、絵を書く等ありとあらゆるノンバーバルで答えてきます
ここまではお母さんえらい、なるほどですよね
ところが、昔から、正しいタイミングで正しい数語文を突然しゃべったりするのです。間違って使うことは一切ありません
一生懸命学習させてる方とすれば脱力してしまいます
おそらく、普段の状態は、英検三級の人が外国人に話しかけられたら頭が真っ白になって思わず身振り手振り指差しで答えてしまうみたいな感じかなと思います
それほど、自閉症の人にとって言葉って苦手な事なんでしょうね
とりあえず我が子は文字と絵がつながりだしたので文字から責めたいと思っています
難しい子たちですが頑張りましょう
コメントありがとうございます。
ことばって、当たり前には出てこないものだ、ということを、娘の療育を通じて心から実感しているところです。
本当に小さな一歩一歩を積み重ねて、少しずつ前に進んで、あるとき、ある「ことば」がやっと芽生えてくる、そんなものだと思います。
お子さんの発達の水準ごとに、ことばの課題はいろいろだと思いますが、しっかり現状を把握して、少し背伸びをすれば届くようなポイントをそっと支えていくことで、子どもを伸ばしていければいいな、と思います。(^^)