ある生命体が生きていくための特定の環境の領域のことを、ギブソン理論では「生態学的ニッチ」と呼びます。ある生命体にとっての生態学的ニッチは、その生命体が生きていくために利用できるアフォーダンスに満ち溢れています。例えば、ある魚にとっての生態学的ニッチは、一定の温度や環境条件をもった水中ということになります。
ヒトにとっての(生態学的)ニッチを考えると、種全体にとってのニッチは「地球の陸上のほぼあらゆる領域」となるでしょうが、例えば「わたし」という特定の個人を考え、さらにニッチに社会的な意味も持たせるとすれば、自分が住んでいる場所とその近隣、通勤先その他おもな移動範囲がニッチであると言っていいと思います。
そしてその中には、自宅や勤務先・利用施設、よく行くお店、普段から利用する交通機関、家族や隣人、お店の店員といった「他人」、その他さまざまな環境要素があり、それぞれにアフォーダンスが存在しています。つまり、私たちは各人それぞれが、アフォーダンスに満ちた特定のニッチのなかで生活していると考えられます。
ところが、自閉症児の場合は違ってきます。
自閉症とは、まさに環境との相互作用の障害、アフォーダンス知覚の発達の障害であるため、ニッチそのものが狭くなっていることはもちろん、そのニッチのなかで活用できるアフォーダンスも、極めて貧弱なものにとどまっています。何より、「周囲の他人」に関するアフォーダンス知覚の発達が著しく遅れていることが、自閉症の困難を深刻なものにしているのです。
ここまでの議論を整理しましょう。
自閉症児を抱えた親御さんのさまざまな「働きかけ」について考えるとき、私たちは、「子どもの内面の療育」と「外的な環境への働きかけ」を別のものとして考えがちですが、実は、「療育」によって発達させようと考えている能力は、まさに「外的な環境に適切に働きかける能力」なのです。したがって、両者は連続的につながっています。
これが、冒頭の議論でした。
さらに、ここにギブソン理論のもつアフォーダンスという考え方を加えて議論を進めると、自閉症児がおかれている困難の状況は、「(内面的な)能力が発達していない」といった抽象的なものではなく、「環境と相互作用することで獲得されるアフォーダンスの知覚が発達していない」という、より具体的、直接的なものとして理解できることになります。
したがって、自閉症児に対する働きかけとは、その自閉症児がより多くのアフォーダンス(=さまざまな環境要素が持つ「意味」や「価値」、そしてその利用方法)を知覚し、それを利用できるようにすることである、と整理することができます。
次回からは、自閉症児の療育の目的を「アフォーダンス知覚の獲得・発達」にすえた場合にどのようなパラダイム・シフト(視点の転換)が起こるかについて書きたいと思います。
(次回に続きます。)