例えば、近所や地域の人たちに子どもの障害を説明し、理解してもらって協力をお願いするとか、生活圏の中にあるお店や病院、レジャー施設などに事情を説明し、子どもがそれらの施設を利用できる、あるいはしやすくなるように配慮してもらうといった活動が、典型的な「環境への働きかけ」と言えるでしょう。
これらの働きかけは、子ども自身の療育とは違った文脈で語られることが多いように思います。
もう少し突っ込んで言えば、子どもの療育についてABAによる集中介入に取り組むなど非常に熱心な親御さんの中には、こういった環境への働きかけにむしろ否定的な方も少なくないように思われます。
そのような立場から主張される意見は、「特定の人や地域の中での特殊な配慮のある環境ではなく、そういったもののない『普通の社会』に適応できなければ本当の社会適応とは言えないから、子どもの能力を引き上げることでそのような『真の適応力』を身に付けてもらわないといけない」といったものでしょう。
あるいは、まったく逆の立場もあるように思われます。
つまり、子どもに障害があるのは誰のせいでもなく、また「障害」とは広い意味での「違い」に過ぎないのであって、これを「克服」しなければならないというのは健常者である私たちのエゴに過ぎない。したがって、親としてすべきことは子どもを訓練して環境に適応できるように「変えよう」とすることではなく、ありのままの子どもが幸せに生活できるように世間や社会に働きかけ、これを変えていくことだ、という考え方です。
いずれにせよ、これらの両極端の立場においては、「子ども自身の療育」と「環境への働きかけ」は完全に対立する働きかけとして理解されているといえるでしょう。
また、これら両者の中間的立場として考えられる、「子どもへの訓練もできる範囲で頑張るけど、至らないところもあるから、補助的に周囲の環境にも助けてもらえるように働きかける」という考え方も、先の2つの極端な立場と本質的には同じで、ただこれら両極端の「中間」にいるだけだといえます。
でも、本当に「子どもへの療育」と「環境への働きかけ」は対立する概念なのでしょうか?
私は、そうは考えていません。一見別々のものにみえるこれら2つの「働きかけ」は、実は連続的につながった1つのものだというだけでなく、ある視点からは「実質的に同じもの」だとさえ言えることもあると考えています。
今回のシリーズ記事では、そのあたりについて、かなり掘り下げて考えてみたいと思っています。
※今回の記事は、以前の「環境知覚障害仮説」と若干のつながりがあります。ご関心のある方はこちらも参照ください。
(次回に続きます。)
2回目のコメントです。
このテーマは私もいつも考えていることなので、とても興味があります。
ずっと地域(環境)への働きかけと子どもへの療育を一緒に考えていて、お買い物練習なんかをしながら地域の人に知って頂くとか、地域行事に参加して理解してもらおうとしてきたのですが、分けるべきものいと思い直して動き始めた所でした・・・
記事を2本書いていますので、もしお時間があったら読んでいただけませんか。
かなり悩んだ上で書いたものなので、今でも気になっています。
http://koumama.seesaa.net/article/23086396.html
http://koumama.seesaa.net/article/23132421.html
ブログ記事読みました。(この記事は、紹介いただく前にも一度読んだ記憶があります。)
佐々木先生は、写真などの印象よりもはるかにはっきりと物事をおっしゃる方なのですね。
ただ、佐々木先生がそうおっしゃるのは分かる気がします。ちょうど今、先生の最新刊「アスペルガー症候群のすべてがわかる本」(講談社)を読んでいますが、「人間性を直そうとせず、受け入れる」「グループでの遊びに、無理に誘わない」などの単刀直入なタイトルが並んでいるのが印象的です。さらにある意味衝撃的なのは、いきなり冒頭のまえがきで「障害の弱点に目を向け、治療的修正をするのは、悲劇的なことです」とまで言い切っていることです。佐々木先生が考えていることは恐らく、徹頭徹尾、自閉症児者の側に立って、こちらの勝手な見方を押し付けない、ということなのだと思います。
ちなみに、私が「環境との働きかけ」で注目しているのは、「地域生活に溶け込ませる」といった方向性というよりはむしろ、「地域の社会的資源(買い物・食事・レジャー施設、近所の人のサポート)を利用できるようにする」ということです。
親がやらせたいことをやらせるということにとどまらずに、子どもにとっての生活の質向上につながる働きかけであれば、意義があると私は思います。
シリーズ記事を週1で連載するというのはものすごくのんびりした感じになってしまいますが(^^;)、今後もお付き合いいただければ幸いです。
「療育」にはABAのような自助努力も必要だと思いますが、PECSのような環境の働きかけからサポートする方法を両立させた方がより効果的で効率的になるのではないかと思います。掲題とは若干離れた話題になってしまいましたが、PECSに関してはこのブログが非常に参考になりまして(PECS以外でもそうですが)お礼を兼ねて書き込ませて頂きました。乱筆乱文で失礼しました。
こうままさんのブログはたまにROMですが拝見させていただいてます。
そらパパさんのレビューを読んで、早速「障害者の経済学」を読みましたが、中島先生もかかれているとおり、障害者の自立というのは、単に(一件本人のためにように見えても)親の都合で親から離れることではなく、障害者自身が選択して、生きたい生き方を生きることができることですよね。そういった文脈で「環境への働きかけ」を考えることは大切だと思います。
ただ、「自閉症児」時期と、「自閉症者」時期とでは、多少、環境・地域との関わりの捕らえ方は異なっているのではないでしょうか。そらパパさんには是非、このあたりのことも留意して、シリーズ執筆いただけるといいな、と思います。
シリーズ、楽しみにしています!
以上
これは、全く同感です。
地域の社会的資源の利用は息子のQOL向上に役立っていると実感しています。
急にたくさんのコメントをいただき、ちょっとびっくりです。これは気を引き締めて続きを書かなくては(^^;)。
やまおさん、
こうままさんの話のつながりで言えば、「正常に戻す」なんていう視点は、恐らく佐々木先生が最も忌み嫌い、カミナリを落としそうな方向性ですよね。
PECSによって行動が改善したということは、まさにそういうサポートを子どもが求めていたということとイコールです。子どもが伸びるサポートこそが、最も必要なサポートだということを改めて実感するお話ですね。当ブログが多少なりとも役に立ったとすれば、大変嬉しく思います。
たっちーさん、
PECSはどんな年代の自閉症児者にも効果はあると聞いています。それまでそういったサポートを受けてこなかったお子さんには、特に大きな力になる可能性も秘めていると思います。
ただ、それまで「受身型」だったお子さんが、PECSなどの表現方法を身につけることで、パニックが増えるなど一時的に社会不適応行動が増えるリスクはもしかするとあるかもしれません。それはお子さんにとって必要な過程であるはずですが、書かれているような親御さんの場合、問題となってしまう可能性もありますね。(私はプロではないのであくまで参考程度にお聞きください)
JKLpapaさん、
発達の過程と成人後で親からの「環境への働きかけ」が変わるのかというのは、難しいテーマですね。
むしろ、子どもが成人し、親が老いてしまう前に、どこまでのことが達成できるのか、という視点を持つべきなのかもしれません。
シリーズ記事はかなり長くなりそうですが、よろしければお付き合いください。
こうままさん、
社会的資源を活かす方法とは、まずその社会的資源が存在することに気づかせること、そしてその上でその資源を利用するやり方をどう作っていくのか(子どもの能力を高めるのか、環境の側に介入するのか)を考えていくことだと思っています。
今後はこの辺りについて書いていきたいと思っています。
そらぱぱさんも書かれているように、それまでの時期にサポートを受けて来られなかった方には、トライしてみる価値はあると思います。
実践に携わっている方からのコメントをいただけて、嬉しく思います。
My wife, who is Japanese, reads your site regularly and we have huge respect for what you are doing.
My 3-year-old son was diagnosed with severe autism earlier this year in Paris. Since he understands Japanese much better than French or English, we plan to re-locate to Tokyo this autumn so that his schooling can be in Japanese. We want to find the best programs for him that we can and we want to choose an area of Tokyo which is enthusiastic for education.
Could we respectfully request you to give us advice if there is any way that you can find the time? Could we also request a personal reply instead of on line?
Thank you very much.
よろしくお願いいたします。
Thank you for commenting. I'm very happy on knowing that my blog is read not only nationwide but also worldwide.
Regarding your request on autism programs in Tokyo, I'm afraid I cannot provide good advice for you. I'm not a professional person on education, and my family also struggled finding good programs for my daughter, who was diagnosed to be severe autism. There are some programs for autism with good reputation in Tokyo and neighbor area, but all of them are short in capacity and we have to wait for long time to participate. So, you may have to contact and register as many autism programs as possible, and wait for a "good news" that you are lucky enough to get a sheet of them. It would take at least a few months, and sometimes more than 1 year.
One important thing may be that these participation will become a little easier if your child is diagnosed and registered as "severe mental handicapped" from Japanese government.
E-mail is, of course, also welcomed. Please contact to my e-mail address shown right-upper part of this blog. However, please understand I am simply a father of an autism daughter, and what I can say is very limited.
Thank you.
ありがとうございました。
Thank you for your kind and thoughtful reply. I am sorry that my poor language skills prevent me from writing you in Japanese. It is very lucky for me that your English is highly fluent.
Please do not underestimate the help that you are providing. When our son was first showing signs of autism, I tried to read what was available in French libraries to learn about this condition and to improve my vocabulary for speaking to the doctors. What I read was mostly terrible such as psychologists who still blamed autism on 《 cold, unfeeling parents 》, or a mother who put her head in the toilet because her autistic son liked to do this and she was imitating his actions to understand him better, or maybe even worse, another mother who claimed “victory” over her son’s autism after she put 24-hour a day pressure on him to speak and attend regular schools. I say worse because this attitude is short-sighted and fails to recognize that autism is a life-long condition. A parent can help teach language skills and other skills necessary to live a normal life, but cannot “beat” or cure autism no matter how determined that parent may be. The situation was frankly very depressing.
Once my wife discovered your website, however, we were glad to find approaches that make sense and that help develop the skills autistic children need to communicate. We followed your suggestion and ordered A Picture’s Worth by Andy Bondy, PhD. This is a practical book, and we are printing cards with digital photos and hiragana captions. Although our son still cranes to get what he wants, he is much more relaxed when he sees the ぱんぱーす card or the ぽてと card or the おでかけ card. He seems to have a better idea of what to expect.
Your suggestion about the diagnosis for the Japanese government is also helpful because my wife and I were discussing whether or not we should have the evaluations written in French translated into Japanese before we return to Japan. It looks like we’ll need independent evaluations once we get there. I hope that another MRI won’t be necessary, however, because that was really torture for him. At least we can try to have the necessary appointments made before we leave.
It is really an accomplishment that your daughter can accompany you to restaurants. We’re still working on that goal because our son still panics even at fast-food restaurants like McDonalds.
Thank you for your hard work in bringing information and hope to other parents. Best of luck to you and to your family.
Kirk and Keiko McDonald
I'm glad to hear my advice was useful.
Regarding how to understand autism, there may be some kind of "historical steps" that was also seen in Japan.
First, autism was understood as a failure of bringing up a child by a "cold mother", and unconditioned acceptance or play therapy was executed.
Next, autism was simply understood as "improperly learned behavior", and intentional behavioral intervation was perceived as the only solution.
And then, in the third phase, autism is understood as a neural-level disorder of recognition, and an intervation that fully consider characteristics of autistic recognition weakness, such as TEACCH or PECS, is executed. Behavioral intervation is also executed, but it should be based on these kind of understanding.
One of the intentions of this blog is to penetrate this kind of "third phase intervation" into Japanese families with autism children. My influence is of course very limited, but I'm happy that many people visit my blog.
Thank you again, and I hope your plan for your son succeed.
ありがとうございました。