さて、これまで書いてきたとおり、我が家では、夕食のメニューの提示のやり方にヒントを得て、「夕食後の予定」についても、ホワイトボードで娘に伝えていく方法を試してみたわけですが、これは期待通りの効果をあげてくれました。
このように、ホワイトボードに「夕食後、おふろに入るまでの手順」をイラストと文字で並べて提示し、その手順が終わるたびに、「○○は、おしまい。つぎは、○○」と言いながら、1つ1つ消していくことにしたわけです。
娘は、初日の提示で、私たちがホワイトボードで何をしようとしているかを理解したようでした。
そして、親が家事をしている間、ずっと崩れているということはなくなり、ホワイトボードを見ながら、だんだん手順が消されていくのを落ち着いて待っていることができることが多くなりました。
さらに、この「家事の時間」は、それまではずっと母親の後ろをついて回っていることが多かったのが、ホワイトボードを活用するようになってからは、落ち着いてリビングでタブレットの音楽を聴きながら待っていられることが多くなりました。
※つまり、それまで母親の後ろをついて回っていたのは、「愛着による後追い」とかそういう漠然とした構成概念で語る必要はなくて、単に「何やっているか分からないから確認しにきていただけ」というはるかに具体的な理由で説明できることだった、ということです。
もし、この現象を、どこまでも「愛着による後追い」のような概念で理解しようとして、それを前提に働きかけを行なっていたなら、それはほとんど「呪術」のようなものになっていったのではないかと想像します。(そして、たまたまうまくいった直前の私たちの行動が強化されて、迷信行動として定着していったのではないか(笑)と思うわけです。)
ただ、そのせいで、これまでは布団敷きのときに寝室に来ていたことを利用して、娘についでに布団敷きの「お手伝い」をさせていたのが、寝室に来なくなったのでわざわざ呼ばなければならなくなったといった予想外の副作用が出たりもしましたが(しかも最近は、タブレットにはまったりしていて呼んでも来ない!(笑))、それもまた、私たちの働きかけでいろいろな水準で娘の行動を変容させたことの結果だと前向きにとらえています。
実際、何が起こっているか分からなくてウロウロしている(その結果、ついでに手伝いをさせられる)、という状態よりも、何が起こっているか分かっているので落ち着いて趣味を楽しんでいる(だから手伝いを言われても行きたくないと感じてぐずる)、というほうが、ずっと健全だし「子どもらしい」んじゃないかな、と思いますね(笑)。
もし手伝いをしっかりやらせるなら、またそれはそれで「やり方」を考えて実行していけばいいわけですからね。
(次回に続きます。)
オチの副作用、にほんと、子供らしいなあ、と思います。気づきつつも、慌てない親御さんたちの落ち着きがいいなあと思います。
私たちが考え、段取りするお手伝いと、子供の自発的な気づきがあるお手伝いは、違いますねえ。
前者も、動作を習得するためには役立つんですけど、たまたま好きなことに没頭していて無視するってのは、健全(主体的・・・笑)な情報(行動)の選択性を身につけていることを示す、レベルが違う成長の過程ですね。
それだけ主体的だと、うちの子みたいに、必死こいて書き直しを要請したり、企んだりすることもあるかも。そして、アウトプットの成長に副次的につながる日もあるかもですね。
素敵なシリーズありがとうございました。
きっちり時計を見て出発の時間とわかったのか玄関からすっと車の方へ行きました
遅れるよー早く早くと言うつもりで構えていた私の方が遅れを取ってしまいました
これからうちも少し早めにもう時間よ!急いで急いで!というウソは使えなくなります(^^;
まだ大丈夫じゃんと無視されるのでしょうね
それでも嬉しいですね
うちは娘が数年前に3回ノートパソコンを破壊してから
ーどうも分解してみたかったようですー
パソコンがありませんというか買うのをやめました
なのでカード作りは写真やさんにプリントしてもらいにいかなければならず面倒で、最近は携帯のフォルダから呼び出して直接画面で見せたり、一応スケジュールも順番を編集すればいいだけなので便利と思ってたのですが
フォルダから呼び出すのに時間がかかるのと娘の意思表示に使うにはこちらが気がついて写真のリストまでは呼び出してあげないといけないし…
なんて思ってたらそこらへんにある紙に絵を書いて伝えてくるようになりました(^^;
本当に子どもって…
いい意味で裏切ってくれます
でもこれも今までコミュニケーションの取り方を教えてきた大人の努力の賜物と思ってまた日々精進です
コメントありがとうございます。
今回のエントリに書いた「副作用」については、夫婦で話しているときに気づいたことですね。
「最近手伝いに来ないんだよね。呼んでもこないし。今まではほっといてもついてきてたのに」
みたいな会話から、状況を解きほぐしていって分かってきた、といった感じです。
我が家もイラストの描き直しを要求することがあります。
あるイラストのある部分の線は「閉じて」なければならない、というこだわりがあって、そこが「開いて」いると描きなおせと怒ったりしますね。(笑)
時計を見て動けるようになる、というのは成長を感じさせられる事件ですね。(^^)
我が家も、いちおう時計を見せてはいるのですが(さらに、わざわざ毎時にボンボン鳴る掛け時計を設置して注意をひきつけようとさえしていますが)、どうもまだ分かっているようには見えないですね(^^;)。
コミュニケーションの療育は、常に試行錯誤の連続だと思います。
そんな「試行錯誤の一例」を、このシリーズ記事で書いていけたらいいな、と思います。