リカと3つのルール: 自閉症の少女がことばを話すまで
東条 健一
新潮社
プロローグ
第1章 学習と罰の関係
第2章 アクセル全開
第3章 悪魔に取り憑かれた少女
第4章 真実の扉
第5章 ドラゴンを倒す方法
第6章 応用行動分析とばいきんまん
第7章 学習の科学
第8章 人を動かす3つのルール
第9章 行動のマネジメント
第10章 模倣の技術
第11章 だれも知らないことばの世界
第12章 心の扉が開く
参考文献
実はこの本は、ABAを「行動科学マネジメント」という名称でビジネスの世界に応用されて活躍している、ウィルPMの石田淳さん(@Ishida_Jun)から献本いただきました。ありがとうございます。
著者の東条氏は、石田氏にとっての「恩人」なのだそうです。
献本のお話をいただいたときは、あ、またABA系のビジネス本でも出たのかな、と思っていたのですが、届いた本を見て納得。
私の関心のど真ん中ストライク、「ABA(応用行動分析)で、自閉症の娘を療育する本」でした。

そして、少し読んで気がついたこと。
これ、「お父さんが書いた療育の本」なんだ。
まあ、よく考えれば著者名を見ればすぐに分かることなのですが、今まで、「お父さんが(職業的支援者としてではなく、親として自分自身が主たる療育者となって)療育する本」というのをほとんど見たことがなかったので、かなり新鮮でした。
そして、この新鮮さは、実際に本の中身にも、本書ならではのユニークさとなって現れています。
本書は、「療育本」あるいは「(親としての)当事者本」としては、全体を通してかなり異質な内容になっていると感じます。
「療育本」というよりは、「小説」的であり、また「ビジネス書」的でもあるからです。
本書はまず、著者自身の生い立ちから始まります。
著者は、幼少の頃から社会人になり経済的に自立するまで、お金持ちになったり貧乏になったり、波乱万丈の人生を送り、やがて大手航空会社の国際線キャビンアテンダントと結婚し、高級外車を乗り回し、毎日のように高級レストランで食事するような贅沢な生活を送るようになります。(第1章~第2章)
そして、女の子が生まれ、リカと名づけられます。
ここからは割とお決まりの、「おとなしい子」→「だんだんおかしいと感じるように」→「自閉症ではないかと疑う」→「診断告知」→「大ショック」という、自閉症児の親なら誰でも通過するパターンをそのまま踏んでいきます。(第3章~第5章前半)
特に本書のケースでは、いわゆる「折れ線型」、つまり一度できていたことができなくなっていく過程をとおっているだけに、そのショックは察するに余りあります。
ここまで本書を読んでいると、著者の傾向として、統制感が強いというか、問題に対してはあらゆる手段を尽くしてその問題をコントロール化においてしまいたい、といった行動パターンがあることは分かっていたので、診断後に著者があらゆる代替療法に手を出していく展開になることは、ある程度想像がつきました。(第5章後半)
実際、著者は、娘のために、「抱っこ療法」「キレーション」「プール沐浴療法」「ホメオパシー」「新興宗教」「アニマルセラピー」などの代替療法に次々と手を出していきます。
でも、著者は結局、どの代替療法にもハマりませんでした。
それは、著者が良くも悪くも「効果が実証されているものをやりたい!」という強い意志を持っていたからだ、と考えられます。
これら代替療法は「効く、治る」と喧伝はするものの、その「原理」はうさんくさく、また実証された効果はどこにもなく、ものによっては「効果がない」というエビデンスが既にあるものもあり、著者にとっては「使い物にならない」という印象だったようです。
ぼくは、なにを探しているのか、初めのころはわからなかった。ただ、たくさんの本を読み、過去の新聞記事を調べ、たくさんの人に話を聞いた。
なぜか、どの情報も気に入らない。
民間療法や代替医療といわれるものは、何でも治ると万能を強調するわりに、効果が実証された研究は見つからない。(初版104ページ)
そして、著者はついに「効果が実証されていて、しかも自閉症がよくなると言ってくれる療育法」である、応用行動分析(ABA)にたどり着きます。
そして、日本のABAのメッカの1つである上智大学の中野教授のもとに、ロヴァース式の集中介入のプログラムがあることを知ります。
当初、年間数百万円に達する費用を前にプログラムへの参加を躊躇する著者ですが、偶然知り合ったABAのセラピストの簡単な「指さしトレーニング」実演のあと、あっという間に娘が絵本のばいきんまんを指させるようになった(それまでまったくできなかったのに!)という体験からABAの効果を確信し、高価なプログラムへの参加を決意します。(第6章)
ここから先もまた本書がユニークな部分で、娘への療育を通じて学んだABAの技法が、著者なりに再構成され、日常生活やビジネスにも応用できる一般的原則として語られていきます。
このあたりは、まさに石田さんの「行動科学マネジメント」とも軌を一にするところでもあり、「もしビジネスマンでもあるお父さんが療育で応用行動分析を学んだら」的な(笑)、療育→行動理論→ビジネスへの応用、という、ちょっと変わったルートからのABAの紹介でもあり、「療育」が客体化され、ビジネスライクに語られるという少し不思議な構成にもなっています。(第7章~第11章)
ちなみに、第8章で紹介されている「人を動かす3つのルール」とは、以下の3つです。
・はっきりと指示する。
・失敗させない。
・すぐに強化する。
このABA療育のパートは、ボリュームもあり、なかなか圧巻です。
「ABAの療育ってどうやるの?どんなことをやるの?」という疑問に、定性的に(ストーリー仕立てで)答えてくれる本としては、これまで出た本の中でも突出してよくできていると思います(ただし、定性的な内容であって、この本を読んでも「自分の娘への療育手順」が分かるわけではないので、その点はご注意を)。
そして、診断当初「ことばの概念自体がありません」とまで言われた娘に、動作模倣、口真似、発語、発語、ものと音声の対応づけ…と、ABAの王道スタイルの言語トレーニングを行なっていき、最後にはとうとう…
と、本書のサブタイトルである「自閉症の少女がことばを話すまで」の感動的なストーリーがハッピーエンドを迎える…と思いきや。
最後に、大どんでん返しがあります。
最後の最後で、本書はハッピーエンドかそうでないのか分からなくなります。
ABAの集中介入がもつ「負の側面」が残酷に牙をむくのです。
これがあるので、ABA、特に集中介入・ロヴァース式などと呼ばれるタイプのハードな療育は、手放しで薦められないんですよねえ。(なので私個人としては、あらゆる意味で過度な負担のかからない「ソフトな?ABA」が家庭でのABAとしてはベターだろうと考えています)
さて、最後に、本書全体についての感想ですが、「物語」としては実によくできていると思います。
自閉症や療育に関心のない方であっても、興味をもって最後まで読ませるだけのドラマ性をもっているんじゃないかと思います。
また、ABAの家庭療育のイメージもボリューム感たっぷりかつ情景が浮かぶようにうまく描かれていますし、またそのなかでABAの一般的な技法、考え方のエッセンスについても、日常生活や仕事で使えるようなかたちでうまく説明されています。
一方で、自閉症のことを「病気」と記述している箇所があったり、(ABA本にはときどきあることですが)自閉症という障害を、闘う対象としての「敵」「悪魔」と扱っている印象があるなど、自閉症と療育について専門的な知識を知ろうとする目的には、ややそぐわない部分もあると感じます。
あくまでも「自閉症の親子をめぐるドラマチックな物語」、そして「ABA療育のイメージをつかむ格好のテキスト」、さらには「父親の目からみた療育、子育て、そしてABAとビジネスの関係」といった、あまりこのジャンルでは得られないような「読書体験」を得るための本として読むのがいいと思います。
文字通り、最後のどんでん返しまで目が離せません。
ぜひ読んでみて下さい。
※その他のブックレビューについては、こちら。
ABAの集中介入が親を含めた家族にとって強化的でない面を持っていること(私自身が脳卒中早期集中リハにかかわっていた時、リハビリに最適な科学的方法は実践したけれど、その家族たちは今どうなっただろう?と自責の念があります)を含め、気になります。
ホワイトボード、すごーく待っていたのに、11日はまとめ記事でした。これもそらパパさんの論理の展開では必要なことだと思いますので、のんびりおまちします。
コメントありがとうございます。
「牙をむく」は…概ね、その通りの意味です。
最後の章で、淡々とした文章なのに、びっくりする内容が描かれていきます。
まさに大どんでん返し。
ホワイトボードのシリーズ記事ですが、すみません、確かに昨日の記事は内容的に停滞してしまっていますね。
実は、今回はあらかじめ全体を書かずに、毎週書き足して書いていっているので(最近のシリーズ記事はみんなそうなのですが)、ちょっとこれからどういう風にまとめていこうか、考え中です(笑)。
でも、少なくとも次回は間違いなく「つながっていく」話が書けると思いますので、お待ちいただければと思います。
自分、第二子を育てながら、あれ、上の子の時どう?と、全く思い出せない。体力気力ともに限界過ぎて、消去されている。そのころを、読みながら思い出すではありませんか。
私が危機のふちにいた証拠でしょう。幸い?仕事も代わりがおらず、金もなく、発語はあったので、著者さんほどにはならなかったが…。恐ろしい。
なお、丁度今週から、娘は新しいステージ(反抗期?)に入ったようです。
ママ、頑張ったらラムネ上げるね。
ママ、ニッコリ笑顔でいてね。
・・・ちび問題行動の合間、ムスメにABAがえし?をされてしまい、内心超動揺してます。
最低限の生活習慣と、手つなぎまで定着できたところに、厄介な・・・セーフだったのか、だからこそ出るのか。この著書の最後にあるように、要求や望みを表現しづらい自閉症圏が表出しだし(せかいをかえる力に気づく)、通る道なのかもしれません。最近スケジュール等を明示する努力を怠っていた点は気づき改めましたが…
…手ごわい。体力を削らない程度につきあっていきます。ワタシあっての育児です。
コメントありがとうございます。
読まれたんですね。
なかなかあのエンディングは壮絶ですよね。
こういうリスクが決して小さくないので、ハードなABAって薦めることを躊躇してしまいます。
うまく支援する側(親)が自分のリミットを見極めて、「楽しく、潰れずに、続けていける」密度での支援が必要だな、と思っています。
反抗期は来ますよね(笑)。
うちの娘も、いま何度目か分からない(^^;)反抗期で、言うことをわざと聞かなかったりします。
でも、こんな「聞こえてるのに聞こえないふりをする」「指示を理解してるのにあえてやらない」みたいな高度なことができるようになって、すごいなあと微妙に喜んだり(笑)もしている毎日です。
「お父さんが療育する本」という視点はとても新鮮ですね!
ところで、「お父さんが療育する本」の先行者として矢幡洋さんの書いた『数字と踊るエリ』があります。この著者の書いた『もしかして自閉症?』については、「本を読んだり人から聞いたことがそのまま書かれている」「まったくおすすめできません」とそらパパさんには珍しいぐらいに憤っておられ、「自閉症―これまでの見解に異議あり!」というトンデモ本の方がまだ共感できる、と書いてあるので、それを見ると、矢幡洋さんの本も読むに耐えないひどいものだろうということは想像がつきます。
とはいえ、「父親の療育本」の一つであることは事実でしょう。そこで、図々しい提案にならなければいいのですが、一度「父親の療育本」を並べてレビューするという企画をしていただけないでしょうか。別に矢幡洋さんの本は「まったくおすすめできない」で構わないと思いますが、「リカと3つのルール」の異義が浮き彫りにされるのではないでしょうか。
お恥ずかしい話ですが、私はどちらもまだ読んでいない(それでも「父親の療育本」には興味あります)ので、どれが読む価値があるのかどうか目利きのそらパパさんにアドバスをいただければとても助かります。
本当に図々しいお願いですが、いつか実現することを期待しています。
コメントありがとうございます。
最近は、障害をもった子どもを育てる親の手記的な本もたくさん出ていますが、父親の視点で書かれたものは少ないですね。
さらに、「父親自身が療育に深くかかわっていく本」というのは、その中でも珍しいんじゃないかと思います。
矢幡さんの本ですが、確かに以前少し読んだ記憶がありますが、もはや記憶の彼方で、内容は残念ながらほとんど覚えていません(^^;)。
ですので、いまから「父親療育本」をまとめるのはなかなか大変な気がしますが、少なくとも今回ご紹介した「リカと3つのルール」は、ABAによるハードな療育のエピソード本として、読む価値は十分にあるんじゃないかな、と思っています。
アスペ君ママさんの書き込みは矢幡氏の著作はダメだと頭から決めつけているように受け取れるのですが、そこまで言い切っちゃっていいのでしょうか。
矢幡氏がご自分でブログに書いていたのですが、『数字と踊るエリ』は講談社ノンフィクション賞の次点にまで行ったそうですよ。立花隆氏は「読後感が一番さわやか」、野村進氏は「最終候補作の中で最も完成度が高い」と最後まで矢幡氏の作を受賞作に推したとか。講談社のノンフィクション誌にそういう選評が書かれていたということでした。記憶だよりですが、だいたいそんな評価がされていたということでした。療育ものが文学賞の候補になることが珍しく思われたので、その記事が印象に残りました。
何も取り柄がない本がそこまで評価されますかね。
こちらの管理人さんが指摘されているように、父親による療育本は意義があると思いますよ。ところが、そういう本は現実には少ないわけですから、最初から排除してしまうのはどんなもんでしょうか。特定の傾向だけに限定してしまうと父親療育シリーズはとてもそろいそうにない気がします。
矢幡氏のものも「父親による療育本」の候補に加えて 、ニュートラルな姿勢で色々な「父親療育本」がそろうのをじっくり待ってもいいのではないかと思いますが。
立花隆さんが矢幡洋さんの「療育本」を「読後感がさわやか」とされているということに返って疑問を感じます。矢幡洋さんは、「さわやかに読み終えられる」ところで療育記を上手にまとめてしまったのではないでしょうか。
矢幡洋さんのブログって探してみましたが、どこにもありません。通りすがりさんが見たのだとすると、その後、療育が行き詰まったので、公開するのを止めてしまったのかも知れないと勘ぐりたくもなります。
通りすがりさんが触れていらっしゃる選考委員のコメントは矢幡さんのホームページに掲げてありますね。それも一年近く前に見た時から全く更新されていないようです。
ネット活動は停止されているように見えます。バラエティー番組出演でお忙しくなったのかも知れませんが、ブログまで削除されているとなると、そらパパさんが批判されている「ロヴァース万歳」「ロヴァース法至上主義」の破綻の憂き目に遭っていらっしゃるのかも知れません。
矢幡洋さんは療育体験を文学作品としてまとめられたからこそ、文学賞の候補になったのではないでしょうか。でも、療育体験記と療育体験を題材にした文学作品とは、分けて考えた方がいいと思います。
今は保留だと思います。矢幡洋さんがロヴァース法至上主義の失敗までオープンにされるのであれば、父親の療育記に数えていいと思います。排斥しているわけではありません。
そらパパさんが『自閉症―これまでの見解に異議あり』よりもダメだとされているような本しか書けないハード・ロヴァース法至上主義に基づく療育がうまくゆくとは、私にはちょっと思えません。
コメントありがとうございます。
私としては、現在はもはや矢幡さんの著作には「ほとんど興味がない」というのが率直なところです。
いま確認してみましたが、ツイッターアカウント https://twitter.com/yahatayo もアクティブではないですし、ここに掲示されているHPへのリンクも切れています。
彼のABA療育がどうなったかは情報が断絶しているため判断できませんが、彼が少なくともそれについて情報発信しなくなった、という事実が、何かを物語っているような気はします。
また、当事者(やその親)の本というのはいろいろな読み方ができると思います。件の本の「文学的」評価というのは、「療育本としての評価」とはまた別に存在してもいいとは思います。
矢幡氏は昨年後半に『数字と踊るエリ』の続編を出してますよ。『病み上がりの夜空に』最近読んだんですが、『数字と踊るエリ』で書かれた時期はあまり書かれていなくてその前後の事が書かれているので、最初から二部作で構想されていたのではないかと思いました。
前著が家庭療育の明を描いた物だとすれば第二部にあたるのは暗を正面から描いた内容です。療育が長期化するにつれて経済的な苦境、夫婦の方針の違いが大きくなってきます(エリさんは5年生で独力でブログを書き始めたとか・・・療育だけは唯一順調に行ってる感じです)。方針の違いの背後にある夫婦の生き方や価値観の違いをえぐり出していて人間観の深さを感じさせます。この本で初めて矢幡氏のファンになった気がします。
前半に矢幡氏が昔は極左的な労働組合のリーダー格だったという過去に触れられていてびっくりしました。闘争場面で描かれた激烈さは意外でした。
前著と2冊合わせて父親療育本に加えていいんじゃないかと思いますが。(管理人さん、コメント欄をアスペ君ママさんへの連絡用に使ってごめんなさい)