発達障害だって大丈夫―自閉症の子を育てる幸せ
著:堀田 あけみ
河出書房新社
書名と著者名、そして出版元が「河出書房」だという事実を組み合わせて、私が冒頭で書いたように「奇跡的な本」だと即座に気づける人は、なかなかのマニア?でしょう。
ぴんと来ない方でも、次の本とあわせて見ることでその「意味」が分かってくるのではないかと思います。
1980アイコ十六歳
著:堀田 あけみ
河出書房新社
この、「1980 アイコ十六歳」という小説、ご存知の方はいるでしょうか?
最近では珍しくなくなりましたが、当時は女子高校生が文学賞を受賞したということでけっこう話題になったと記憶しています。(第18回 河出書房文藝賞受賞作品)
私は、小説はあまり(ほとんど?)読まないのですが、なぜかこの小説は読みました。しかも結構気に入って、2~3回繰り返して読みました。とてもくだけた口語的な表現がたくさん使われているのに、それでいて嫌味なく読める文体が気に入ったからです。内容的には何てことのない小説だったと思いますが、読んでいるときの「手触り」というか、「喉ごし」というか、そういうのがとてもよかったんですね。
だから、いつも立ち寄る本屋の「障害児教育」のコーナーに本書があって、著者名として「堀田あけみ」と書かれているのを見たときには目を疑いました。
もしかして、あの堀田あけみ?それとも同姓同名の別人?
そういぶかしんで本の後ろの著者略歴をみて、「アイコ十六歳」の文字があるのを見た瞬間に、無条件にレジに持っていきました。
さらに驚いたことに、その著者略歴には「心理学者(専門は発達・教育心理学)として研究者の道も歩む」と書いてあります。調べてみると、名古屋大学の教育学部で博士課程まで履修していて(いわゆる単位取得退学)、事実上の「教育学博士」にもなっていました。現在も大学の講師として働かれているようです。
ええっと、じゃあ整理するとこういうことですね。
高校生にして文藝賞を受賞し、その後も作家活動を続けてきた、私好みの文体の文才ある女性が、まさに教育・発達心理学というピンポイントの「こどもの心理学」に関するプロの心理学者になって、さらに授かった子どもが自閉症だった。そして、その経験を綴った子育て本がここにある。
すごすぎです。これを奇跡(信じられないほどの偶然)と呼ばずして何と呼ぼう。
(ちょっと本書の文体が伝染しているかも(笑))
実際、本書も「アイコ十六歳」のときと変わらない、口語的な表現がたくさん入っているのに読みづらさや不自然さのない読みやすくて味のある文章で、思わず一気に読んでしまいました。
著者の子どもは3人兄弟で、真ん中の次男が発達指数で50をほんのわずかに下回る、軽度と中度の境界域にある自閉症児です。
著者は心理学者ではあるものの、本書には療育の具体的技法や自閉症の定義といった学術的な内容はほぼ皆無で、そういう意味ではごく普通の「子育てエッセイ」です。
でも、やっぱり「アイコ十六歳」の堀田あけみだな、あるいは心理学の素養を持っている人だな、と思うのは、すごく肩の力が抜けていて、自分のおかれた境遇や、さらには自分の辛い気持ちまで、淡々と客観的に、しかもユーモアたっぷりに書けるだけの余裕を感じさせる内容になっていることです。だから、安心して読み進められます。
例えば、こんな「痛快な」文章、心理学を学んでいて、しかも本当に自閉症児を育てているこの人じゃないとかけないんじゃないかと思うのです。
早期発見・早期療育。これが発達障害の原則、最重要項目です。何を見ても、そう書いてある。でもね。
ちょっと、言い訳がましいけど、こんな視点もある、と言わせて下さい。
子どものことを考えたら、早いに越したことは無いけど、親の心の問題だって大切ですよって。
(中略)相談に行く保護者本人が、最低限の心の準備ができるまでは、待つことは構わないと思います。一ヶ月や二ヶ月、相談が遅れたって、死にゃしないんだ。
不謹慎な言い方は承知です。でも、本気で辛いとき、私が自分に何度も言った言葉でもあるのです。大丈夫。発達障害だって。
死にゃしないんだ。(初版60~62ページ)
あるいは、こっちのワンシーンなんかは、まんま「アイコ十六歳」で私が好きだった文体の雰囲気そのままです。(こちらはノンフィクションですが)
(子どもが障害児だと伝えたときの周囲の反応について)こういうときに、一番言われたくないのが、「泣かないで」「頑張って」だから、好意から来ているのがわかっていても、そう言われると、「なんだかなあ」となる。
泣いたっていいじゃん。
すごーく辛いんだから、泣かせてよ。
そりゃあ、泣いても何の解決にもならないけどさ、思い切り泣けば、すっきりするってこともあるじゃん。
事前に一杯泣いて、覚悟も決めたけど、やっぱり決定的な診断が出ちゃうと、泣きたくなるんだよ。(初版70~71ページ)
ところで、本書のなかで、著者は徹底して現実主義です。
「現実がこうなんだから、それに順応していく道を選択すればいい」という明確なスタンスを持っています。そのあまりにあっさりとした?割り切りに、疑問を感じる方も少なくないのではないかと思います。
私もこのあたりの著者の「割り切り」に完全に共感するわけではないのですが、一つの生き方として説得力はある、と思います。なぜなら、著者が現実主義を貫く理由は、それが障害をもった我が子の将来にとって一番幸せな結果を導くと信じているからです。
そういう、ブレの無い一途な目的意識に基づいた「現実主義」であれば、それは単なる妥協した生き方とは全然違うものだと言えると思います。
ともあれ、子育てエッセイとしては個人的にはかなり面白く読めましたし、心理学のバックグラウンドを持っている人が書いているので安心して読めました。
※その他のブックレビューはこちら。
養護学校中学部2年の自閉症男子を持つ母親です。
NPO法人アスペ・エルデの会のホームページにも
「堀田あけみのわくわく子育て」というエッセイが掲載されていますよ。
http://www.as-japan.jp/kosodate/talk/hotta.html
私もこのページを見て今目を疑いました。
あの堀田さん?と。
名古屋大学に進まれたのは知っていましたが、映画も見て行ったりしてかなりのファンでした。
その堀田さんが…、紹介ありがとう!!
本書の中でも出てきましたが、堀田さんは大学の関係もあって、アスペ・エルデの会とはつながりが深いようですね。
さっそくエッセイを読ませていただきました。
考えてみると、あまり家にいない夫と結婚して、3児の母で、大学の講師と作家の仕事を続けつつ、子どもの一人が自閉症、という状況を続けていられるというのは、つくづくスーパーウーマンだなあ、とは思います。
うんざさん、
そうですよね。
私も本屋で目が点になりました。
こういう偶然に遭遇すると、本当に人生っていろいろだなあ、と思います。
そして、幸せっていうのは天から与えられるものではなく、自分で作るものなんだなあということも改めて実感します。
これからもよろしくお願いします。
先日奥様のブログを読ませていただいていたら、栄養士さんでその資格でお仕事はされたことないとか。
私もなんです。
どこで仕事をしていたかというと、自閉症者の更生施設で、指導員として働いていました。
まさか自分が自閉症の子を育てることになるとは、思いませんでしたよ。
まったくそのとおりですね。
そういう意味では、私だって、大学で心理学の勉強をして、社会に出てそれが統計などの分野でほんの少し役立った程度で「心理学の勉強が役に立った」と思っていたのです。
それが、ここまでフル活用する日が来ようとは、ほんの数年前まではまったく予想もしていませんでした。
人生って、結局そんな「信じられないような偶然」が意外と当たり前に起こるものなのかもしれません。
11歳の自閉症児の母です。
迷うといつもこちらで勉強させて頂いています。
同じ愛知県民なのに、全く知らなかったので、びっくりしました。
そらパパさんの記事を読んで、すぐに購入しました。
ご紹介ありがとうございました。
これからも、記事の更新を楽しみにしています。(でも、くれぐれも無理のない範囲で・・)
この本は、事実は小説より奇なりをまさに地で行く本ですよね。こんな偶然ってあるんだなあ、と何度も思いながら読みました。
更新はのんびりやっていきます。
今後も、よろしければいらしてください。(^^)
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楽しい子育て応援団 堀田あけみトークライブ
“ 子育てって楽しいぞ ”
3月23日(金)
主催:NPO法人アスペ・エルデの会など
会場:イオン熱田店 1階バンブーガーデン前
http://www.aeon.jp/sc/atsuta/
楽しい子育て応援団 堀田あけみトークライブ
“ 発達障害だって大丈夫 ”
●トークゲスト 堀田あけみ(作家)
●聞き手 辻井正次(中京大学社会学部教授)
●第1部 13:30~14:30
堀田あけみの子育てトーク
『発達障害だって大丈夫―自閉症の子を育てる幸せ』
●第2部 14:30~14:45
対談:「育てにくい子ども」を育てるコツ
●第3部 14:45~15:00
質問に答えて
ー『発達障害だって大丈夫』をご持参いただければ
堀田さんのサインをもらうことは可能です。
イオン熱田店さんの社会貢献事業でもあります。
無料ですし、特に申し込みなど必要ありません。
皆さんの書評を読むと、かなり好意的なので大いにためらいはあるのですが、心理学を専攻し、人に教える立場になっている方なのに、自らの学問を生かした療育をやっているというような記述は無く、肩透かしを受けたような印象を持っています。
かつて大恐慌で破産した経済学者もいましたから、学問と個人生活は別なのかも知れませんが、大切な子供のために何かできないか、忸怩たる思いを持っているような雰囲気が希薄です。
思うに、この手の随筆を読もうという人のニーズは、彼女のファンというのでなければ自分の子供の療育のヒントを得たいとの欲求だと推測されるので、本書の場合、彼女の子供への愛情の深さはわかるものの、それ以外にあまり参考にはならないなあと思いました。
はじめさんのご指摘はもっともです。
この本は、療育技法についてのヒントを得るという目的のためにはまったく役に立ちません。
でも、私自身は、じゃあこの本は単なる堀田あけみファン向けの子育てエッセイなのか、といえばそうではないと思っています。
本書は、興味深く読めるエッセイという以外の読み方として、自閉症児の親の「肩の力の抜き方」のヒントが書かれた本として読める、と思います。
つまり、まさにはじめさんが書かれているような、「心理学を専攻して、人に教える立場になっているのだから、療育はその知識を生かして徹底的にやるべきだ」とか、「障害を持った子の親たるもの、大切な子供のために何かできないか、忸怩たる思いを常に持っているべきだ」といった思いから、自由になってもいいんじゃないですか、というメッセージが、本書にはこめられていると思うのです。
それは、記事のなかで引用している一つ目のほうからも伝わってきます。
自閉症の子どもを何とかしなきゃいけない、というのはもちろんものすごく大切なことなのですが、その子どもを育てている親を「何とかしなきゃいけない」というのも、やはりまた大切なことだと思います。
自閉症の子どもの療育はもちろんものすごく大切なことですが、その療育をしている親自身の精神面をケアすることも、やはりまた大切なことでしょう。
だから、親が「肩の力を抜く」ということも、私はとてもとても大切なことだと思っているのです。(だからこそ、「子どもの療育」と「親がラクをする」が両立できるような療育法を私は目指しているわけです。)
確かに、最近は落ち着いてきましたが、子どもの障害を知ったストレスで血圧が20も上がった経験からすれば、親が肩の力を抜くことも、骨身にしみて大切だと思います。
しかしながら、肩の力を抜いたら抜いたで自責の念が出てきちゃうので、それはそれで後ろめたさがストレスになりますね。
なお、そういう親の視点ではなく、一専門家として子どもに対する療育に何ら興味関心が無い(ように思われる)のは、なぜだろう?という疑問は、残っています。
亀レスになってしまいましたが、このときのはじめさんの疑問についての私の考えを、下記の記事に書きましたので、よろしければご覧ください。
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/102387249.html
ただ、この本自体は私はすごく読んでよかったと思います。なかなか自閉症児を含む複数の子を持つワーキングマザーという立場から、背中を押してくれるような本に会うことがないので、すごく勇気づけられました。アスペの娘はともかく、2歳の自閉の息子は将来学童で受け入れてもらえるのか??など、現実的な不安ひとつひとつに道筋がついていく感じがしました。この本の内容を一言で表すとしたら、そらパパさんが書かれている通り、「現実主義」がしっくりします。
なぜ家庭での療育に関する記述がないのか、ということについて、私なりに想像すると、第一に著者に「そんな時間がない」のではと思います。次に優先度として、たとえ少しでも時間があったら「子供達の今を楽しむ。かわいいと思う。」ことに費やされているのではと思います。ただ無条件に喜ぶのではなく、「今うまくいったからといって次もできるとはかぎらないのが発達障害児」というような、"ちょっと引いた目線"がプロなのかな、と思いました。それでも、やっぱり「何かできるようになることは、だれにとってもけっしてあたりまえのことではない」と「感謝して受け止める」。私にはこの姿勢で送る日常が「家庭での療育」のメインかなという気がしています。
この本を手に取った一番の理由は、障害があっても、「この子達を育てることは幸せである。心から愛してる」と無条件にいえるかどうか、不安だったからです。堀田さんの「こちらが何の努力をしなくても、カイトは面白くて可愛いから」という言葉は、「そうそう!!そうだった!!うちの子も、愛されキャラだ」とほっとしました。
(別のエントリにコメントいただいた「ピッカリママ」さんと同じ方ですよね?(^^))
この本は、Amazonのレビューを見たり、このブログで感想を書かれている方の文章を見たりして、いろいろな読者のいろいろな問題意識を受け止めることができる、とても「懐の深い」本なんだなあ、と思いました。
療育も、それが「当たり前」になってくると、通常の子育てと同じように「療育しています!!」みたいな感じではなくなってくるところがありますね。堀田さんも、もしかするとそんな感じなのかもしれないな、とも思ったりしています。
父親はいつも海外にいて、自閉症の子持ちで、子どもが複数いて、自分もバリバリ学者として働いているって、よくそんな生活を維持できるものだと心から驚嘆します。
それだけのハードボイルドな(笑)生活について、これだけさらりと書けるのは、やっぱりすごいことだ、と思うわけです。
現実的とありますが、今、別に読み進めている本とたまたま共通した印象を受けているのですが、どちらも、障害のある子のいる家族という条件を乗り越えて、周りの方々の中に上手に溶け込み、上手に助けてもらえる、強くて賢い、ある意味したたかな母親像が見られるような気がしております。なかなかまねできることではないのですが、地域や社会に出さなければいけないことは、先々ホントに考えていかなければならないことのひとつですよね。その筋道は、やはり母親が作っていくものなのかなと思ってしまいました。
私は、これから子どもを社会(といっても幼稚園ですが・・・。)に出すことになるので、そういった視点で読んでいるのかもしれませんが、自分ができる方法を見つけていこうと思います。彼女達の、強い生き方は、まねできることではないのですが、いろいろ背中を押されたような気がしました。
私自身こちらのブログを大変参考にしておりますが、あまり療育を行っている母ではないと思います。というか何をしたらいいか・・・。あまりのにもややこしいあまのじゃく的な部分がうちの子の特性と最近気が付いたところです。また、時々参考にさせて頂きます。
コメントくださいましてありがとうございます。
皆さん、ブログへのコメントは気軽につけていらっしゃいますので、今後もちょっと感じたことなどを気軽にコメントいただければ嬉しいです。
この本についてですが、確かに、一言で言えば「たくましい」「したたか」ということを私も感じます。
障害を持った子どもを育てていくためには、どうしても周囲の支援が必要です。その支援をうまくとりつけて、かつ、家族がみな自分らしく生きていくためには、やはりある種の現実主義に基づいた「したたかさ」がどうしても必要だ、と思いますね。
この本はそういった生き方をあっさりと肯定してくれるという点でも、私たちに勇気を与えてくれていると思います。
でも、もちろん、これが正しいとかそういうことではなくて、「こんな生き方もあるんだよ」という、そういう「生き方の多様性」のメッセージがこめられた本だと思います。
読みました。
誤用の方の意味での「確信犯」だと思います。
「わくわく子育て」の No.1, 2, 12 や、
本書315頁「背中を押せるような本」にするために、
療育色は故意に削いだのでしょう。
それはこの本の役割ではない、ということで。
実際、ご自身の豊富な知識をベースに、ベストと
考える療育のレベルは全然達成できてないでしょうが、
それでも日常の中でとても細やかな療育をなさって
そうですね。 負荷の調整が絶妙であろうと想像します。
あと、各章のオチがとても丁寧ですね。
314頁の構成とか、「プロ」の仕事って感じです。
美しい。
検診で診断名が付いて大ダメージを食らった
タイミングで読むと良いのかもしれません。
男親にはサヴァン/エジソン系の刺激の方が
即効性があると思うのですが、女性にはこう
いった柔い受容の方が効くのかな?
あと旦那氏のブログへのリンクを貼っておきます。
http://reiohara.cocolog-nifty.com/blog/cat8103436/
堀田氏が言うように外面だけの人なのかなぁ。
そーは見えませんなぁ(笑
コメントありがとうございます。
私は父親ですが、お母さんにおすすめ、ということではなく、私自身が堀田さんのスタンスをとても好きなのです。
これは私の印象ですが、彼女は現状の子どもへの働きかけのことを「ベストには達していないけどバランスがとれている」なんて風にさえ感じていないんじゃないかな、と思っています。
もっと自然体に、何とも比較しないで、「そのまま」の姿でいる、そんな感じじゃないかな、と思っているわけです。
確かに、そのままの姿でいることに満足を
感じられるというのは、人としての1つの
到達点ですね。
そこを通っていない人には、まずは知足という
概念の存在を、そっと示すべきなのかもしれない。
でも正直、発達障害児の療育って、知足なんか
よりはるかに面白いのですけどもね。
知足を経ずに、いきなりこの面白さに気付いて
もらおうとするのは乱暴なのだろうか。
私の感覚では、「知足」でもないのですよ。「知足」って孔子のことばのようですが、この「知足」という概念自体、「足」ということばで量を測っているような感じがして、ちょっと違う気がしています。
また、療育に面白さがある、というのにも同意しますが、子どもの障害の重さにもよってもかなりそのニュアンスが変わってくると思いますので、「面白さ」の軸で療育を語るのは、ちょっと慎重にいきたいと考えています。