障害者の経済学
著:中島 隆信
東洋経済
序章 なぜ『障害者の経済学』なのか
第1章 障害者問題がわかりにくい理由
第2章 「転ばぬ先の杖」というルール
第3章 親は唯一の理解者か
第4章 障害者差別を考える
第5章 施設は解体すべきか
第6章 養護学校はどこへ行く
第7章 障害者は働くべきか
第8章 障害者の暮らしを考える
終章 障害者は社会を映す鏡
書いてあることはものすごくシンプル。まとめてしまおうと思えば、多分3文ぐらいで書けてしまいます。その主張の内容も、私の目から見てごくごく真っ当なもの。
でも、こういう本は今までなかった。
だから、まずは著者がこういう本を書いたことに拍手を送りたいのです。
先ほど「簡単にまとめられる」と書いた、本書における著者の主張は、こういったものです。
・行政における問題解決法には、大きく分けると「転ばぬ先の杖」型(問題が起こらないように事前に問題の芽を摘む)と「案ずるより生むが易し」型(問題への「事前介入」は控えめにし、実際に起こる問題に対して柔軟に対応する)という2種類のやり方がある。
・日本におけるこれまでの障害者行政は、徹底して「転ばぬ先の杖」型であった。しかし、それは結果として「障害者とはこういう人(であるべき)だ」といったステレオタイプを生みだしてしまった。これを「差別」だととらえる障害者も少なくないし、現実問題として障害者福祉のためのコストの無駄にもつながっている。
・右肩上がりの経済成長もなく、福祉予算の将来にも厳しさが増し、さらには「障害者」の多様性を無視すべきではないことを考えれば、日本の障害者行政はもっと「案ずるより生むが易し」型に移行することが求められる。その実際の動きが、たとえば障害者自立支援法だといえるだろう。
著者のいう「経済学」とは、シンプルな原理にもとづいて行政や社会の動きなどを含むさまざまな「ヒトの動き」を説明し、さらにはそれを将来の「よりよい社会」実現のための提案に変えていこうという立場のことだと理解しています。そして、その「シンプルな原理」とは「インセンティブ」、つまり、ヒトは自分の利得が最大になるように行動するという考え方です。
これは、行動主義心理学の考え方ともよく似ていますね。実際、本書の中の「インセンティブ」を「強化子」と読み替えれば、本書はそのまま「障害者の行動主義心理学」として読めてしまうのではないかと思えるくらいです。
別の見方をすれば、自閉症療育のためにABAやその他の行動理論を勉強している方であれば、本書の論旨はスムーズに理解できるのではないかと思います。
そして、本書の指摘は、なかなかに厳しいです。
障害者の家族、とくに母親が切望する「障害をもつわが子の世話を一生みてくれる施設を提供してほしい」という要求は必ずしも障害者の立場に立ったものではないとか、現在養護学校で生徒1人に対して使われているコストは普通学級の10倍にも達しており、この点に問題意識をもち改革を進める必要があるとか、障害者年金と(障害者が受けることが多い)生活保護について、「親ではなく障害者本人が確実に受け取れるように」制度を変える必要がある、など、読み方によっては、「非常に冷たいことが書いてある」「弱い障害者に鞭打つものだ」と受け止められかねない内容があえて淡々と説明されていきます。でもそれは、障害者に冷たいというよりは、現状を正しく理解し、「より良い障害者行政」に向かうために避けられないステップとして記述されていることが、本書をじっくりと読めば理解できるのではないかと思います。
そして終盤に入ると、本書の最大のメッセージ、「障害者の自立とは、経済的に自活することと必ずしもイコールではない」という主張が展開されます。
障害者の自立とは、親の意志でもなく、施設の職員の意志でもなく、行政が「障害者とはかくあるべきである」と考えるステレオタイプにはまるでもなく、障害者自身が自分で自分の人生を考え、選択することができることなのです。
そして、養護学校やその他の教育・療育施設で教えるべき究極のことがらは、まさにこの「障害者自身が自分で自分の人生を考え、選択できる(そしてその選択した人生を実際に送れるためのスキルを身に付ける)こと」であり、障害者行政も、そういった障害者の人生の選択を、旧態依然としたやりかたで「事前に目を摘む」ことなく、逆にバックアップし、問題が起こったときは適切なサポートを提供することだ、と言っているわけです。
ここまで冷静で、かつ本質を突いていて、しかも単なる行政への甘えでもなく、さらには障害者への理解と愛情まで感じさせる論評は、私はほとんど見たことがありません。
その理由の一端は、本書のあとがきに出てきます。
著者の子どもの一人が、脳性マヒによる障害をもっており、著者はプライベートではまさに「当事者」なのだそうです(この事実は、本文内ではあえて完全に隠されています)。
「経済学」の視点から、さまざまな問題を斬新な切り口で解説するユニークな経済学者が、当事者としての経験もふまえた障害者の現状への深い理解に基づいて著したユニークな障害者行政論。これは、読む価値ありです。
こういった本についてこれまで1冊も紹介してこなかったこともありますし、本書を久々の「殿堂入り」させることにしました。
なお、同じ著者の新書で、以下のものもあります。
これも経済学だ!
著:中島 隆信
ちくま新書
この本は、「障害者の経済学」だけでなく、お寺や伝統芸能の経済学といった、著者のその他のユニークな著作の内容まで含んだダイジェスト版です。
が、「障害者の経済学」の部分については、ちょっと内容を省略しすぎで、上記のような明快なメッセージ性が薄れているので、やはりここは単行本である「障害者の経済学」のほうを強くおすすめしたいと思います。
※その他のブックレビューはこちら。