これまで、3回にわたって、「夕食の献立を表示する」という目的でホワイトボードを導入したこと、その結果の「副産物」として、この「夕食ホワイトボード」が、「夕食時の手順・段取りの進捗を、ホワイトボードの内容を順に消していくことで視覚化する」という機能をもつようになった、という話を書きました。
さて、夕食時のパニックは、このようにホワイトボードを導入することで、かなり改善しました。
・パニックそのものが減りました。
・怒るタイミングが、「夕食時」から「ホワイトボードを描いたとき」に前倒しされました。
・その際、単に怒るのではなく、メニューの変更を求めるなどの双方向的なやりとりが生まれ、「コミュニケーション」ができるようになりました。
ところが、このような形で夕食時については改善されてきたものの、これとほぼ時を同じくして、生活のさまざまな場面で小さなパニックを起こす場面が増えてきてしまいました。
たとえば、夕食時ではなくて、その後、つまり「夕食後」です。
夕食後は、わたしたち親は、食器を食洗機に並べたり(食洗機に入らない食器は洗ったり)、歯を磨いたり、あるいは風呂の準備をしたり寝室でベッドメイキングしたりと、さまざまな家事があります。
ところが、そういった家事をこなしているときに、娘が機嫌が悪くなることが増えてきたのです。
また、朝の登校前にも似たことが起こってきました。
登校前も、娘自身の朝食やトイレ、着替えなどがある一方、親も朝食をとったり布団を片付けたり洗濯の準備を始めたりと、いろいろなイベントがあります。(私が朝食を食べて出勤する、というイベントも途中に割り込みます(笑))。
そして娘は、やはりこれらの家事等を親がこなしているときに、よく崩れるようになってきたわけです。
こういった傾向は、同じ時期にまとめて増えてきました。
また、怒っているときの状況も、何となく近いものがある(長い手順を親がこなしているときに崩れてしまうことが多いようだ)、ということから、私たちは、これらが関係があるものだと推測して、仮説を立てて検証することで、原因を発見し、問題を解決しようと試みました。
そして、ここでも結果的にはホワイトボードが役に立ったのでした。
(次回に続きます。)
うちは、第二子が生まれて、やはり、家事をしているときのつきまとい等が発生してます。
言葉でのコミュニケーションが可能ではありますが、やはり、状況を分析し、仮説を立て、検証する作業は、有効です。
実際私たちは、雑事を含めて、生活をして行かなければならないのですから。
別コメへの横レスですけど、{目線}は一般受けのいいことばでありつつ、例えば{信頼}のように、{信頼}があれば体罰は時には可である、もしくは体罰をする必要がなくなる、というように、有効な手段・議論を崩してしまいかねない情緒性をもっている単語だなあ、と、改めて思いました。
お手伝いでの参加(やること)を増やしてあげたいなあ、ともおもっていますが、分単位で弟の面倒を見ていると現実的じゃないんですよね。生活と療育、奥が深いです。
コメントありがとうございます。
我が家も、次から次へと登場する、娘の新たなパニック、崩れにいつも悩まされ続けています(^^;)。
仮説検証で有効な働きかけを模索することがずっと続いていきますよね。
「○○目線」というのは、おっしゃるとおり構成概念で目に見えない、ということもありますが、それより言いたかったのは自分自身が「○○」ではない人が、「これは○○目線」「これは○○目線じゃない」なんて言うことができるんだろうか、ということです。
どこまでいってもそれは「私がイメージする○○の目線」でしかなくて、本当に「○○のためになってるか否か」は、結局、「検証して効果があるか」以外の方法では外からは判定できない(だからこそ仮説検証が大事)だと考えているわけです。