実は今までは、療育に参加したとは言っても妻が療育に連れて行くのに同行していただけだったので、私一人で娘を療育に連れて行くのは今回が初めてでした。
既に療育は完全分離になっているので、療育に具体的に「参加」するシーンはないのですが、スタッフの方の配慮で、運動の時間と集合の時間の両方を見学することができました。
最後に療育中の娘の姿をみてから結構期間があいていたこともあって、いろいろ新しい発見、驚きがありました。
娘が大好きな運動の時間は、運動の部屋の隅に座ってしばらく見学していました。(妻が視界の中にいると、近寄ってきてしまって療育にならないのですが、私の場合はそこまでの愛着は幸か不幸か?成立していないので、いても大丈夫なようです)
見ていると、マットで作った山によじ登ったり飛び降りたり、あるいは丸太型のブランコに乗ってみたり、もちろんトランポリンで飛び跳ねたりと、かなりバリエーションのある遊び方をしていました。以前はトランポリン一辺倒だったので、遊び方に幅が出てきているという印象でした。
ところが、しばらく見ていると、娘が私に近寄ってきて、配置のこだわり(大人が座っているときは背中が壁や背もたれにぴったりくっついていないと気がすまない)を始めてしまったので、慌てて部屋から退散しました。(こだわりを邪魔されたせいか、部屋からはしばらく娘の泣き声が聞こえていました(^^;))
その後、集合の時間になったので、今度はマジックルームの裏側の観察室から見学しました。
ここでもやはり「配置のこだわり」が出てしまって、子どもたちが座っているいすの配置が気に入らないということで叫んでいました。(実は、なぜ叫んでいるか観察室からは分からなかったのですが、後で先生から報告をもらって分かりました。)
まあ、叫んでいるとは言っても、先生のほうも相手にせずに淡々と課題を進めていきますし、娘も不承不承ではありますがちゃんとやるべきことはやっていたので、療育に「参加」できていたのはよかったですね。
集合の時間で気が付いたのは、ことばの指示が多少通るようになっていることと、有目的的な行動が増えていることでした。例えば先生に「おかたづけ」と言われると、自分が座っていたいすを抱えて部屋の隅に片付けにいくことができましたし、順番に先生の前に行って遊びに参加してまた自分の席に戻る、といった一連の行動も、多少の補助は受けつつも、それなりに他の子の真似をして行動できていました。
集合の時間が終わった後もそのまま観察室にいて、ついでに食事の時間の様子も見ていたのですが、ちょっと驚いたのは、娘が自分の弁当だけを黙々と食べ、食べ終わったら先生のサポート受けながら片づけをして(あっという間に食べ終わってしまって、一番に片付けてしまったのには笑いましたが)、集合テーブルに座っている他の子の食事には全然手をつけようとしなかったことです。確か以前は、自分が食べ終わるとしきりに他の子の食事をとろうとしていましたから、これはかなりの進歩なんじゃないかな、と思いました。
とりとめのない感想になってしまいましたが、久しぶりに療育に参加してみて、集団活動での娘の発達を確認できたのは収穫でした。
娘も来年からは幼稚園ですが、加配による介助をうけながら、新しい集団生活に飛び込んでいく娘のいいイメージを持つことができました。その「いいイメージ」が実現できるよう、残された数ヶ月間の中でも少しでも社会適応力を伸ばしていきたいと思っています。
さて、いつも思いつきで書き込んで、題名とかけ離れた話題で大変恐縮ですが、今日たまたまコンビニの雑誌コーナーにあった科学雑誌「ニュートン」で興味深い題材がレポートされていたので、思わず購入してしまいました。それは「脳のニューロンと記憶のしくみ」というテーマでした。私は学者さんのように、全ての記事を理解できた訳ではありませんが、自閉症のメカニズムを知る上でとても興味深い記事が目につきました。どういう記事かというと、記憶を忘れさせる酵素PP1というものがあり、これは脳の働きに必要不可欠なものではないかというものです。私の勝手な仮説ですが、自閉症児はこの働きがアンバランスなのではないかと思いました。もっといえば記憶を忘れることができずに常にニューロンの回路網が構築されて脳の情報処理能力を超えてしまい、結果大きなストレスを抱えて人間の防衛本能から消去というプロセスを踏んでいるのではないかということです。学習の困難さ、複雑な情報(例えば人間という存在の認識)処理の困難さはここから大きな影響を受けているのではないでしょうか?一般的に自閉症児は記憶力が優れていると言われますが、なんとなく通じる部分があると思います。もちろんこれが障害のメカニズムの全てではないと思いますが、もし、自閉症の薬や医学的な治療方法が存在するならばこの方面からも研究がされそうな気がします。
自閉症を解明することは脳を解明するに等しい行為ではないかと思いますし、この障害の困難さをつくづく感じさせられます。ですが、そう遠くない将来には治療方法が確立されそうな気もしています。
私は記憶のメカニズムにはそれほど明るくありませんが、脳神経科学的な視点から自閉症を考えるのなら、「防衛本能」といった精神分析的というか、心理療法的な概念は入れないほうがいいと思いますね。(もしどうしても使うなら、「防衛本能とは脳科学的にはどんな現象を指しているのか」を明らかにしなければならなくなるでしょう。)
自閉症を薬で治すのは私は非常に難しいと考えています。私の仮説が正しければ、自閉症児の脳は構造自体が普通のものとは異なってしまっているので、そのできあがった脳に対して薬などで分泌系に影響を与えても劇的な効果は得られないのではないかと思っています。