2006年12月23日

わが子よ、声を聞かせて―自閉症と闘った母と子(ブックレビュー)

ようやく読みました。

 


わが子よ、声を聞かせて―自閉症と闘った母と子
著:キャサリン モーリス
NHK出版

第1部 アン=マリー
 不安
 恐ろしい可能性
 自閉症
 異星人になった娘
 罪の意識
 救いを求めて ほか
第2部 ミシェル
 真実の痛み
 息子もまた…
 回復への歩み
 「お兄ちゃん!」
 しつけについて考えること
 遊びの約束 ほか
第3部 そして、私
第4部 さらに考えること

知っている人にはめちゃくちゃ有名な、「ロヴァース式のABA早期集中介入で2人の子どもの自閉症を『治して』しまったという母親の体験談」です。
以前ご紹介した「自閉症を克服する」といい、NHK出版はなぜかロヴァース系ABAに積極的ですね。

ただ、本書の内容は、私が読む前にイメージしていたものとはかなり違うものでした

これはもう、説明するより本文の引用をいくつか見てもらうほうが早いでしょう。
まず、最初に娘の自閉症を告知されたときの心境の部分。
 アン-マリーは暗いかなたへと急速に遠ざかりつつあり、どうやったらあの子に手を差し伸べることができるのかわからなかった。日毎にアン-マリーはどんどん自分のなかに引きこもっていき、一人ぼっちの夢の世界をさまよっていた。私たちは娘を失いつつあった。
(初版69ページ)


 私が言いたいのは、この自閉症というものが、アン-マリーの人格自体を奪いつつあるということなのだ。(中略)娘はすでに私たちの知らない、遠い人間になっていた。私たちを見るこの子の目にはなんの輝きもなく、私たちに気付いて微笑むこともなく、この子らしさは何も認められなくなっていた。
(初版71ページ)


次に、ロヴァース式ABAを知り、娘に徹底した行動療法を施すと決心してからの描写。
 私はダンの祈りを戦闘開始の叫びに代えた。(中略)自分の娘に対する攻撃、愛情から出た手段を選ばない攻撃を開始する勇気を与えてくれたのだ。(中略)
 私は最初から何かが娘を”乗っ取ろう”としているのだと感じていた。そしてもし、アン-マリー自身が自分に何が起きているのか知っていて言うことができれば、きっと助けを求めるだろうと思った。この子のなかにはまだ赤ん坊のころのアン-マリーが残っている。アン-マリーの魂を救うために、この子の自閉症の事故を打ちのめし、倒し、奪わなければならないのなら、私はそうするだろう。
 この子は別の人間に占領されている。この子から自閉症を追い出してやらなければ、一生自由にはなれないだろう。
 その晩、私は日記に最初の戦闘計画を書き付けた。
「アン-マリーを隅っこに座らせない。ひもで遊ばせない。私を見ないようにはさせない。黙ったままにはさせない。あの子がそうしたがっても、私は許さない。泣き叫んでも手足をバタバタさせても、引きずってでも人間の状態に戻してやるのだ」

(初版112~113ページ)


 これからはアン-マリーの意思ではなく、私の意志を絶対的に優先させると決めたのだ。
 三月初めには、私はもうアン-マリーの自己刺激行動を一切許さないようになっていた。(中略)べそをかいたり、いやがったりすることが多かったが、私は手を緩めなかった。例の夢見るように遠くを見る目つきさえ、見付けしだいやめさせた。私はあの目つきが怖くてならなかったからだ。(中略)
 日に日に、私たちは容赦なくアン-マリーにさらに多くを要求するようになった。宙を見ていてはだめ、歯ぎしりをしてはだめ、手をもてあそんではだめ、物の表面を触る常同行動はだめ、自閉症的なものは一切だめ。

(初版149~150ページ)


 私たちはアン-マリーを囚われの身にしているのではなく、正常な状態へと解き放っているのだ。
 私たちはアン-マリーを支配しているのではなく、自閉症の奇妙な行動や無関心から抜け出るための手助けをしているのだ。
(中略)自由と自立心と選択権を与えてやれる日はそのうちやって来る。今はアン-マリーがまだ幼いうちに、力ずくで私たちのほうへ、私たちの世界へ連れてこなければならないのだ。

(初版172ページ)


この本を読んで私がはっきり気付いたことは、自閉症への精神分析的アプローチとロヴァース的なABAとは実は似ている側面があるのではないか、ということです。

著者は、自閉症というのは正常な人格を「乗っ取って」その人格を台無しにするようなモンスターである、だからこのモンスターを退治すれば「本来の人格」が戻ってきて正常になる、といった考え方に立っています(多少の弁解的な記述もあるのですが、基本的な立場は、やはりこの通りでしょう)。

これは言い換えれば、ある種の「魔女狩り」「狐憑き」的態度だとも言えます。後半の引用文などは、私には「○○さんにはキツネがついておかしくなったから煙でいぶして追い出すべし、それが本人のため」なんて言っている祈祷師とダブって見えます。

もちろん、ロヴァース系のABAそのものを否定する気はありません。そうではなくて、こういう視点で療育をやっている人も多いんだろうなあ、ということを改めて実感したということです。(本書には当のロヴァース自身からの肯定的なあとがきが付いていることからも、著者の考え方がロヴァース的ABAの「異端的立場」だとは言えないと思っています。)

こういう考え方のもろさは、「子どもは本当は正常なのに、親の冷たさのために心を閉ざしてしまった(だから心を開かせれば正常に戻る)」という精神分析的アプローチと、実は本質はほとんど同じである、という点にあります。
攻撃すべき「モンスター」が「親の冷たさ」から「脳のなかの何者か」に代わっただけで、それを攻撃して取り除けば正常になる、というところが同じなのです。

現に、著者は行動療法と並行して精神分析的な「抱っこ療法」の熱烈なファンになり、どう考えても矛盾するこの2つの療法をどちらも続けていくことを選択します。そして、かなり後になるまで、抱っこ療法のほうがより素晴らしいと信じつづけます。それがいいか悪いかということよりも、なぜ著者がこの2つを同時に選んだのかを考えるとき、それが本質的に同じベクトルを向いている(と著者に受け止められた)からだ、ということを言いたいのです。

また、著者はニューヨークで自閉症の療育を徹底的に調べたと言っているにも関わらず、すぐ近くのノースカロライナ州のTEACCHにはまったく触れていません。逆に、薬物療法についてはかなりページを割いています。
これもまた、著者のスタンスが徹底して「自閉症の原因であるモンスターを倒す」ことにあり、それに親和性のある薬物療法には関心を示し、そういった立場をまったく取らない(自閉症と共存して社会的自立を目指す)TEACCHには関心が向かなかったことを示しているんじゃないかな、と思います。

私にとって、「徹底的に科学的な療育法」であるはずのロヴァース式の熱烈なファンが、なぜ同時に「どう考えても科学的とはいえない」抱っこ法やキレーションやその他のオカルト的な療育法にもハマりやすいのか理解できなかったのですが、本書を読んで初めてその共通性に気付きました。

率直にいって、私は著者の考え方のこの根っこの部分には共感はできません。これを認めてしまうと、どんなに子どもが嫌がることでも、そして実際に子どもにとって苦痛なことでも、「それこそが本当の本人のため」という理屈で正当化されてしまうからです。
そして、「正常」に近づけば近づくほど子どもの「本来の人格」が戻ってくる、という考え方にも賛成できません。「本来の人格」なんてものはないのです。自閉症児に限らず、人は誰でもその瞬間その瞬間こそがリアルであって、「人格」があるとしても、それはその瞬間に立ち現われているものそのものなのです。そもそも「正常」という概念も、現代社会が生み出した幻想に過ぎません。(私から言わせれば、そっちのほうがよほど「モンスター」だと思います。)
行動理論に基づくトレーニングは、「親が望む『正常』」を手に入れるためではなく、「子ども自身の幸せな社会的自立」のためにあるべきだ、と私は強く思います。

ただし、そういったある種極端に独善的な著者の考え方に距離をおいて読むことさえできれば、これは貴重なロヴァース式ABAの実践記であることは間違いないでしょう。巻末には、著者の実践した早期集中介入の具体的なトレーニングメニューもついています。
一方、本書を「距離をおかずに」読むのはかなり危険だなあ、とも同時に思います。自閉症の本をたくさん読み、実際の療育にも取り組み、自分なりの「スタンス」ができてから読むべき本なのかな、と思います。面白いのは面白いですよ。

※その他のブックレビューはこちら


posted by そらパパ at 23:39| Comment(10) | TrackBack(0) | 療育一般 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めまして。そらパパさんの深く明晰な思考と鋭敏な洞察、そして冷静なスタンスに感心しながら、毎日こちらのブログを拝見するのを日課としております。三歳の自閉症児の母です。
私は、専門家に指導を仰ぎながらABAによる療育を行っていますが(早期集中介入とは全く異なるものです)、この本を読んだ時は流石に「はぁ?」と思いました。
この母親がまるで悪魔祓いでもするかのような心持ちで療育を開始したからです。また、それ以前の告知を受けたあたりの動揺ぶりにも正直言って辟易しました。
でも、共感する読者もすごく多いのだと思います。私も「感動を呼ぶ必読の本だから」と知人に勧められて読んだのですから。物語としてはおもしろいですよね。イッキに読めちゃいますものね。

現在、我が家では月に一回ずつの専門家によるABAと感覚統合のセラピーを受けていますが、一番大切なのは親が子供をしっかりと観察して「今、何が必要なのか」を見極めてやることのように思います。

「親が希望する子供の状態像」に近づけるための療育にはどうも抵抗があります。
でも、なぜか周囲の人には「熱心な療育ママ」と誤解されているらしく(笑)。

私の思いはなかなか理解されていないようです。



Posted by りこたんママ at 2006年12月24日 15:18
りこたんママさん、はじめまして。

ABAを実践されている方に肯定的なコメントをいただけて嬉しく思います。
私自身、ABAそのものは全面的に支持していますし、我流ながら我が家でもいろいろ取り入れて実践しています。

なのに、早期集中介入の本を何冊読んでも、心から共感できるものに出会えない違和感をずっと感じていて、どうしてかよく分からなかったのですが、その「違和感」の源を、これでもかというくらいはっきりと見せてくれた本書で、ようやくその違和感の正体が分かった気がしています。(そういう意味ではこの本に感謝しないといけません(笑))

後半のご指摘、まさにそのとおりだと思います。親が目を向けるべきは、「将来の『正常な姿』」ではなくて、「目の前の子ども」なのです。
そういう本質にちゃんと目を向けて、的確な療育ができているからこそ、周囲から「療育ママ」と見えるのかもしれませんね。(^^)

これからもよろしくお願いします。
Posted by そらパパ at 2006年12月24日 22:32
こんばんは、
私はこの本は読んでいないのですが、ちょっと思い出すことがあったので。
私は去年、ご自分なりの早期集中介入でやっぱり自閉児を治した心理療法士に会いにパリに行ってきました。
彼女は自分で始めた動機について、”自分の息子が普通の子と違うなんて許せなかった”からだと正直に語ってくれました。

今はご自分がされたほどの集中にはこだわっていなく、質の高い1日1時間半くらいのトレーニングを薦められています。思うにマスコミから相当叩かれたゆえだと思います。
私は彼女の言葉を聞いたときに単純にやっぱりこのくらいの根性が入ったお母さんじゃなきゃ”治す”状態にまでは持っていけないだろうなと思いました。

彼女のトレーニングの執拗さと綿密さには本当に目を見張るものがあります。
マスコミに叩かれるほどの執拗さを持って息子さんの療育に当たったわけですが、私には”目の前にいる息子さんの否定”から始まっているようには感じられませんでした。
初めて会ったのに、自閉児の母として、とても共感するものがありました。
もちろん”私が治す!”的な強い思い込みはあるけれど、息子に対する姿勢は”accompagnement=accompany=常に付き添う”で、矯正を目指すという感じは受けませんでした。
むしろ、その底には仕事も辞め、、療育の邪魔になるものはすべて排除した徹底した意思と深い愛情が感じられました。
ただ、誰にでもできるものではありません。
彼女は運よく、常に冷静にファナティックになることなく、綿密に事を進める事ができるだけの技量のある人だったと付け加えるべきでしょう。

はたから見ると多少狂気じみていても、母親の愛情がベースになっているのであれば”子と母”の関係ゆえに、、この両者間では成立しうる療法ってありうるのでは?と漠然と思います。

多分、私は同じ母親の立場だから、バッシングするマスコミもあった彼女のやり方の表面的な執拗な部分よりも根底に流れる愛情を感じたのだと思います。

できることなら、”治してやりたい”て誰でも思いますよね。私には”将来の最大限介護を必要としない姿”を目標に日々の小さな努力を共に続けていくということは、たとえ、目標がかなわぬ夢であったにしても、違和感ないですねぇ。

個人的には自分にもう少し根性と体力があれば、毎日3-4時間一緒にトレーニングしたいくらいです。

Posted by Gabrielle at 2006年12月27日 10:33
ご無沙汰しております。

約1年前、息子が自閉症と診断された直後にこの本を読みました。米国にいるので、すぐ手に入った英語版でしか読んでませんが・・・。

この本については思うところがたくさんあります。そらパパさんとは違ったところではありますが、違和感は感じました(それについては長くなるので省略)。

ただ一つ。著者の肩を持つわけではありませんが、英語版を読む限り、著者が自閉症を人格を乗っ取るモンスターだと思っている印象は受けませんでした。

ただ、英語独特の比喩、また事実とはいえ、本をよりドラマティックな仕上がりにするためか、回りくどい抽象的な表現がふんだんに使われています。それをそのまま日本語にしために魔女狩りやモンスター退治のような印象を与えてしまったのでは・・・と思います。

実際そらパパさんが抜粋してくださった部分の日本語にも不自然な表現がありますしね(^^; そらパパさんは英語も達者だったと記憶しております。もし機会があったら原版も読んでみてくださいね。また違った印象を持つかもしれません。
Posted by ケン母 at 2006年12月27日 15:33
Gabrielleさん、
詳細なコメントありがとうございます。

Gabrielleさんが紹介されている方がどんなスタンスで療育をされたのかは分からないのですが、やはり私は、療育の主体を100%親の側に持ってくることにはそれでも違和感を感じます。(ここまでくるともう哲学とか人生観の問題になってくるとは思いますが)

また、自閉症を「治す」とか「治った」という表現にも、やはり違和感を感じます。ABAはこの辺りにある種非常に強い自信を持っていますが、私の認識では、自閉症の障害というのは行動主義であるABAが手を出せる範囲でカバーしきれるものでは到底無く、やはり行動指標の一種であるIQやその他の指標が正常範囲になるということと、「自閉症が治る」ということはまったく違うことだと思っています。(この辺りも哲学的な立場の問題になってくるので、どれが正しいということはいえないかもしれません)

早期集中介入について、私が肯定的にとらえている側面については、「一般化障害仮説」のシリーズ記事の第20回で少し書いています。


ケン母さん、

コメントありがとうございます。
翻訳でニュアンスが違ってしまうということは確かによくあることですね。今後、もし海外などにいって本屋を覗く機会があったら、探してみようと思います。

ただ、「モンスター」というのは私が解釈して使っているやや強い表現ですが、仮に原書ではそこまでの表現ではないとしても、「悪いものを排除して『正常』にする」というベクトルは間違いなくあるのではないかと思っています。それは本書のABAの部分だけではなくて、抱っこ療法とか薬物療法、そしてTEACCHに全く触れられていないことなどの周辺的な記述とも総合して感じている部分です。
Posted by そらパパ at 2006年12月27日 17:05
そらパパさん、早速のコメントありがとうございます。
親側に療育を100パーセント持ってこないとまともな療育ができないというのが、フランスの現状といえると思います。英国、ベルギーなどと比べても怖ろしく遅れています。
情報も怖ろしく閉鎖されていて、一人一人の親が独力で喘いでいるといってもいいかなと思います。
ゆえにわたしの会った心理療法士が”自分で!”と思ったのは当然の事のように私に感じられました。
数少ないTEACCHを実践している病院のグループテラピーにも地区制に阻まれて、担当地域に住んでいない子供は参加させてもらえないような状態です。
ハンディを持った子供を持った場合は親が頑張らなければ、何も起こらないのがフランスです。何もシステム化されていません。
故に何かまともなことがしたければ、親の介入は必然になってきます。

なにをして”治す”、”治った”、”普通”と言うか、どれも普遍的な定義が不可能ですよね。
私の知っている自閉症児を”治した”という親たちの言う”治った”はコミュニケーションが自由に図れるようになり、他人と関わることができるようになり、なおかつ普通学校教育に問題なくついていける状態と言い換えられるのではと思います。
個人的には自閉症的な部分は残っているように見受けられますが、それはこの国では”個性”の一環として受け入れられうるように思います。漠然と日本よりも”治った””普通”という言葉がカバーする範囲がちょっと広いかなと言う気がいたします。ゆえにちょっと安易に使うのかもしれませんが。


Posted by Gabrielle at 2006年12月28日 08:28
Gabrielleさん、

すみません、ちょっと言葉足らずでした。

私が、「療育の主体を100%親の側にもってくる」と書いたときの、もう一方の主体として考えていたのは、公的なサポートではなくて、自閉症児そのものなのです。

私にとっては、療育というのは子どもが迷路を迷いながら歩いていくときに、そっと手をつないで導くようなものでありたいと考えています。歩く主体性のある程度までは子どもの側にあって、歩いた結果たどりついた場所が「正常」ではなくても、子どもがそれなりに幸せに生きられる場所なら、それが「たどり着くべき場所」だったんだ、と考えたいのです。

それに対して、早期集中介入などの療育法の一部は、迷路で迷っている子どもの手を親ががんがん引っ張って、「こっちが正しいゴールなんだよ」と親が決めて道を歩いていくような側面があります。それによってたどりつくゴールは、確かに一番「正常」に近い場所なのかもしれませんが、それが子どもにとって真に「たどりつくべき幸せな場所」なのかどうか、私には確信が持てないのです。

一番心配なのは、特に自閉症の療育は(ABAも含めて)これがベストだという方法もありませんし、親が「これがいい」と判断した療育法が、本当に子どもを幸せな方向に導ける「正しい方法」かどうかも分からないということです。

公的サポートに頼らず、親がしっかりと主体性を持つこと自体は私も全面的に賛成です。使えるものは使い、使えないものに文句を言うことに時間がかかりすぎるのなら使わずに自分で何とかするというのは、日本でもまったく同じ状況だと思います。
ただそのときに、私は、「手をあまり強く引っ張りすぎたくない」と思うのです。関わる時間を短くしたいということではなくて、親の行きたい方向ではなく子どもが発達していく方向に子どもを導きたい、という願望です。「治そう」ではなく、「伸ばそう」と思っているんですね。

もちろん、前回も書いたとおり、この辺りになると何が正しいとか間違っているということではないと思います。あくまでここで書いているのは私の療育観です。

Posted by そらパパ at 2006年12月29日 00:20
本文を引用されるのであれば、著者の子は獲得していた言語を退行により失ったケースであったことも書かれたほうが、著者の自閉症に対する考えを多様な視点から理解するうえで役に立つかと思いました。
Posted by よし at 2014年11月18日 02:04
よしさん、

コメントありがとうございます。

この本を読み、エントリを書いたのがかなり昔になったので詳細ははっきり覚えていませんが、著者のお子さんが「折れ線現象」を起こしていた、ということは、私にはそれほど本質的な要素であるようには思われません。

せいぜい、「折れ線現象を示すお子さんは知的水準が高い場合が多いので、改善によって『治る』ような見えかたをするケースが多い可能性がある」というくらいでしょうか。
Posted by そらパパ at 2014年11月27日 23:17
初めてコメントさせていただきます。
もしここのブログにそぐわなかったら申し訳ありません。
自閉症の専門家でないので、私のコメントが
適切か全く自信はないのですが…単なる雑感です。

この本を私はかなり昔に読んだことがあります。正直違和感を感じました。
母親としての気持ちは十分に伝わりますが、これだけ短期間に自閉症が治ったという話は、信じられなかったです。この本を監修している河合洋という児童精神科医も、「行動療法で自閉症が治ったことについては、自身の経験上信じられない」ようなことをコメントしていました。
(私が心理士として駆け出しの時も河合氏と同じ認識でした。自閉症については、30年前の学生時代は石井哲夫先生の受容的交流療法が教科書に記載されていました。)

私は、キャサリンさんのお子さんが本当に自閉症という診断で正確だったのか?という疑問の方が大きいです。
それから、精神分析であれ、行動療法であれ、子供の体験自体が良質であるかが問題であると思います。学派がどうであるかというより、子供にとってメリットがあるのならそれが一番素晴らしいことです。それは子供が一番よく見分けています。

私はかつて小児科で子供の心理臨床をしていましたが、その子供に合わせてアプローチをしていました。当時は発達障害の診断がこれほど巷にあふれることはなかったです。

私は決して立派な心理士ではありせんが(苦笑)、子供が生き生きとしたときが一番うれしかったです。体育会系の遊びが好きな子供には一緒に外で遊び、お絵かきが好きな子供にはお絵かきして遊びました。その子供に合わせ臨機応変に対応する。○○療法、○○プログラムに合わせるというのではなく、その都度子供に合わせる力が一番大事と思います。
まず、子供とラポールを形成することは、基本です。そして子供が意欲的になるお手伝いをすることが大人の仕事です。
学派によって用語、アングルは違っていたとしても、子供に発達促進的体験ができたかどうかです。肯定的体験と挫折とのうまい掛け合わせの中で伸びるのは、誰でも同じであろうと思います。
○○療法よりも大事なのは生活全般でしょう。

さて、この本は、1996年「マスメディアにおける貢献を称えた賞」を国際行動分析学会から与えられたそうです。
確かにマスメディア向けにはありがたいお話ですが、違和感を感じてしまいます。

以下2冊を比べても意味がないでしょうが…
同じアメリカの物語です。
精神障害の親により、フライパンで焼かれた少女が自立するまでの過程を描いた「ローラ叫んでごごらん」は貧困の家庭。この著書は精神分析派ですが、ローラを取りまく施設の職員が献身的に支えてきたストーリーです。(最初ローラちゃんは重度の自閉症だと診断されていました。)
片や裕福で親が才媛という家庭。セラピストを雇えるだけの収入があり、親も本が世界中で翻訳されるほど能力に恵まれた家…

子供が成長するのは、○○療法のおかげだけではなく、支えとなる周囲の環境が大きく関与するでしょう。
率直に言って、アンマリーちゃんが、成長したのは、行動療法士ブリジットだけではなく、様々な環境因子と、個人が持つ力の化学反応であると私は思っています。幼稚園の担任や友人に恵まれてきたことも大きいです。所詮人は環境に依存するので。
数値を示すといかにも科学という感じがしますが、それはある意味印象操作的な感じがします。数値を出せばそれでいいというのはちょっと安易かなと思います。
そういったことはどこの学派もやりたがります。



Posted by みんみん at 2018年12月13日 23:31
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