共感する女脳、システム化する男脳
著:サイモン・バロン=コーエン
NHK出版
男性型の脳と女性型の脳
男の子・女の子
共感とは何か
共感にすぐれた女性型の脳
システム化とは何か
システム化にすぐれた男性型の脳
文化の影響
生物学的要因
男性型の脳と女性型の脳はどう進化してきたか
自閉症―極端な男性型の脳
ある数学者の場合
極端な女性型の脳―未知なる領域
バロン=コーエンといえば、「自閉症の本質は『心の理論』の障害にある」という、自閉症の心の理論障害仮説で有名ですが、本書は、その議論を少し(かなり?)違う方向に拡張して、男脳と女脳という視点から解き明かそうという本です。加えて、本書にも自閉症についての章が設けてあり、自閉症論として読むこともできるようになっています。
男脳・女脳といえば、アラン・ピーズの「話を聞かない男、地図が読めない女」がこれまた有名ですが、本書はこの本のような通俗書的な方向でもなく、かといって科学論文的な方向でもなく、中庸な科学啓蒙書という体裁を採用しています。逆にみれば、通俗書のように読みやすく面白いトピックにあふれているわけでもなく、論文的な厳密さもないので、かなり中途半端という印象も受けますが・・・
自閉症の研究の世界で、バロン=コーエンらがとっているアプローチは、「認知心理学的アプローチ」と呼ぶことができるでしょう。実験心理学の世界で1960年代から主流となった「認知心理学」の方法論を、自閉症のメカニズムの解明や療育法の開発に応用しようという考え方です。
認知心理学というのは多くの場合、「行動主義心理学」との対比で語られます。行動主義というのは1920年から50年頃まで心理学の世界で主流だった考え方で、ヒトの「心」なんていう目に見えないものを扱うのは科学的でないから、目に見えて観察できて定量化できる、有機体の「行動」だけを心理学は扱うべきである、という考え方です。
そのような視点から動物やヒトの行動の法則が体系的に研究され、「行動理論」がまとめられていきました。この「行動理論」を自閉症児などの療育に応用したのが、行動療法とか応用行動分析(ABA)と呼ばれる療育法です。
これに対し、コンピュータの登場に刺激されて台頭した「認知心理学」は、心のはたらきとは脳の情報処理であるという明確なドグマを持って、行動主義が研究対象から除外した「ヒトの内面」について改めて研究するようになりました。
こう書くと、行動主義より認知主義のほうがすぐれているようにも思えますが、実際には必ずしもそうではありません。ヒトの内面に向かう、ということは、目に見えないものを扱うということですから、慎重に歩を進めないと簡単に科学的でない観念論、ある概念を別の概念で説明するだけといった同語反復(トートロジー)に陥ります。それこそ、行動主義が禁欲的なまでに避けようとした事態そのものです。
・・・延々とこういうことを書いたのは、本書「共感する女脳、システム化する男脳」が、まさにこのような認知心理学の落とし穴にずっぽりとはまってしまっているという印象を強く感じるからです。
本書の主張をまとめると、次のとおりとなるでしょう。分厚い本ですが、以下の内容以上のものは、実はあまり盛り込まれていません。
・女性は共感する能力が高く、男性はシステム化する能力が高い傾向がある。これは生得的なものであり、脳の違いからくるものだと思われる。
・共感とは「意識することなく、自然に他人の気持ちや感じ方に自分を同調させること」である。(初版49ページより)
・システム化とは「システムを理解したり構築したりしようという衝動」である。(初版116ページより)
・共感とシステム化はゼロサム(どちらかが強ければもう一方は弱い)的であると考えられる。
・自閉症とは、極端に男性的な脳をもった人のことである。
・だとすれば、極端に女性的な脳をもった人もいるはずだが、それがどんな人なのかはよく分からない。
さて、どこから手をつけていいか分からないくらい、問題はたくさんありますが、ここではいくつかだけ指摘したいと思います。
最も深刻なものの1つは、心そのものを実在的に扱っている点です。
上記を見ると、共感とは、他人の気持ちや感じ方に自分を同調させることだ、と書いてあります。これは本書からそのまま引用しています。
でも、改めて考えてみてください。他人の「気持ち」って何でしょう? 気持ちに「同調する」って、どういうことでしょう?
「気持ち」というのを、確かに私たちは感じているように思われます。例えば、限定品のケーキを買うために並んでいて、それが目の前で売り切れてしまったら、私たちは、ある感情をもちます。それは簡単に表現すれば「悲しい」となるでしょうが、実際には私たちはことばで表現できないような独特の感情の状態になります。こういった「感じ方全体」のことを、クオリアと呼びます。クオリアとは何なのかは、脳科学の最高の難問の1つと言われています。(クオリア研究で有名なのが、「アハ!体験」でもおなじみの茂木健一郎氏です)
そして、その超難問である「気持ち」に、見ることもさわることもできないのに「同調する」ということが仮にできるとして、それは科学的にどう記述すればいいのかなどと考え始めると、「気持ちに同調する」なんてことばは絶対に安易には使えなくなります。
ところが、本書ではそのあまりに安易な道をあっさりと選んでしまって、しかも「それが女脳の特徴です」と言い切って論理の中核にすえてしまう。文学ならば許せても、これは科学のとる態度ではないと私は思います。
もっというならば、女脳が強いとされている「ことば」は、システム的な理解がなければ学習できないはずのものですし、「システム化する男脳は全体ではなく部分に目がいってしまう」という主張は、システム化とは因果関係(つまりルール)を見出すことだという前提と矛盾している(ある種の「全体」が見えなければシステムは理解できない)ようにしか見えません。
さらには、「共感」と「システム化」がゼロサムだということは、わざわざ2つの軸をおく必要はなく、主成分は1次元しかないということを示唆しています。そして1次元にしてしまうと、その軸は「男-女」という軸そのものになってしまいますから、何のことはない、「男脳とは男の脳で、女脳とは女の脳である」という同語反復(トートロジー)を、別の概念を経由してややこしく書いているだけだということがはっきりしてきます。
他にも、自閉症に関していえば、もし本当に自閉症が「極端な男脳」だとすれば、なぜ女性の自閉症者には自閉的症状が重い人が多いのかということがうまく説明できません。この説からいけば、男性に自閉症が多いのはいいとして、女性には自閉症が少なく(これは正しい)、かつ、いたとしても自閉性の軽い子どもが多いはず(これは全く事実と異なる)です。
このように、私のような素人がみても矛盾している部分や論理として脆弱な部分だらけなのですが、これこそが、認知心理学が持つ「もろさ」を反映していると個人的には思います。
認知心理学は、人の「内面」を扱います。本来は内面を扱うといっても、脳を「情報処理システム」ととらえ、どんな計算モデルを仮定すればヒトや動物の行動を説明できるかといったアプローチをとるはずなのですが、ややもすると安易に「心」や「意識」を理論に組み込んでしまいそうになります。でもそれは心身二元論に足を突っ込むことであり、よほどしっかりした哲学的立場を持たない限り、心理学を科学ではなくしていく道になってしまいかねません。
本書は残念ながら、そういう危惧を強く感じさせる内容になっているといわざるをえないのです。
・・・最後は少し難しい内容になってしまいました。
まあ、私の「直感」では、本書の理論は間違っている(少なくとも、本質は外している)と思いますので、自閉症論マニアの方以外は読む必要はないと思います。
(とはいえ、実は本書が提示している2つの軸と、私の「一般化障害仮説」の抽象化・一般化という2つの軸には、若干の共通性がないわけでもありません。この辺りは、また機会があったら書こうと思います。)
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