2012年10月01日

「ママ」と呼んでくれてありがとう/先生、親の目線でお願いします!(ブックレビュー)

学研様より2冊献本いただきました。ありがとうございます。


「ママ」と呼んでくれてありがとう: 自閉症の息子と歩んだABA早期療育の軌跡
著:杉本 美花
学研 ヒューマンケアブックス

先生、親の目線でお願いします!: 保護者の本音を知れば特別支援教育は変わる
著:海津 敦子
学研 ヒューマンケアブックス

まずは、「先生、親の目線でお願いします!」のほうから取り上げたいと思います。

こちらの本は、障害ある子をもつ親の、特別支援教育を担当する教師への率直な意見、本音(大部分は批判的なもの)をまとめたものになっています。

たとえば、健常児への教育で通用した我流の指導法を特別支援教育にあてはめることによる問題(そしてそれを子どものせいにしてしまう問題)、障害の特性や特別支援教育へ教師の知識不足、無意識のうちに現れる障害や障害ある子への差別意識、子ども一人一人ではなく障害ある子をまとめてレッテル貼りして配慮のない発言をしてしまうこと、親にとって大切なことを「たいしたことではない」といった風に考えてしまう配慮のなさ、といったさまざまな「教師の側の問題」を、親の声、親の本音を通じて掘り起こす、といった内容です。

まあ、一言で言えば、「親がひたすら教師を批判する本」(それを著者がまとめたという体裁の本)です(笑)。

ただ、内容を読んでいると、親の側がそんなにムチャな要求をしているわけではありません。
むしろ、もし本当にここまでレベルの低い、差別的な教師にあたってしまったら、親としてはいたたまれないなあ、というくらい、「基本的な」要望の範囲に留まっているという印象です。

1つ、具体的な例を引用してみます。(実はこの引用部分は、もう1冊のほうの本のレビューと少しだけつながっています)
 勇雄さんは子どもの特別支援学級の担任に思いを伝えることの難しさを感じています。
「子どものありのままを受け止めていただき、ご指導を願いたい」と担任に話をしたところ、「お子さんは今のままで成長する必要はないというお考えですか」と返されたのです。
 子どもが成長しないでいいなどと思う親がいるでしょうか。
 勇雄さんが伝えたかった「ありのまま」の意味は、先生が考える「~であるべき」という子ども像の枠で目標を立てて子どもを指導するのではなく、今、子どもができていること、好きなことを伸ばすことを基本に指導を組み立ててもらいたいという意味です。

 今できないことや不得手なことは、支援や配慮で補い、我が子らしい、その子らしい学校生活を築いてもらいたいという、今の教育の流れとしては当たり前の願いです。(中略)

 こうしたことを理解することも当然、教師の専門性として身につけるべき力であることはいうまでもありません。でも、教師の中には求められる専門性を理解できていない人も少なくないように思います。
 勇雄さんは、「先生なら当然、身につけているはずの考え方という前提で話をしてしまった。この学校のレベルを考えなかった自分が悪かったのだ。反省している」と学校を揶揄します。

(初版P51~52ページ)

・・・まあ、こんな感じで、親の立場(もしかすると、部分的には「わがまま」)をそのまま代弁する内容ですから、ある意味、あからさまな「ポジショントーク」なわけです。
それが正しいか間違っているかは、読者の判断に委ねられている、と言ってもいいでしょう。
ともあれ、「親の本音ってこんなところにある、親が傷ついたりするポイントはこんなところにある」ということを、先生をはじめとする支援者の方が理解するには、とてもいいまとめになっていると思います。

何より、類書がほとんどないことが、この本の価値を高めていると思います。


さて、もう一方の『「ママ」と呼んでくれてありがとう』ですが、この本は、「自閉症の子どもをもった親御さんの当事者本」です。

長男がいわゆる「折れ線型」の発達経路をたどって、2歳の段階で精神遅滞を伴った自閉傾向と診断されたお母さんが、「つみきの会」と出会い、自ら自宅でのABAによる早期集中介入(いわゆるロヴァース法的なABA)に取り組んだ結果、目覚ましい発達を遂げ、一度認定された療育手帳から4歳で「卒業(原文ママ)」するまでになった、その過程を母親の視点から綴ったものになっています。

そういう意味では、間違いなくサクセスストーリーであり、巻末の井上先生の解説のとおり、同じような境遇にある親御さんに勇気を与える「日本版「わが子よ、声を聞かせて」」である、とは思います。

ただ・・・。
すみません。
私はこの本は個人的にまったく合いませんでした

書きたいことは非常にたくさんあるのですが、あえて最小限に絞り込んで、私が合わないと感じたポイントについてだけ書いておきたいと思います。
それは、一言でいえば、井上先生の指摘どおり、この本が、日本版「わが子よ、声を聞かせて」になっている、という、まさにその点そのものにあります

私は、「我が子よ、声を聞かせて」という本には、さまざまな問題意識をもっています(レビュー記事参照)。
そして、井上先生がいみじくもおっしゃっているように、確かに本書は、よくも悪くも、この本とすごく似ています。(私は、井上先生が、そこまでの意味を含めて、本書を「わが子よ」の日本版だとおっしゃってるのではないか、とさえ感じてしまいます)

たとえば本書では、子どもの「できないこと、不得手なこと」を訓練し、「問題行動」を抑えこむことに話題が偏っていて、「いまできないことを配慮し、支援し、不得手なことがあってもラクに生活できるように工夫する」話題は、まったくと言っていいほど登場してきません。

もちろん、それは書かれていないだけで、実際にはそういった配慮や支援の工夫もふんだんにあったのだろうとは思いますが、少なくとも本書が編集された姿としては、その部分はあたかも「存在しないこと」のように取り扱われている。そういう「優先順位」が設定されていることは事実だと思います。

また、「わが子よ、声を聞かせて」に、エビデンスに乏しい「抱っこ法」が大々的に登場するのと呼応するかのように、本書では同じくエビデンスに乏しく危険もある「軽度三角頭蓋外科手術」の話題が大々的に登場します。
最終的に「手術を受けない」という選択がなされるわけですが、その理由が「子どもが発達したから」となっていることが私の胸をざわつかせます。
じゃあ、発達が芳しくなかったら(ものすごく嫌な表現ですが)、どういう選択になっていたんだろう?と考えてしまうからです。

・・・さて。

そういった、難しいなあと感じる問題点をいったん横においたうえで本書を読むならば、そこには、子どもの障害を告知された親御さんの、状況を美化しない、リアルな「ハードな療育の実態」が描かれている点は特筆できると思います。

本書の中核には、「いちど障害認定された我が子が、ABAの早期集中介入のおかげで、障害認定されなくなるくらいに成長した!」というサクセスストーリーがたしかにあります。
(ただ、いわゆる折れ線型の子どもの場合、成長とともにいちど落ち込んだ認知スキルが大きく改善する例が少なくないことから、どこまでがABAの特異的効果であるかは、統制実験ができない以上、明確には分からないことはふまえておく必要があるのではと思います。)

でもそれと同時に、子どもの障害をどうしても受け入れられない葛藤、その葛藤と難しい出産等が重なったことによるうつ病の発症、自殺騒動、母親ひとりでABAに打ち込むことへの周囲との軋轢、夫との離婚の危機、そういったものが赤裸々に描かれています

ですから本書は、「ロヴァース法のようなハードな療育にチャレンジしたとき、家族にどのような困難が訪れる可能性があるか」という視点で読んだとき、さまざまな得るものがあると思います。

具体的なABAの療育テクニックについてはほとんど語られていませんし、井上先生の解説にもあるとおり、結果操作が多く使われ、先行子操作が少ないといった傾向もあるので、そういった目的で読む本ではないと思います。
あくまで、成功も失敗も葛藤も挫折も克服も、すべてを含んだ「早期集中介入へのチャレンジの記録」として読んでこそ、本書は価値があるのだと思います。
posted by そらパパ at 21:44| Comment(11) | TrackBack(0) | 療育一般 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
そらパパ様 いつも、家の重度自閉の子育ての参考にブロク拝見させていただいてます。
いい出会いができたと感謝してます。
ポイントをついていて、子供の立場からは緩い感じがステキです!!
うちの支援学校の先生はTEACCHの存在を知らない先生がゴロゴロおられ、連絡帳であれこれ書いても話が通じず、つらいです。
「先生、親の目線でお願いします!」 の紹介ありがとうございます。
この本を読んでから、先生にも紹介するか考えて見ます。
Posted by もこ at 2012年10月02日 06:44
はじめまして。
そらパパさんのツイートから「先生、親の目線でお願いします!」の紹介を拝見しました。
息子は聴覚障害を持っていて聾学校に通っています。
そしてまさにこの本のタイトル通りの事を学校に訴えているところです。
良い先生ももちろんたくさんいらっしゃいますが、そういう先生に出会えるとは限らないのが悲しいところで、本当にもどかしいです。
紹介して頂きありがとうございます。
こちらのリンクから購入させて頂きました^^
Posted by あさちん at 2012年10月03日 13:46
もこさん、あさちんさん、

コメントありがとうございました。

このエントリについては、2冊の本を紹介しているのですが、どちらかというと「先生、親の目線でお願いします!」への反響が多いですね。

この本を直接先生に渡す、というのはなかなか勇気のある行動だ(笑)とも思いますが、真剣に子どものことを考えてくださっているけどその方向性がずれている…みたいな先生であれば、本書を通じて親御さんと価値観を共有できるようになったりということもあるかもしれません。
(でも、どちらかというと、親以外の指導的な立場の方から渡されるシチュエーションになったほうがベターかな、とも思います(^^))

ともあれ、本書はあまり類書を思いつかない、ユニークな本だと思いますので、1冊手元においておく価値はある本だと感じています。

ありがとうございました!
Posted by そらパパ at 2012年10月07日 22:33
こんにちは。
『「ママ」と呼んでくれてありがとう』のレビューを拝見して、矢幡洋さんの『数字と踊るエリ』とテイストがそっくりで驚きました。
そらパパさんが赤字で強調された、障害の受容の問題や夫婦間の危機、うつなど、かなり共通していて、ABAのハードさを改めて感じました。(ADHD当事者の私にはとてもとてもw)

それ以上に、なんというか…両著に共通する自閉症を攻略の対象とし、なんとか“普通の子どもにしよう”という姿勢に違和感を感じています。

同様の療育方法を、同様の密度で行っておられる訳ですから、共通した価値観を持たれている可能性は大いにある訳ですが…やはり、特定の流儀には、それに親和性のある方が集まるんですねぇ。
これが、“ありのままの良さを伸ばして下さい”という願いの対角線上にある願いなのかな。
そらパパさんの以前書かれていた“呪い”も思い返しながら、反芻しております。

Posted by ぼうえんぎょ at 2012年10月11日 23:28
ぼうえんぎょさん、

コメントありがとうございました。

そうですね。
私も、ハードなABAにチャレンジされている方の少なくない割合に感じる「普通にしよう」という姿勢には、違和感を感じるほうです。

この本がそうだ、というわけでは必ずしもありませんが、それでもやはり、親の側が設定する「あるべき姿」に向けて行動を修正していく(それを毎日長い時間かけて実施していく)というスタイルには、いろいろ考えてしまうところがありますね。
Posted by そらパパ at 2012年10月15日 21:52
「先生、親の目線でお願いします!」を読みました。私は、全く共感できなかったし、ただただ、様々な親の文句が書かれているだけ・・・・それらを、じゃあ、どうやって解決していくのか?そんな方向がみられず、嫌な気持ちになりました。

先生って、聖職でしょうか?何でも解決してくれるひとなのでしょうか?何だか、この本を読んでいると、先生に対して、対等・平等なのでなく、親からの上から目線に感じられました。

私が、先生に求めたいことは、「先生!子どもの目線にたって下さい」です。例え、親の目線に立てなくても、子どもの目線にたって、子どもの立場で行動できる先生を私は望んでいます。

また、著書に書かれている、個別指導計画についての提案は、全く、絵空事のように感じました。教育とは人材の育成ではなく人格の完成であってほしいと思っています。

一人一人、違った個性を持った命です。子どもも命の主体者。そして、先生も命の主体者です。人間同士の関わりが、教育ではないでしょうか?私は、そう願っています。

個別指導計画を入学前に作成することは、教員にとって、楽な方法であり、マニアルで教育ができるようになる。そんなのことが、本当に教育という営みなのでしょうか?

親の本音や、著書に書かれている保護者の思いは、共感できることもありますが、わざわざ、本として出版して、親と教員の対立を煽ることに意味があるのでしょうか?

今大事なことは、子どものために、それぞれの立場を乗り越えて、共同をどうつくっていくかということだと思います。

先生に、直接、親が話をできないところ、それは、何がそうさせているのか?親自身も、そこを乗り越える必要があるかと思います。

そして、何より、教育現場に許容力がなくなってきていること、失敗が許されない。正解だけが求められる、そんな雰囲気が先生も子ども達もそして、親も苦しめているように思います。
Posted by かわ at 2012年11月10日 09:59
かわさん、

コメントありがとうございます。

そうですね、この「先生、親の目線で…」に書かれていることを、そのまますべて「正しいこと」ととらえる必要は、ないと思います。

そうではなくて、学校の教育、先生の考え方に、もっと親の目線を取り入れてほしい(逆にいえば、現状では納得できるような形で取り入れられていない)と「考える人たち」からの提言である、ととらえればいいのではないでしょうか。
つまり、「これが正しい」ではなくて「こういう意見がある」、そういう本だと思います。

本が1冊出たからといって、親と教師の間に対立が生まれたり、何かが大きく変化するということは、ないと思います。

また、「親の目線」ではなく「子どもの目線」というのは、なかなか難しい表現ですね。
親は「親の目線」での話はできますし、先生は「先生の目線」で話をすることはできますが、親も先生も「子どもの目線」で話すことは、本当の意味ではできません(想像になってしまいます)。
なので、私はむしろ、親が意見をするときに、それを「子どもの目線だ」というよりは、「親の目線だ」と言うほうが誠実なんじゃないかとも思っています。
「子どもの目線」のつもりで、自分の勝手な想像に基づいた働きかけをしてしまう、そういうことはよくあると思いますから。
Posted by そらパパ at 2012年11月11日 22:50
そらパパ様
2歳6ヶ月の男子の母です。1.5歳の時に発達の遅れを指摘され、つい最近広汎性発達障害と診断を受けました。現在は、週に1回母子の遊びを通じた療育に通っていますが、来春から区が実施している訓練性の高い療育を増やしたいと思っています。私自身、フルタイムで働いているため、なかなか療育に専念できる環境ではないことにジレンマを感じると共に、周囲には私と同様の環境の方はいないので、孤独を感じています。そんな状況の中で、「ママと呼んでくれてありがとう」の本を読みました。著者の方の障害を受容できない過程がまさに自分とオーバーラップしたこともあり、読み進めたはいいものの、自分の今の環境では著者の方のように一日何時間も息子と向き合うのは無理だと、途方に暮れて、落ち込んでいたところです(苦笑)。これを読んでから、息子の「できないところ」にばかり目がいくようになってしまって、イラ立ちを感じ始めていたので、そらパパさんの解説を読み、「自分がこうあって欲しい姿に息子を無理矢理重ねようとしてる」自分に気づきました。また、今の自分は、もしかしたら息子の障害が治るかもと、藁にもすがる思いなんだという状況を確認できました。まだまだ受容できてないんだと思います。そらパパさんのブログを拝見しながら、もっと勉強します。長文失礼しました。
Posted by とも at 2012年12月10日 23:34
ともさん、

コメントありがとうございました。

子どもの障害の「受容」ということばは、あまりに使われすぎて最近は逆にあまり強く言われなくなってきていますが、それでも、初めてそのことを告知されたショックから立ち直り、それを現実として受け止め、その上でゆっくりと前に進みはじめる、という最初のいくつかの段階というのは、間違いなくあると思います。

「ママと呼んでくれて…」のような本は、読まれ方が難しい本だと思います。

ただ「様子を見る」のではなく、「できることをやる、工夫できることを工夫する、子どもをよく観察する」といった取り組みから、じっくりと始めていけばいいと思っています。(ABAも、日々のかかわりの工夫の1つとして導入するのは、負担が少なく、しかも有効だと思います。)

療育でもっとも大切なことは、「家族全員が心身ともに健康な状態を維持しながら、長く長く続けていけること」だと思います。

また何かありましたらコメントなどいただければと思います。
ありがとうございました!
Posted by そらパパ at 2012年12月15日 09:47
新規事業で立ち上げた放課後児童ディで児童発達管理責任者をしています。

自分の持っている本を親御さんへの貸出用に置かせてもらっているのですが、一番人気が「親目線」です。

ある意味、私のような支援者への批判ともとれるので、戦々恐々としているのですが、それだけ教師に対する親の不満は多いのでしょうね。

自分的に納得できないのは支援を始める前には「学習指導計画」が出来上がって当たり前という箇所なのですが

引き継ぎ資料もなく、親への簡単な質問(それでも2時間以上かけますが)で作られるアセスメントでは満足のいく個別支援計画は作成できません。

そのへんのところを理解してもらいたいなと思いつつ。

契約を結んだ保護者へは面談に同席して教師をノイローゼになるくらいまで追い込むことができますが希望しますか? という物騒な質問を必ずしています。
Posted by rin5papa at 2013年07月31日 01:09
rin5papaさん、

コメントありがとうございます。
「親の目線で」は、あまり類書をみない本なので、明らかに立場的には「偏った本」ではありますが、批判的に読んでみていろいろ考える機会をつくるにはいい本だと思います。

指導計画と実際の支援の実践は、確かににわとりとたまごのような関係がありますね。

私は、発達なんてものはそう簡単に網羅的に記述できるとは思っていないので、実はあまり指導計画がかっちり事前にできあがることは重視していませんが、「何を、いつまでに、どこまで」やるか、ということを明確化することは、プロの仕事としては確かに大事なのかな、とも思います。
Posted by そらパパ at 2013年08月05日 23:42
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