我が家の娘は、言葉によるコミュニケーションがない状態が続いてきました。
PECSのフェーズ3までは教え込んだので、欲しいものがあるときにカードで要求することはそれなりにできるのですが、そのときももちろん無言です。(受け取る大人のほうは、要求されたものの名前を読み上げながら要求をかなえてあげるのですが、子どもに対しては音声模倣を無理強いしないのが、PECSの基本的なルールです。)
その一方で、最近はあいうえお表のひらがなの一部を読んだり、図鑑絵本の絵の名前を言ったり言わせたりといった「名前読み遊び」を始めているので、名詞を中心とした言葉はほんのわずかですが出始めています。
ただこれも、単に文字や写真と名前の音を対応させているだけで、コミュニケーションとはほど遠いと言えるでしょう。
そんなわけで、娘がことばを使って「コミュニケーション」できるようになるのはあったとしてもはるかに先の話だろうと思っていたのですが・・・
ここに来て、娘がたった1つですが、コミュニケーションと呼んでいい言葉を発し始めました。
それは・・・
「かゆい」です。(笑)
娘はまだおむつが取れないので(おしっこは定時排泄でほぼ問題ないのですが、うんちがまだダメなのです)、夏の暑い時期はあせもで、冬になってくると乾燥で、おむつの当たっている面がかゆくなるようです。
そこで、娘がおむつをめくってかゆい場所を掻き始めるのを発見するたびに、「かゆい」「かゆい」と声に出しながら、その場所を掻いてあげたり、かゆみ止めの薬をぬってあげたりしていました。
いっとき、かゆみ止めの薬を自分で取ろうとしたことがあったので、かゆみ止めの薬の絵カードを作ってPECSで要求させようとしたこともあったのですが、これはどうも定着しませんでした。
その代わり、いつも「かゆい」「かゆい」と言いながら、対応してあげていたわけです。
すると、ここ1、2週間ほど前からですが、娘が、かゆいところがあると、私たちに向かって「かゆい」「かゆい」と言って、その場所をかいたり薬を塗ったりすることを求めるようになったのです。
娘はまだ発音が全然ダメで、カ行は全滅ですし、ヤ行の中でも一番難しいと思われる「ゆ」はほとんど「う」としか発音できないので、「かゆい」と言っているつもりでも私たちには「あうい」としか聞き取れないのですが(笑)、それでも、娘がおむつをめくりながら「あうい、あうい」と言って近づいてきて、「ああ、かゆいんだね、かゆい、かゆい」と言いながら私たちが薬を塗ったりしてあげると満足してまたどこかへ行ってしまうのを見ると、「ああ、これはまさしく言葉のコミュニケーションが成立しているなあ」と実感して、少し嬉しくなります。
それにしても、最初の「ことば」がまさか「かゆい」だとは(笑)。
一応、「かゆみを何とかしてくれ」という要求を表していると思われるので、ABAでいうマンド(要求言語行動)だと解釈できますが、「ジュース」などの普通の名詞に比べると非常に抽象的ですから、今後本当に定着するかは微妙なところでしょう。
ちなみに、我が家ではこの「かゆい」や「いたい」といった、体の内的状態を表すことばを教えることに力を入れています。
特に、「いたい」は、病気やケガの早期発見という観点から、ぜひとも表現できるようになってもらいたいことば(音声でなくてもいいのですが)です。
ただ、これらは要求表現ではないし、目に見えるものでもないので、実際に私たちがやっていることといえば、例えば娘が運悪く体をどこかにぶつけて痛がっているときに、ぶつけたところをさすりながら「いたい、いたい」と言ってあげることだけです。
「かゆい」はかゆみ止めを塗ってくれといった要求表現に転化できたのでマスターできたようですが、「いたい」はもう1年以上言い聞かせていますがまだ言えないですね。道は遠そうです。
とはいえ、上にも書いたとおり、最近娘は、「ものには名前がある」「ひらがなには音がある」「文字は読むことができる」といったことへの「気づき」があったようで、図鑑の絵だけでなく、あいうえお表のひらがなや、本の絵でない「文字」などを盛んに読んだり読ませたりするようになってきました。
これが、仮にコミュニケーションに直接はつながらなくても、ことばを発声するという方向に発展させていくことができれば、娘の知的発達に少し光が見えてくるように思います。
ことばについては、目標は設定していません。
とにかく、娘の発達と同じ立ち位置に立って、娘が転ばない程度にそっと後ろから支えて、できるなら少しは前に押してあげることができれば、それでいいと思っています。それで到達できた場所が、娘の到達すべき場所だということです。
あとは、その「場所」が娘にとって幸せな場所になるよう、大人であり親である私たちが何をできるか、ということを考えていきたいですね。
今日は。
「かゆい」って、すっごくかわいいですね♪
思わず微笑んでしまいました。
音で言葉を発し、それが通じた、とお嬢さんが
音でのコミュニケーションの快感を理解できれば、きっと音でのコミュニケーションも
伸びると思いますよ。まさに、おっしゃるとおり
「気づき」ですね。こればっかりは
私たちが教えてあげることはできません。
子どもの「気づき」の瞬間が、私が魔法にかかる
瞬間でもあります。
だから、本人をそっと見守る、その姿勢は
とても大切だと思いました。私にも「気づき」を与えてくださってありがとうございます。
本当にそう思います。
まあくんから唯一聞き取れる言葉が「いたい」です。
「いたい」思いをする回数が多いから、何度も聞かすことができた???
ただどこかにぶつけた「いたい」であって、内面のことを教えてくれる日はやってくるのだろうか・・・・
お~難易度が高そうです(^^)
それにしても、そらまめちゃん、そらまめ家の日々の頑張りが垣間見られて、何だか嬉しいです~。
まあくん家もガンバロ♪
「かゆい」って可愛いですね。これからドンドン言葉の世界が広がって行くと良いですね。我が子の初めての言葉は「ごの」でした。「(りん)ごの(ジュース)」そして飲み物全部が「ごの」になりました。私も真剣に「痛い」を教えたのですが、結局「あかっちゃったの。」という事場になりました。「あ(たっちゃって痛)かったの。」だと私は理解していたのですが、夫は「赤くなっちゃった。」からきていると思っています。
痛いより「くるしい」を早くおぼえました。怪我をするより熱を出す機会の方が多かったからです。
いつも頑張っていらっしゃって、ダメダメな私も頑張ろうと励みにしています。
学生に講義をしているとき、彼らが難しいと言うのは、発達段階における象徴機能の成立のことです。色々説明していて、最後には、物には、名前えがあるということだよと話をして納得してくれたようでした。今後の成長が楽しみですね。
たくさんのコメントをいただいて嬉しいです。
やっぱり「コミュニケーション」って、誰もが強く関心を持っている話題なんだな、と改めて感じました。
塩田さん、
私は単純に、「気づき」に介入できるという気がしないから手を出せない、というだけなのかもしれない、と感じています。
ことばに関しては本当にそうですね。
結局のところ、ことばは表象であり、表象のニーズというのは興味が自分の目の前にある「現物」からどんどん遠くに離れていって初めて生まれてくるもので、その「離れたものへの興味」を伸ばすためには「環境とのかかわり」を伸ばさなければいけなくて・・・と考えていくと、結局すごく遠回りでも、子どもの発達によりそって、少しずつ認知能力を伸ばしていく以外にないんじゃないか、と思っています。
まあくんママさん、
「いたい」に関して、私がちょっとオカルトっぽく信じているのは、信頼できる人からさすってもらったら、本当に痛みが消えるんじゃないか、ということです(本当はこういう話を、先日の「皮膚感覚の不思議」で読みたかったんですが・・・)。
もしそうだとすれば、かゆいからかゆみ止め、と同じように、痛いからさすってくれ、というマンドとして「いたい」が言えるようになるんじゃないか、と期待して、娘が体をぶつけるたびに、そこをさすって「いたい、いたい」と言っているわけです。・・・道のりはやはり遠そうですが(笑)
ねこのしっぽさん、
はじめまして。やはり「痛い」は難しいようですね。でも、どんな表現であれ、伝えるようになってくれたのは素晴らしいですね。そこにさらに「くるしい」が加わってくれば、とりあえず子どもの健康管理については必要最小限のコミュニケーションはとれそうですね。我が家もそのレベルを目指したいと思います。
ウルトラマンさん、
幼児が「ものに名前があることに気づく」瞬間って、どういうものなんでしょうね。間違いなく、その瞬間というのは連続的ではなく離散的な発達段階なのだと思います。そして恐らく、それは自閉症児にとってはとても越えるのが難しい「段階」なんだろうな、と感じています。
娘がそれを越えられたのか、まだその辺りをうろついているのか、まだ自信を持って判断できませんが、前に進んでくれていることを信じて頑張りたいと思います。
実はアトピーなのもあって、眠くなったりするとかゆいんですよね。
はじめのうちは「かーかー」でしたが、そのうち「かいかい」、今は「かいー!おくちゅい(お薬)」と言うようになっています。
「痛い」も最近は転ぶと「い~~~~た~~~~~~い!」と半パニック状態で言いますが、どこが痛いかは教えてくれませんね。
けがだったら見ればわかるけど、お腹が痛いとか胸が痛いとか見えない部分はせめて指さししてくれると助かるのですが…。
あとは「暑い」「寒い」も言ってくれるとうれしいなぁ。私が暑がりの冷え性なので子どもの感覚と違うかなぁといつも思っているので。
こういう目で見えない感覚の部分の言葉って出てくれると親としてはわかりやすくてうれしいですよね。
「暑い」「寒い」はパニック状態の時ではないからPECSでもできそうかな?うちの場合まだまだ先ではありますが…。
「かゆい」っていうのは意外とポピュラーな?初期言語なのかもしれませんね。
「痛い」は、とりあえず言ってくれればあとは体の動きを見れば(どこかかばっている場所はないか)ある程度は分かるんじゃないかなあ、と期待しているのですが、なかなか難しいのかもしれませんね。
「暑い」「寒い」は結構難しいと思います。
教えるにしても、本当に子どもがそう感じているときに教えないと、感覚とことばが正しくつながらないので、こういう「目に見えない」感覚を教えるのは意外とてこずるんじゃないかな?と思います。
「その「場所」が娘にとって幸せな場所になるよう、大人であり親である私たちが何をできるか・・・」
という所に、深く感動&共感いたしました!
障害を持った子どもたちに限らず、実は全ての子育てに言えることですよね!
最近の『幼児期の療育を考える』シリーズを読んでいて思うのですが、本当に、そらパパさんのおかげで、今まで知らなかったたくさんの良い療育法や、家庭での療育的なかかわり方などを知ることができて、心から感謝しております。(もっと早くから知っていたかった・・・でも、もっと遅くなくて良かった!)
我が家でも、PECSに取り組み始めてから、とんとん拍子にフェーズ3まで進み、コミュニケーションの楽しさを知ってもらうことができたと思います!
しかも樹の場合は、以前から遅延性エコラリアは多かったし、最近は即時性エコラリアもものすごくできるようになってきたのですが、こちらからの言葉がけはほとんど理解できておらず、内言語は一つもないといっていい状態でしたが、PECSのおかげで、ほんの少しずつですが、内言語が増えていったと思われます!
樹も正しくは発音できていませんが、写真カードを持ってくる時に、発音するようになってきました!
なぜか、全てフランス語張りですが・・・
「おちゃ」なら「おちゅば~ん」
「ばなな」なら「ばぬな~」
「ずぼん」なら「すぽ~ん」といった具合です(笑)
こちらは、北海道のしかも道北の田舎ですので、療育にしても、たった週1回の2時間だけで、本当にこんなのでいいのかな?と不安に思いますが、もし、そらパパさんと出会わなければ、本当に何にもしていなかったかと思うと、ゾッとするくらいです!(笑)
今でももちろん充分な療育ができているとは、到底思えませんが、ABAなどの考え方や関わり方を知って、普段の生活から実践していくだけでも、本当に価値のあることだなぁと、つくづく思っています。
本当に、ありがとうございます!
ことばが出てくるようになったのはすごいですね!
我が家も似たような経緯をたどってきたような気がしますし、PECSは、私たちが想像している以上に自閉症児のコミュニケーションの「目に見えない内側の世界」を伸ばしているのかもしれませんね。
親がABAやTEACCHに関する基本的な知識をもって一貫性のある接し方をしていれば、少なくとも幼児期の療育としては十分な水準のものが提供できるんじゃないか、と私は思っています。
そのときに大切なのが、「普通を目指す」といった、高いところから見下ろすような見方で子どもを見ることなく、いまの子どもの発達水準と同じ高さに目線をおいてそっとサポートするという気持ちなんじゃないかな、と思っているわけです。