長く続けてきたこのシリーズ記事ですが、今日の記事でようやく終わりです。
Slide 27 : おわりに
以上で、今日用意させていただいたお話は終わりになります。
長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。
今日お話しさせていただいた内容でお分かりのとおり、私は、療育について、ウェットかドライかといえば、かなりドライな立場をとっているということになると思います。
私は、療育のなかに「こころ」という考えかたを導入する必然性は、ないと思っています。
でもそれは、自閉症児にこころがないとか、そういう情緒的な議論ではまったくなくて、効率的に療育したいなら、狙うべきポイントはそこじゃないですよ、ということを言っているにすぎません。
なぜなら、私たちは「こころ」とはどんなものなのかについて実はよく分かっていないですし、脳科学も心理学も、それに対して明確な答えを出しているわけではないからです。
私たちにとって、与えられた時間も、お金も限られています。
つまり、それらは、先ほどお話しした「リソース」なのです。
リソースは、有効に使わなければムダに消えていってしまいます。
だとすれば、せっかくの限られた、私たちのお金や時間というリソースは、目に見えない、よく分かっていないところに使うのではなくて、具体的で目に見える、そして効果のほどが検証できることに使ったほうがいいに決まっていますね。
そして、それはどこなのか、といえば、自閉症の人が環境とかかわっている「接点」、それに尽きるわけです。
TEACCHにしてもABAにしてもPECSにしても、およそ、自閉症に対してちゃんと効果を出していると考えられる療育法っていうのは、ちゃんとこの「接点」に目に見えるかたちで働きかけるものばかりです。
逆に、そうではない、ちょっといかがわしいような療育法は、えてして、脳だったり心だったり胃腸だったり無意識だったりと、どれも目に見えない、さわれないところや、環境との接点じゃないところに働きかけています。
そういう「違い」に敏感になることが、自閉症の親としては、意外に大事なことなんじゃないかな、と、自閉症児の親としていろいろ勉強してきて、最近感じているところです。
今日は、そういうことをお話ししたつもりです。
ちょっと難しい内容になってしまったことをお詫びしますが、今日のお話が、皆さんの今後の療育、家族の時間にとって、少しでも役に立つものであることを願って、今日のお話を締めさせていただきます。
ありがとうございました。
(了)