鉄腕アトムと晋平君―ロボット研究の進化と自閉症児の発達
著:渡部 信一
ミネルヴァ書房
ロボット化する子どもたち―「学び」の認知科学
著:渡部 信一
大修館書店
これら2冊の本における自閉症療育に関する主張をまとめると、次のようになるでしょう。
①いわゆる「計算主義」に基づくロボットは複雑な環境に適応できなかった
②新しい世代のロボットは「環境から自ら学ぶ」システムに進化した
③現在主流の「スモールステップで訓練する」という自閉症療育は「計算主義」なので、複雑な環境への適応は望めない
④新しい自閉症療育のあるべき姿は、ロボットの進化同様、「環境から自ら学ぶ」やり方にある
本書の中では、ここまできれいに整理されているとは言えないのですが、著者の主張を論理的にクリアに記述するとすれば、恐らくこれで合っていると思います。
一見、この論理は整合的で、だからそこから導かれる結論も正しいように見えます。
ところが、実はそうではないのです。
この主張のうち、①と②は正しいと言えます。
ただし、ロボットや人工知能で問題になっているのは、実は知識の教え方ではなく、知識を蓄え、応用するための仕組み、アーキテクチャであることに注目する必要があります。
「人間の知性の正体は、脳が複雑なコンピュータプログラムを実行していることにある。だから複雑なコンピュータプログラムを書けば、逆に人間と同様の知性も実現できるだろう」という考え方が、ここで出てくる「計算主義」です。
そして、このアプローチが「複雑な環境の中で、無視すべきことを端的に無視し、無視してはいけないことをちゃんと考慮する」という課題を解けないという「フレーム問題」に直面してある種の挫折を経験し、すべての知識をプログラムとしてあらかじめ用意するというやり方では人間的な知性は実現できないという「発見」につながったわけです。
参考:フレーム問題について(「極私的脳戸」日々の与太より)
ここでのポイントは、そのパラダイム・シフトによって起こったことは、「ロボットに対して教えることを変える」のではなく、「ロボットが知性を実現するためのアーキテクチャを変える」ことだった、ということです。
つまり、もっと簡単にいえば、ロボットの「脳」を新しい仕組みのものに入れ替えてしまった、ということです。
その新しい「脳」は単なる膨大な知識の貯蔵所ではなくて、「からだ」と強いつながりを持ち、その「からだ」を使った環境との相互作用の中で、環境の「意味」を自ら学んでいくという新たな能力を身に付けました。(その能力を実現するための「計算主義」に代わる認知理論が「コネクショニズム」でもあるわけです)
上記主張の②でいう、「環境から自ら学ぶ」という能力は、教え方を変えるだけで実現しているのではなく、ロボットの「脳」にあたる情報処理のアーキテクチャそのものを変えたからこそ実現しているのです。
上記の②と③の間には、極めて大きな論理の飛躍があります。
なぜなら、①と②の間で、ロボット(あるいは人工知能)の「脳(アーキテクチャ)」は入れ替わっているのに、③と④の間では自閉症児の「脳」は入れ替わっていないからです。
つまり、「人工知能のアーキテクチャの進化」こそが本質であって、「人工知能への教え方の進化」はそれに連動して初めて意味を持つ要素でしかないのに、この要素部分だけが切り離されて、そちらが本質であるかのように療育論・教育論にすり替えられている、それがこの論理の欠陥です。つまり、ここで議論されているのは一種の「擬似問題」に過ぎないのです。そして、②→③が必ずしも正しいとは言えないとなると、④の正しさも保証されなくなります。
上記①から④の論理に欠陥があることを確認したうえで、④が正しくない可能性が高いことを、一般的な知見から確認しておきます。
かつて自閉症が正しく認知されていなかった頃の自閉症児は「複雑な環境の中で試行錯誤して学ぶ」環境にあったわけですが、予後は非常に悪かったと言われています。ひるがえって現在、TEACCHやABAにより「訓練によって学ぶ」ことが行なわれるようになり、予後が改善されたという調査結果が多数存在します。
④の結論が正しければ逆になっていなければおかしいはずです。つまり、④の結論は誤っている可能性が高いと言えます。
「晋平君」という一例で、訓練しないやり方が成功したと主張するのは科学的根拠のない「エピソード主義」です。訓練したらもっと伸びたかもしれませんし、訓練を「する」「しない」というグループを作って統制実験をしているわけでもないので、この一例からは何も結論は語れないのです。
最後に、著者と同じ出発点から私の考えを整理することで、「一般化障害仮説」がどういった位置づけを持っているのかを改めてご紹介しておきたいと思います。
自閉症児が、まるで古い人工知能が直面したのと同じような環境不適応を起こしているように見えるという観察結果から導くべきは、自閉症児の脳は「環境から自ら学ぶ」というスキルに障害を持っているのではないだろうか、という推論です。つまり、教え方という擬似問題に陥るのではなく、脳のアーキテクチャという本質から問題をとらえるべきなのです。
「進化したロボット」は、「環境から自ら学ぶ」というスキルを得るために、コネクショニスト・モデルにもとづく一般化能力を「人工知能のアーキテクチャ」として実装しました。そうしないと、刻々と移り変わる「複雑な環境」の過去の経験から「ルール」「意味」を発見し、同じく刻々と変化する「未来」の事象に適応することは不可能だからです。「環境から学ぶ」ためには「環境から学ぶ能力」が必要です。そしてその能力の本質が「一般化」にあると考えられます。
そして、「環境から自ら学ぶ」ことが難しい自閉症児は、この一般化能力という脳のアーキテクチャに不備があるために、古いタイプのロボットのような行動と困難を見せるのだと推測できます。
だとすれば、その限られた一般化能力を最大限に活用し、何とか「環境から自ら学ぶ」能力を育てていくためには、本当に意味のある情報だけを厳選して提示し、限られた一般化処理能力をパンクさせないようにコントロールしつつ、環境との相互作用によるフィードバックサイクルを少しずつ大きく回せるように積極的に働きかけることこそが必要だと理解できます。「複雑な環境にいきなり放り込んで試行錯誤させる」というのは、ケガをした部分を治すのにいきなりその部分をハードに酷使するのと同じで、自閉症児の弱みを無視した不適切なやり方になる可能性が高いでしょう。
スモールステップに還元された行動をいくら寄せ集めても「全体」にならないのは事実で、そういう意味では「統制された環境の中での訓練だけで健常児と同じことは学べない」という著者の主張はまったく正しいでしょう。
でもそこから、「訓練する」よりも「複雑な環境に放り込む」ほうが自閉症児の発達を促す、という結論にはなりません。ここにも論理の飛躍があります。
複雑な環境に自力で適応できないことこそが自閉症児の困難の本質なのであって、それを乗り越えるためには、やはり地道な「訓練」の中から少しずつ環境との相互作用の力を伸ばしていくことが必要なのだと思います。
最後に、この本がおすすめできるかと言われれば・・・まあ、既にもう結論は書いているも同然なのですが、本の内容に突っ込むことを楽しむという目的からすれば、どちらもとても面白い本だと思います。(^^;)
※その他のブックレビューはこちら。
以前からブログを見ていて、自分も勉強しなければと気合いを入れてもらっています。つい最近「鉄腕アトムと~」を読んだので思い立ってコメントを書こうと思いました。
この本の「訓練批判主義?」(TEACCHや応用行動分析の事を批判しているのでしょうか?)にどうも納得がいかなかったのですが、そらパパさんの説明を聞いて「なるほど」と思いました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
この本が主張しているような「反『訓練』主義」というのは、たいていの場合、理論的な基礎付けがうまくできていないと思います。
本書の場合、一見そのあたりがかっちりしているように見えるのですが、実はレビューで書いたとおり人工知能の進化の解釈に論理の飛躍があると思います。
ただ、世界で経験するすべてのことを、教室でのフォーマルトレーニングに「還元」して訓練できるという考えは誤りだと私も思っています。
教室での「訓練」と実環境との「相互作用」の取り組みを、うまく構成していくことこそがベストの療育を探る道だと思っています。
今後ともよろしくお願いします。
学校の中の子どもをみるだけでなくて、将来も含めて子どもの生活をトータルにみることを大切にしていきたいと思っています。そのためにも専門家としての正しい知識が必要ですね。
そらパパさんのブログ、ブックレビューを今後も参考にさせていただきます。
よろしくお願いします。
私は専門家ではないので、逆に実践で頑張っているプロの方の意見を多くお聞きできることが、このブログをやっていて一番良かったことだと思っています。
療育を始めて まだ 間もないのですが、
少し 不安な気持ちになってしまってました。
こちらの記事を拝見し、気持ちが落ち着きました。
ありがとうございました。
私がこの本について言いたいことは、このレビュー記事に書いてあるのでそれ以上は書きませんが、自閉症児のQOL(生活の質)を向上させるには、適切なスキルトレーニングは絶対に必要だと思います。
(言葉遊びのようになってしまいますが、「ほったらかしで環境に任せる」ことで追いつけるなら、そもそもそれは「障害」ではないのではないか、とさえ思います。)
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でアクセス可能になります。リンクを賜ったこと、気がついておらず、連絡申し上げるのが遅くなりました。
ごめんなさい。
こちらこそ、無断でのリンクでしたので、ご迷惑をおかけして失礼しました。
(もしリンクがご迷惑なようでしたら削除しますので、コメントください。)