Slide 21 : リソースの最適化としての療育
さて、先ほどから何回か「リソース」ということばが出てきましたが、このリソースっていうのは訳すと「資源」という意味です。
要は、私たちが利用できるヒト・モノ・カネ・サービス全般のことを指しています。
先ほど出てきた「チーム編成」にしても「リンケージ・マネジメント」にしても、要は自分の周りにあるリソースをいかに最大限有効に活用するか、ということが、療育を成功させるためのポイントになるわけです。
これはとても大切なことだと思いますので、もう一度図を見ながら考えてみたいと思います。
Slide 20 : リソースの最適化としての療育(図)
こちらの図をご覧ください。これは、先ほどの図を少し変形したものです。
中心にあるのが、私たちが取り組む療育というプロジェクトです。
このプロジェクトは、さまざまなりソースに取り囲まれています。
これらリソースからうまく支援をとりつけることで、この療育プロジェクトというのは初めて動き出すわけです。
ここで、「メンバー」っていうのも同じようにリソースに含まれている点に注目してください。この上のところですね。
メンバーというのは家族のことですから、療育プロジェクトにとっては、家族もリソースの1つだ、ということになります。
これは、家族の愛情のこもった子育てを資源のレベルにおとしめるということではなくて、療育プロジェクトからみると、専門家や専門施設からの支援と、家族の支援は同列のものとして考えるべきだ、ということです。
ちなみに、リーダーの位置づけはこんな感じになります。
リーダー自身もリソースとして療育プロジェクトに貢献しているわけですが、さらにリーダーはそのリソース全体を見渡して、できるだけたくさんの良質な支援を受けられるように働きかける役割も、あわせて担っています。
ここで大切なことは、家族やチームからの支援と、外部からの支援、その2つを合計したものが、この療育を支援する全体の力になる、ということです。
外部からの支援をたくさん取り付けられれば、家族は多少ラクをすることができます。
一方で、家族がスキルアップしていろいろなことが自分でできるようになれば、外部への依存度を下げることができます。そうすれば、得られるかどうか分からない外部からの支援の不安定さに悩まされずに、常に安定した支援を子どもに提供できるようになるわけです。
つまり、外部からの支援をとりつけつつ、家族による療育とうまく組み合わせていくことで、子どもの発達を最大限にサポートする体制を作っていくことが大切なわけです。
外部からの支援を得ることも大切なんですが、それにばかりエネルギーをかけて、家族が気持ちよく子育て、療育できる体制づくりがおろそかになってしまうようではいけません。
なんと言っても、療育の現場は家庭にあって、療育の第一当事者は親御さんなんですから。
(次回に続きます。)
キラキラ差別って何?(→TWitter)もしかして、キラキラネーム(ココアちゃんとか、
ヒーローちゃんとか)に対する差別?・・・私やってたかもしれない(少なくとも、本人のいないところで、親の考え方を判断する材料に)、と思って、検索しちまいました。
どっちもキラキラシール(ビックリマン)みたいなもんですかね。これさえ貼っとけばイケてる、キラキラ、みたいな。
励ますだけは、労力いらないし、自己満足できる。名前は付けるのもタダで、一方的な愛を込めることができる。受け取った側の困難・気持ちへの想像力がない。
なんか、差別という重い言葉に躊躇する。コドモの養子をしているひとが、動物の{養子}を使わないで、と言っているように。差別、が、刹那的なものに貶められそう。今の時代、情報が軽くなり、大量になり、結局受け取る側にとっては、キラキラの大量が耐えがたく、重くなるのかもしれない。だから、重い言葉をつけてもいいのかもしれない。
コメントありがとうございます。
ツイッターは140字のやりとりなので、分かりやすいネーミングが強く前に出てくることが他のメディアよりも多いように思います。
この「キラキラ差別」というのも、そういう流れの中で出てきたキーワードだと認識しています。
驚いたことに、少しあとで毎日新聞でも使われました。
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/633390/533942/71224235
http://blog.livedoor.jp/iso_hiramatsu/archives/52116690.html
「重い」かどうかは、やはりそれを投げつけられた当事者が判断するものだと思います。
場面によっては、「差別」という呼び名どおりの、辛いことばになっていることはあるだろうと私は思っています。