精神科医の子育て論
著:服部 祥子
新潮選書
第1章 旅立つ前に―内面からの成熟をめざす子育て
第2章 誕生から一歳頃まで―最初の一歩の大切さ
第3章 一歳から三歳まで―じりつへの歩の進め方
第4章 三歳から六歳まで―自発性を伸ばす
第5章 六歳から十二歳まで―学習の開始
第6章 十二歳から二十歳まで―自我同一性の獲得
第7章 旅を通して―旅路を支えるもの
タイトルには子育てとありますが、内容としては著者が出会った、自閉症児T君をもつ母親(J子さん)の子育て実践を中心軸にして、そこから健常児を含めた子育て一般を語るという内容になっていますので、自閉症療育の本としても十分読めるものになっています。
また、私が買った本は第20刷となっていますから、これまでずいぶん売れてきた本なんだと感心しました。
ですが、よく売れているからといって必ずしもいい本だと結論付けられないのが自閉症本の難しさです。実際、この本は読み方に気をつけなければならない「要注意本」だと私は感じました。
まず、本の中に出てくる自閉症児T君のお母さん、J子さんの療育・子育てのやり方は、基本的にはとても正しいし、尊敬に値すると思います。
今のように自閉症児の療育について十分な知見がなかった時代になされたものだということまで考慮すると、自閉症児の持つ困難さの本質を見抜き、それをうまく乗り越えるための的確な働きかけがなされていることに驚きさえ感じます。
この辺りの「母親力」については、同様に高く評価されている明石洋子さんと同じカリスマを感じます。
ですから、そういったJ子さんの「子育て実践録」として読む分には、この本から得られることは少なくありません。ただの机上の理論ではなく、実際に子どもを前にして悪戦苦闘した結果として、子どもの高い社会適応性を達成した母親の言葉には重さがあります。
ところが、本書のJ子さんが明石さんと異なるのは、明石さんが主としてTEACCHのコミュニティの中にいて、彼女の子育てがTEACCHの文脈から読み解かれているのに対して、本書におけるJ子さんの子育ては、精神科医である著者の(あまり適切とは思えない)文脈から読み解かれてしまっている点です。
精神医学を否定するつもりはありません。が、こと自閉症療育に限定していえば、精神分析を中心とした精神医学理論は、そもそも「異なった脳」によって「異なった認知世界」に生きる自閉症児の「質的な」障害に働きかける理論としては力不足であることは否定できません。(だからこそのTEACCHであり、ABAであり、PECSなのだと思っています。)
その結果として、精神医学から読み解かれる「自閉症論」は、さまざまな新たな概念を必要とします。本書においても、もともと多彩で複雑な精神医学用語に加え、「愛」「心」「きずな」など著者独自と思われる内面に関する概念が続々と登場します。
でも、これまでも書いてきたとおり、このような概念が増えれば増えるほど、その説明は「わからないものをわからないもののせいにする」というトートロジー(同語反復)の様相を呈するようになり、説明力を急速に失って曖昧で観念的なものになっていくのです。
そういう意味では、本書の抱える問題は必ずしも精神医学一般の問題というよりは、著者の「精神医学的概念」の使い方のほうにあると言ったほうが適切なのかもしれません。
ともあれ、本書におけるJ子さんの子育ては、このような概念の積み上げによってある種「強引に」読み解かれていきます。その結果、本来はきらきらと輝いていたはずの「子育ての実践録」が、著者の解説によってむしろ曇らされて輝きを失ってしまい、観念論の並ぶ凡庸な「子育て論」に変わり果ててしまっているように見えます。
例えば本書は冒頭から、こんな書き方で始まります。いきなりこんな始まり方だったので、もう少しで読むのをやめてしまおうかと思いました。
心壊さぬ子育て 子ども本来の姿が見えること
(略)まぎれもなく彼の自身の心が世界に触れて、感じたりかかわり合ったりしている本質である。自閉症の場合、その本質がユニークで偏りがあり、また壊そうにも壊せない硬質で純度が高いという特性をもつ。T君の母親はそうしたT君の心を壊さないように守りつつ、基本的生活習慣を身につけ、ひとりだちさせ、社会に受け入れられる行動ができるように導き、愛することと働くことのできる人間に育てるための努力をつみ重ねてきた。それは決して平坦な道ではなかったと思うが、今十九歳になったT君を眺めていると、心壊さず、しかも好ましい人間に育ってきたということを強く感じ敬服する。
心壊れし者の悲しみ 不登校児A君との出会い
一方、不登校児A君に出会って、私はT君とは全く対極の姿を見たように感じた。
(略)
A君は色白の端正な顔立ちの少年で、表情は少なく、終始呆然として遠いところをぼんやり眺めているような雰囲気があった。質問への了解もあり、反応は遅いが返答は的をはずれてもいない。思考の乱れや逸脱もない。しかし内容はきわめて貧弱で、自分の考え、感情、意志の発露が乏しい。それは防衛機制の結果というより、自己の内面がうつろで、自分のよって立つ土台がきわめてもろいという印象であった。初版16~20ページ
ここで繰り返し登場する「心」ということばの使われ方は、先に書いたようなトートロジー(同語反復)の典型例だといえるでしょう。上記の引用文でも、「自閉症の場合、その本質がユニークで偏りがあり、また壊そうにも壊せない硬質で純度が高いという特性をもつ」とか、「T君の母親ははそうしたT君の心を壊さないように守りつつ」といったあたりの文章は、じっくり読み返してみると、実は何も語っていないということに気づきます。
また、上記でも分かるとおり、本書は「自閉症児T君への子育てはすばらしい」、それに対して「子育てが簡単なはずの健常児がこんなにもひどい子育てをされている」という対比をひたすら繰り返すことで議論が進んでいきます。「健常児の失敗例」のほうにも、もっと汲み取るべき要素はいろいろありそうなのに、ほとんどが単に親の育てかたが悪いという片付け方をしているところも、安易な「勧善懲悪」の匂いがプンプンしていて、率直にいって「うさんくさい」です。(これは精神医学とはまったく関係のない、本書の書かれ方の問題です。)
また、J子さんの子育ての中には、ときに厳しい「育て方」が登場します。それらの多くは、ABAの過剰修正法やプロンプトフェイディングといった考え方から合理的に説明できるのですが、本書の中では「強いきずなで結ばれているからこそできる愛のしつけ」といったニュアンスでしか捉えられていません。これでは、読者がここから何を学び、自分の子育てにどう応用していいか分からないでしょう。
また、以前レビューもどきでご紹介した変な本と同様、本書も「レインマン」とか「ミルンの詩」といったフィクションがやたらと引用され、しかもそれが現実と混同されて理論の中に組み込まれる?という事態が繰り返されます。
ミルンの1歳から6歳までの気持ちを描いた詩(もちろんミルンが大人になってから書いたもの)をごっそり引用して、この詩のとおりに6歳までの子どもの心が発達するかのように大まじめに解説している箇所(初版108~112ページ なんと5ページも使っています)を読んだときは、思わず目を疑いました。
ともかく、この本は著者自身が解釈、解説している部分は無視して読んだほうがよさそうです。
J子さんの子育てが引用されている部分だけを慎重に抜き出して読み、著者が読み解けていない、真の意義を自ら見つける、そんな知的ゲームのような読み方ができる人にだけ本書をおすすめしたいと思います。その「ゲーム」を解くことができれば、この本は難しい自閉症児の子育てに成功した1人のカリスママザーの逸話として輝くでしょう。
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