c.「ママは味方」メソッド(母親への愛着形成)
自閉症児がなぜヒトとのコミュニケーションをあまり取らないのかと言えば、それはヒトという存在があまりに複雑で、あいまいで、多義性に富んでいるからだと考えられます。
自閉症児は、複雑な対象に適切に働きかけることに著しい困難をかかえる障害なのです。
恐らく、「孤立型」で、何から手をつけていいか分からないような段階の自閉症児にとって、「ヒト」の存在は、たとえ母親ですらちゃんと知覚されてはいないと考えるべきでしょう。
ですから、ヒトとのかかわりについての療育の最初の目標は、母親の存在に気づくこと、母親と愛着関係を作ること、そして「母親」の存在への気づき出発点にして、ヒトの存在に気づき、初歩的なかかわりを始められるようになることにあります。
さて、ヒトの複雑さがどこにあるのかといえば、最も端的には「いつも同じ行動をするとは限らない」というところにあります。あるときにミルクを欲しがったら飲ませてくれて、別のときに同じように欲しがっても飲ませてくれない、あるいは、あるときは楽しいことをしてくれて、あるときは嫌なことをさせられる、ということが普通に起こります。
健常児であれば、こういったことをすべてひっくるめた「母親の存在」をちゃんと気づき、母親と容易に愛着関係を築けるわけですが、自閉症児にとってこういう「矛盾した存在」を理解するのは非常に難しいのです。理解が難しいというのは、単に自発的にかかわったり、愛着を感じることが難しいというだけではありません。それどころか、そもそもそこに「ヒト(母親)が存在する」ということを知覚することさえおぼつかないのです。
だとすれば、できるだけ母親を「矛盾しない(複雑さや多義性の少ない)存在」にしていくことが、子どもが母親を理解するためには助けになるはずだ、ということが予想できます。
そこで私たちが考えたのが、「母親=味方」「父親=悪役」というシンプルな構図を作り出すことです。
どういうことかというと、娘にとって楽しいこと(ごはんを与える、ほめる、抱きしめる、安心させる)は極力母親がやるようにし、逆に娘にとって辛いこと(叱る、ちょっと怖い遊びをする、嫌がることをやらせる)は父親である私がやるようにしたのです。もちろん、私は常に娘のそばにいるわけではありませんから完璧ではありませんが、少なくとも二人でいるときは何か娘にするときはいつも「これは味方か悪役かどっちがやるべきことかな?」と考えて役割分担していました。
できるだけ、「母親は楽しいことばかりしてくれる」という状況を作ることで、まずは母親を「矛盾しない存在」にして、基本的信頼を作ることに努めたのです。これが「ママは味方」メソッドです。
この「ママは味方」メソッドには、もう1つ副次的な効果があります。
それは、母親にとって「叱らない子育て」を意識する1つのきっかけになる、ということです。
次の章で、自閉症児の療育に大きな効果のあるABA(応用行動分析、行動療法)の考え方を説明していこうと思いますが、ABAに基づく子育ての最大のポイントは「できるだけ叱らずに言うことを聞かせる」ということにあります。
「ママは味方」メソッドでは、母親は「叱る」ことをできるだけ避けるよう意識して行動することになります。そうなると、例えば子どもが問題行動を起こしたとき、近くに「叱ってくれる」父親がいない場合に、母親はまずは「叱らずにやめさせる方法はないだろうか?」と考えないわけにはいかなくなります。このような場面は、「代替行動の強化」などの叱らないABAのテクニックを使うきっかけ、動機づけになると思います。
これは長い目でみると、とても大切な「変化」だと思います。
(もちろんこれは、父親はABAなんて気にせずに叱っていい、という意味では全然ありません。父親もやはり、ABAを勉強して「叱らない子育て」を目指さなければなりません!)
(次回に続きます。)
今回の方法はとても興味深かったのでコメントさせていただきます。
私は養護学校の教員ですが、自閉の生徒を担当するとき、最初に心がけるのが、私を「味方」と信頼してもらうことです。ですから、他の先生から「なに甘やかしてるの?」といわれるくらい徹底的に生徒のやり方、気持ちに寄り添うようにします。よほど危険なこと、他の生徒に害を与えることがない限りはこだわりにもずうっとつきあいます。この記事で言う「母親役」でしょうか。そして「母親」としてのベースができたら徐々に父親的な部分を入れていきます。何しろ一人の生徒に二人の教員は付かないので一人二役になってしまうのは仕方ないのです。でもなるべく「私は何者か」がシンプルに認めてもらえるようには努めています。
ブログは定期的に拝見しています。なかなかハードな毎日を送られているようで、倒れてしまわないかと少し心配しながらブログを読ませてもらっています。
さて、今回の記事ですが、私がここで書いている母親の役回りは、いわゆる「受容」ではないというのが1つのポイントです。例えばあまり望ましくないこだわり行動などに対しては、「母親」は無視もしくは既に獲得している子どもの好きな遊びへの誘導、「父親」は代替行動への誘導ないし必要最小限の罰を使うような形を目指すようなスタイルをイメージしています。(つまり、ものすごくシンプルに表現すれば、「母親が罰を使うことを禁止するという療育法」なのです。)
とはいえ、望ましくない行動をできるだけ強化せずに、いかに子どもに「味方」だと知覚してもらえるように行動するか(そしていかに子どもの問題行動をうまくコントロールして望ましい行動を伸ばしていくか)、なかなか難しいチャレンジだと思います。