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2006年10月31日 [ Tue ]

新しい認知心理学から自閉症を考える(16)

新しい仮説を使って、自閉症のさまざまな症状や謎について考えることで、この仮説の「説明力」と妥当性について検証しています。
今日も、残るいくつかの「謎」について考えていきたいと思います。

i.多動
 これは難問です。

 私の知る限り、自閉症児が多動である理由を理論的に説明した仮説というのはあまりないのではないかと思います。そして、この「一般化障害仮説」をもってしても、自閉症児の多動の理由を、「これしかない」というくらい明快に説明することは、正直にいって難しいように思います。

 自閉症児の多動に対するもっとも安易な説明は、脳に何らかの障害があるために多動が引き起こされているのではないか、という考え方です。ただ、この説明は単に「多動」というのを「多動になるような(よく分からない)脳の障害がある」と言い換えているだけなので、本質的には同語反復(トートロジー)です。
 とはいえ、薬によって多動がおさまる例が多数あるのは事実であり、そういった薬が効くような脳の興奮傾向が多動の原因になっている可能性は高いと思います。

 ただ、「これしかない」という明快な説明はできなくても、いくつかの可能性のある仮説から、ある程度「外堀を埋める」くらいのことはできそうなので、その可能性について書いていきたいと思います。

 もっともありそうなのは、補足記事で説明した大脳のモデルに基づき、自閉症児の大脳では運動野として使われている領域が通常より大きく、かつその領域内ではノイズの多い雑多な信号が行き交っているという可能性です。
 運動野が大きく、かつ統制されていない場合に引き起こされる状態が「多動」であることは、十分に考えられることでしょう。

 第二の可能性として、運動野ではなく感覚野から考えるアプローチで、多動が「感覚異常」からくる二次障害ではないかという考え方です。
 私たちも、例えば着ている服がチクチクしたり、体のあちこちがムズムズしたりすれば、じっとしてはいられないでしょう。耳元で大音響が聞こえれば、その音源から逃げたりもすると思います。
 ですから、自閉症児も同様に、過剰な感覚刺激に対してやむをえず反応している可能性があり、その行動が私たちの目には「多動」と映っているのかもしれません。

 第三に、多動というのは「じっとしているべき場所でじっとしていない」ことを指します。運動公園で走り回って遊んでいるのを「多動」と呼ぶ親はいません。
 つまり、子どもは走り回るとほめられる場所と走り回ると叱られる場所があるのだ、という社会的なルールを学ばなければならないわけです。このような「非線形分離課題」が自閉症児にとって非常に難しいことはこれまでに述べたとおりです。
 自閉症児にとっても走り回って遊ぶことが「楽しいこと」として学習される機会は多々あるでしょうから、そのシンプルな「走り回れば楽しい」という線形ルールでもって、場所をわきまえずどこでも走り回る姿が「多動」と捉えられている可能性もあるのではないでしょうか。

 次に考えられるのは、多動が自閉症児の「探索行動」である可能性です。
 子どもは元来、動き回って探索をする、強い好奇心を持っています。
 にも関わらず、健常児が自宅のリビングや幼稚園の教室ではそれほど多動にならないのは、それらの場所にすでに慣れてしまって、「探索する価値のない場所」になっているからだと思われます。
 そして、なぜ「慣れる」かといえば、同じ場所はモノの配置などに多少の違いはあっても同じに見えるという「一般化」ができているからです。
 それに対して、この「一般化」の作用の弱い自閉症児は、同じ場所であっても細部の違いに敏感に反応し、その違いを確認するための「探索行動」を続けるために、健常児と比較すると「多動」に見える、という可能性が考えられます。

 最後に、「走り回る」という行動は、それ自体が自己刺激的な部分もあります。
 一つ上で書いたように、走り回ることで得られる、さまざまな感覚刺激を繰り返し得ようとすることは、自閉症児が限られた方法の中で環境とのかかわりを持ち、環境を学習しようとしている姿なのかもしれません。

 ちなみに、「脱走する」「親から逃げ回る」などの行動は、通常のオペラント条件付け学習(負の強化)によって獲得されただけと考えた方が自然ですから、ここでの「多動」の議論には入ってきません。


3) その他の謎
 ここでは、ややオカルトっぽいものも含め、その他の謎についても考えます。

j.自閉症児は4:1程度で男子が多く、かつ男子ではアスペルガー症候群が多い
 「弱い一般化処理」のモデルに対応する自閉症は男女均等に起こるのに対し、「強すぎる抽象化処理」のモデルに対応する自閉症のかなりの部分(全部ではない)が、Y染色体の劣性遺伝もしくは男脳形成時のアンドロゲンシャワーの異常など、男児にしか起こらない要因によって起こっていると仮定すれば、解ける可能性があります。

k.自閉症児は「知的な顔立ち」をしている、あるいは頭が大きい
 これらは迷信である可能性があることを最初に断っておきます。
 でも、刈込みに失敗した「強すぎる抽象化処理」のモデルを使って、この仮説から説明することもできます。つまり、「強すぎる抽象化処理」のモデルでは脳のある部分が発達しすぎているわけですから、頭が大きくなる可能性はありますし、潜在的な脳の情報処理能力は低くない(もしかすると健常児より高い)ので、「知的な顔立ち」に見えることも説明できます。

(次回に続きます。)

posted by そらパパ at 23:07 はてなブックマーク | コメント(7) | トラックバック(0) | そらまめ式
この記事へのコメント
はじめまして。博士課程で自閉症の視知覚について研究しています。私はFrithたちが考えている「弱い(中枢性)統合」仮説に基づいて自閉症に切り込んでいます。

まだ全て読んでいないのですが、ここまでとても興味深く読ませて頂きました。基本的な枠組みについては、同感ですし、僕のスタンスとかなり近いものがあると感じています。色々細かい議論をしたいのですが、それは後ほどに譲りたいと思います。

さて、多動についてですが、忘れないうちに書いておこうと思いまして、私の考えを書かせて頂きます。

多動が発生する条件としては、これまでの知見から、実行機能の問題と内的言語の問題があると考えられていると思います。定型発達の人たちにおいても、就学前の子どもたちは多動ですが、それは実行機能と内的言語の未成熟から検討できる問題であると思います。

自閉症に実行機能の問題があることについては、ご存じの通りです。実行機能の問題があると、当然自分の行動を制御するのが難しくなります。この実行機能には幾つかのサブタイプがありますが、ここではおおざっぱに行動制御する能力が弱い、と考えると自閉症に見られるADHDの併存についても考えることができると考えています。
僕の書きたかったのはこのことではなく、一般化障害仮説と直接関係がありそうな内的言語の問題(実行機能も大きなフレームで考えると一般化障害仮説と関係がないわけではないと思いますが)です。
人は基本的には無刺激には長時間耐えられないようにできており、必ず何らかの刺激を取り込んで外界と接していると思います。内的言語は当然言語な訳でして、この言語の遅れは言語による行動制御を難しくしているという側面と、内的に思考などの刺激を創出できないとう側面のため、結果的に環境に刺激を求めてしまうということであると思っています。
ただ、そうすると言語発達遅滞は多動となってしまいますが、自閉症やADHDについて、より多動の傾向が強く表れるのは、仰るように刺激の取り込みに問題があると思います。刺激閾値のようなものがあって、発達遅滞の場合はこの刺激閾値はうまく調節できるが、特に自閉症は難しく、例えば時には閾値が上がってしまっていて、刺激を取り込むために盛んに探索行動をするが、自律神経系の活動が活発になって刺激閾値が低くなりすぎて、刺激を過敏に取り込んでパニックになったりするとも考えることができると思います。

舌足らずですが、長くなりすぎるのも問題ですので、これくらいにしておきます。
Posted by ミッチー at 2007年01月24日 13:37
ミッチーさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

認知心理学的なアプローチで自閉症を研究されているんですね。
多くの研究者の方が自閉症について関心をもち、いろいろなアプローチで知見を深めていくことはとても意義のあることだと思います。

ただ、これは他の記事でも触れていますが、認知心理学的アプローチは内的概念に依存することによるトートロジーの危険と常に隣り合わせですよね。
私も不勉強で詳しく理解しているわけではないのですが、フリスやハッペのいう「中枢性統合」という概念も、「実行機能」あるいは「内的言語」という概念も、あまりに高次的な処理水準の概念で、かつ情報処理システムであれば厳密に問われるはずの処理内容のspecificationが必ずしもクリアでないことなどから、どんどん突き詰めていったときに、自閉症についての理解を深めていく力を発揮しきれるのかどうかについて危惧しています。

いずれにしても、自閉症を理解するために、認知心理学的アプローチで設定される複数の「内的概念」を整合的に説明できるような、メタ理論的なフレームが必要なのではないかと考えています。
「一般化障害仮説」はどちらかというとそういったフレームを提供する試みだと考えています。

これからもよろしくお願いします。
Posted by そらパパ at 2007年01月24日 23:12
みっチーさんも書いておられますが、多動は自己刺激行動と同様に処理されれば良いのでは?
常同行為よりは複雑だが、そんなにパターンも多くなさそうですし。
Posted by 通りすがり at 2007年05月26日 20:26
「通りすがり」さん、

多動は自己刺激行動と同じか?といわれると、私は少し違うのではないかと思っています。
というのも、自己刺激行動は多分に自己完結している一方、多動には少なくともある程度の環境との相互作用がかかわっていると考えられるからです。

また、自閉児の自己刺激行動は千差万別ですが、「多動」というのはかなり共通性をもって現れます。

上記のエントリでも、多動=自己刺激行動という仮説は出してはいますが、この仮説だけに全部の可能性を集約してしまうのは、ちょっと危険だろうと考えているわけです。
Posted by そらパパ at 2007年05月27日 18:32
そこが例の「鏡の療育」で書かれていた「世界と自分との二項関係への気づき」の発達の進み具合と関連するんじゃないかなあと思うんですが、どうでしょうね

つまり気づきが障害されている場合、周りには自己刺激と見えても、それは本人にとって環境との相互作用だったり、逆に環境との相互作用に見えても、本人にとって自己刺激だったりという現象が起こったりしませんかね?
まあ、本人にとって、というのは分かりませんけどね。

ですから、同様というより、延長線上ではないかと思います。
Posted by 通りすがり at 2007年05月28日 12:13
もう少し言えばプリミティブなレベルでの「自己知覚」が障害されているのと同様、メタ的な自己知覚、つまり「社会という文脈上の自己知覚」が障害されているのが、空気が読めない、集会で大声を出してしまうみたいな症状につながっていくのではないでしょうか?
つまり自己と環境との相互作用が可能なメタレベルあるいは空間範囲が狭いという事が多動と関係してる気がします。
とか思いつきで書きましたが、きっと誰かが似たような事で、もっとエエこと言ってると思いますw
Posted by 通りすがり at 2007年05月28日 12:20
「通りすがり」さん、

ご指摘のとおり、ここでいう多動のようなケースで「『本人にとって』自己刺激」とか「『本人にとって』相互作用」といったことを考えるのは、ほとんど意味がないと思います。自己知覚や二項関係への「気づき」といっても、それは当の自閉症児の意識の下で言語化されている、ということではないでしょう。

それに、多動というのは自閉児以外の発達障害でも多く見られますから、自閉児の多動であっても、その原因は「自閉症に固有のこと」ではない可能性も高いと思います。

そういったことを考え合わせると、なかなか1つの結論にまとめるだけの確証が持てないという印象をもっています。また逆に、「どれもみんな相互作用のレベルの問題だ」といったレベルにまで概念を広げてしまうと、それはもう「発達障害は発達の障害だ」というのに近いトートロジーになってしまうことを危惧します。

Posted by そらパパ at 2007年05月29日 07:11


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