d.感覚統合
感覚統合というのは、体のさまざまな感覚器からの感覚「入力」が脳で「統合」され、筋肉の運動として「出力」される、という脳の「情報処理」を仮定し、この情報処理の流れがうまくいっていないのが自閉症などの障害を生んでいると考え、この「感覚入力」→「感覚統合」→「運動出力」の流れが適切になるよう働きかける療育法です。
具体的には、体育館にあるような遊具(マット、ブランコ、トランポリン、バランスボール、ボールプール、etc.)などを使って遊ぶことによってバランス感覚や皮膚感覚にたくさんの適切な刺激を与え、その刺激に対応して適切に体を動かす粗大運動スキルをあわせて伸ばすといった療育を行ないます。
非常におおざっぱに言えば、「体育遊具を使って大人と一緒に遊ぶこと」を中心とした療育法です。
一般にいわれる自閉症児の「感覚過敏」「感覚異常」、あるいは粗大運動のぎこちなさやバランス感覚の異常などを考えると、感覚統合で提供されるような「体全体を使ったバランス・皮膚感覚を調整する遊び」を経験させることは、自閉症児にとって適切な療育効果をもっている可能性がかなりあるのではないかと考えられます。
また、自閉症児が特に苦手としている「環境とのかかわり・相互作用」の入り口として、体全体を使って遊具とかかわりあうことが有意義であることは間違いないところでしょう。
ですので、療育メニューの一部として、感覚統合を組み入れることについては悪くない選択肢だと思います。
ただし、気をつけなければならないのは、感覚統合は理論的には非常にもろい療育法である、という点です。
感覚統合の本を買ったり資料をもらったりして読んでみると、そこには専門的な脳科学の用語が並び、感覚統合理論が脳科学の知見に基づいた科学的な療育理論であるかのように解説されていますが、実際には、脳科学の新旧の仮説を「いいとこどり」して強引に療育理論にまとめあげた、言葉は悪いですが「トンデモ理論」に近いものだと言わざるをえません。
ただ、この理論面の問題によって、感覚統合が療育法としてすべて無意味だということにはならないと考えています。
感覚統合「理論」そのものが仮に正しくないとしても、既にお話しした通り、バランス感覚や皮膚感覚、粗大運動といった領域に多くの自閉症児が異常を持っていることは事実であり、これらの領域について、実践的な働きかけのやり方を示し、「環境との相互作用」への入り口を提供している感覚統合「療法」は、実践メニューとしての価値を持ち続けるはずです。
また、反応性の弱い重度の自閉症児に対して、「人とかかわる遊びの楽しさ」を教える第一歩としても、感覚統合療法は意味を持っているのではないかと思います。
感覚統合については、理論に深入りする必要はまったくありませんが、感覚統合の実践者に運良く出会うことができたなら、療育メニューの一部として(残念ながら、感覚統合だけで自閉症児の療育すべてをカバーすることはできません。これも大切なポイントです)、感覚統合を取り入れることを検討する価値はあるでしょう。
また、そうでない場合も、実践例が豊富に掲載された感覚統合療法の書籍を参考にして、毎日の親子の「遊び」として感覚統合を取り入れるのもいいと思います。
(次回に続きます。)
私は感覚統合を知る事に依って、息子の抱えている“感覚の苦手さ”からくる“つまずき”を知る事が出来ました。
ただ、私も思うのは実際に月に何回か通って、数十分程度の療法で確かな効果が得られているのかは疑問に思います。
経験してみて、この療法を受たからといっても劇的な改善は期待出来るものではなく、そのノウハウを親が学び取り、家庭で出来る範囲で実践して継続して行く事で効果が上がっていくものなのではないかなと感じています。
息子は月に3回とその他も含め、感覚統合を受ける機会がありますが、特にこの療法を受けているから・・という捉え方ではなくて、コミニュケーションスキルの向上を目的として、
“遊びを通して他者に介入して貰える良い機会”と捉えて通っています。
遊びを通して他者に褒められる事で、やる気も起きてくる場合もありますから・・。
OTでは散々お世話になっている息子ですが、そらパパさんの仰る通り、感覚統合は療育のメニューの一つとして取り入れて行くのがベターなんだと思います。
コメントありがとうございます。
私も、感覚統合療法は自閉症児の特性に合ったすぐれた療育法だと思っています。
それに、確かに、「自閉症児は感覚異常があってそれによる生活の困難を感じている」という視点を持つことは、子どもを理解するうえでとても大切なことですよね。
私は、感覚統合療法は、いまのトンデモっぽい「理論」から脱却して、「環境との相互作用」といった観点から再構成されるべきなんじゃないかな、と思っています。
「実践」は素晴らしいのですから、それにしっかりした「理論」が伴えば、幼児期の自閉症療育法の1メニューとして自信を持ってすすめられるものになると思うんですよね。
あの理論というか、何と言うかわからないものを除いて、ただのプレイセラピーとしてみたとき、・・・うーんどうだろう。
「何の効果もない」ということを実証することは難しいですが、コストベネフィットでいえば、厳しいものがあるんじゃないかな。
もしそのコストでABAやTEACCHを受けられていたとすれば、マイナスかな。
私は、このエントリや他のエントリでも書いているとおり、療育の実践としては感覚統合はけっこう悪くないと思っています。
そもそもここで前提にしている療育対象は、ABAなどがほとんどできないような、極めてプリミティブな発達段階にとどまっている、「何から手をつけていいか分からない」子どもですので、まずは感覚統合で「世界」との相互作用の扉を開かせるということにはそれなりの意義があると思っています。
本当はメイルで質問したい内容であるのですが、メイルアドレスをどうしても見つけられなかったので、コメントに書かせてください。
このエントリーで、感覚統合理論について『脳科学の新旧の仮説を「いいとこどり」して強引に療育理論にまとめあげた、言葉は悪いですが「トンデモ理論」に近いもの』と書かれていらっしゃいますが、その根拠、というか感覚統合理論の脆弱性を指摘する文献あるいはトピックを教えていただけませんでしょうか?
数年前から感覚統合療法に興味を持っておりまして、最近では入門講習会などにも参加しています。
そこで教わる理論(「脳幹や大脳辺縁系の機能が低下しているから感覚情報が大脳皮質に上手く伝わらない」など)は、私にとっては「ほうほう!そういうことか~。」と納得できることばかりだったので、そらぱぱさんや通りすがりさんが書かれていることを読んで「ええええっっっっ!そうなの?!」と驚き、正直ショックでした。
なので、「感覚統合理論ではこう言われてるけど、最新の脳科学ではこうなんだよ。」みたいなことを説明しているものを読んで、いろいろな意味で納得したいと思っています。
お忙しいことと思いますが、お時間があるときお返事いただければ幸いです。
(コメントの返事として不適当であれば、メイルでもかまいません。)
感覚統合法の理論面における問題については、感覚統合法の研究者自身が述べているものとしては、学研の「新・感覚統合法の理論と実践」(坂本龍生・花熊暁 編著)があります。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/405400637X?ie=UTF8&tag=danchanseikou-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=405400637X
この本の終章に「感覚統合法の研究動向とこれからの課題」という章があり、ここでは感覚統合法が特に米国で激しい批判にさらされ、ある種の「インチキ療法」扱いされるに至った経緯が示されており、感覚統合法の研究者・実践者はこれらの批判に真摯に向き合うべきであるという議論が展開されています。
(逆にいえば、第一人者がこういったネガティブな情報も示したうえで客観的な議論をすすめていこうという立場を示していることは、感覚統合法が健全かつ誠実なスタンスを持っているということでもあり、素晴らしいことだと思います。)
また、感覚統合法の「外」の議論でいえば、そもそも脳のどの部分がどういう機能を持っている(そしてその機能が遅れているということは脳のその部分に障害があるということである)といったはっきりとした機能局在論そのものがやや時代遅れであるという感が否めませんし、仮に機能局在論をとるとしても、具体的に脳のどの部分がどういった機能を持つかということについて、感覚統合理論で想定されているほど明確なものがあるとはいえない状態にあると思います。
また、感覚入力が「統合」されて「運動」につながる、という流れについても、議論が単純化されすぎていると感じています。
このあたりは、当ブログで何度もとりあげている、ギブソンのアフォーダンス理論と密接な関係がありますので、そちらも参照いただければと思います。記事でいうと、たとえば:
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/20212141.html
こちらで書いている「感覚→知覚→認知のピラミッド構造の否定」という部分がそれにあたります。
また、この部分は拙著「自閉症-『からだ』と『せかい』をつなぐ新しい理解と療育」の中では、30ページから36ページあたりに少し詳しく書いています。
それ以外では、右のサイドバーの下のほうで紹介している「心を生み出す脳のシステム」や、「脳のなかの幽霊」「考える脳 考えるコンピューター」「脳 回路網のなかの精神」などが、最近の脳科学を概観するには良い本だと思います。(下記のブックレビューページを参照ください。)
http://soramame-shiki.seesaa.net/article/13520995.html
繰り返しになりますが、私は感覚統合法の「実践」は有効である可能性が高い、と考えています。そして、その理論面については、不用意に脳の特定部位について言及することで脳神経学的な不整合の落とし穴にはまるのではなく、シンプルに環境との相互作用のための「からだ」づくりという観点から(ある意味、「文系的に」)再構成すべきではないかと考えています。
まあ、ガストの味はエビデンスとして出せるけど、三ツ星レストランは名人芸だよね。
エビデンス批判されるわりには、人気が高さが衰えることがないのは、なんでなんでしょうね?
コメントありがとうございます。
感覚統合に対する私のスタンスは、このエントリや過去のコメントにあるとおりです。
実践としては、関わり方が分からないような重いお子さんとうまく関わる方法として、意味はあるんじゃないかと感じています。
ふだん、どうしてもうまく関われない子どもと、感覚統合の時間は何となくうまく関われる(少なくとも気分になる)、それこそが、重い自閉症の子どもの親御さんから感覚統合が支持される最大の理由なんじゃないかと思います。
ただ、エビデンスは弱いですね。
そういわれ続けてずいぶん長い期間がたっていますが、それでも十分に出てこないところをみると、感覚統合には永続的かつ特異的な効果は本当はないのかもしれない、とも思います。
そらパパさんのブログは大好きというか、その研究マインドを尊敬します。
作業療法の最新版の理論が「人間作業モデル」とい理論です。作業療法理論の集大成と言っても過言ではないと思います。もちろん、感覚統合理論も組み込まれています。高齢者領域では、アメリカで最高のエビデンスが確立されています。日本でもエビデンスが揃いつつあります。小児の領域ではまだまだこれからです。そらパパさんの卓越した文献収集能力で一度目を通して頂ければ幸いです。ただ、障害者/正常者や障害児/定形発達という視点ではなく、作業機能状態/作業遂行障害という視点になります。
ただ、臨床家の私としましては、感覚統合療法室にいても、作業療法士として子どもと向き合っていますので、感覚統合理論も人間作業モデルもABAも根本的には同じです。全部どれも必要です。
例えば、感覚統合で言う、ジャストライトチャレンジとは、ボバースで言うハンズオン‐ハンズオフという手技であったり、ABAで言う逆連鎖であったりしますが、こどもと真剣勝負でやりとりしている僕にとっては、理論はなんでもいいんです。結果さえでれば。子子供の反応に合わせて、より解釈しやすいものを使います。主訴を解決するためには、手段や理論はどれでも、どうよんでもいいし、何でも使います。さらに、うちでは、足底板挿入法という整形の手技さえ使います。少なくとも扁平は確実に改善するし、その結果として、姿勢保持能力や眼球運動も変化すると感じています。(いちいち、データ取って論文書いている時間もないですが、、、)機能的改善(足関節の角度の変化)が得られても、学校や生活レベルでの調整や補足プログラム(無理の無い範囲で)を提供しなければ、効果が汎化しません。エビデンスと介入と知恵とホームプログラムと連携を含めた環境調整等をフル稼働してリンクしてコネクトして、さらにそれをアフターフォローしていかなければ、建前ではなく、本音レベルでの効果はモノに出来ない気がします。それほど難しい、ひとくくりに出来ないのが「自閉症」というものではないかと。
リハビリの世界で最高のエビデンスが出るのは物理療法です。ホットパックや牽引機であったり。こうなると、整形であれ、中枢神経疾患であれ、小児であれ、もうセラピストは病院に不要ですね。
ただし、ヒト相手ということは、いずれにせよブラックボックスが7割、グレーゾーン2割、エビデンスが確立されていることが1割じゃないでしょうか。と僕は、臨床の中で感じていることです。
エビデンスも、上述のように、機能レベルなのか、能力レベルなのか、参加レベルなのか?さらに、一つ効果がどれだけ枝葉を出しているのか?スプリンター効果にとどまっているのかいないのか?より深く深く読み解いていかないとだめですね。
コメントが自分に対しての戒めのようになってしまいましたが、臨床研究がんばりますね。だから、もっともっと作業療法士を叩いてください。火をつけてください。
再度のコメントありがとうございます。
作業療法その他の専門的な技法や用語については、私は素人ですので全然分かりません(^^;)が、実践の場、まさにその場において、EBMにとらわれないさまざまな試行錯誤や「職人技」が存在することやその意義については理解しているつもりです。
私自身も、子どもと実際に療育をしたりなにか問題を解決しようとしているその場では、あらゆる試行錯誤をしています。
ただ、一歩下がって、こうやってブログなどで特定の療法について議論するときは、当然に、エビデンスや特異的効果の有無、そこで考えられている理論(仮説)の妥当性等について考えていかなければならないだろうと思っています。
作業療法、という枠組みや、自閉症以外への何らかの技法の適用について、エビデンスがどの程度あるかは不勉強のため存じ上げていません。
一方、「自閉症への」「感覚統合療法」に限定して言うならば、有効性のエビデンスについてはいまだ十分なものがないという認識でいますし、療法の背後にある理論(仮説)は古くさい大昔の脳科学に基づいた妥当性の低いものだと感じています。
このあたりについては、以前Twitterで議論した http://togetter.com/li/84129 こともありますし、以下のような記事・資料も参照しています。
http://d.hatena.ne.jp/bem21st/20100419/p1
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006152012
http://www.tsumiki.org/11b.html