次に、「療育などの働きかけによって、何をどこまで伸ばすことができるのか?」という問題について考えます。
視覚や聴覚、記憶や学習のための基本ネットワーク構造といった脳の最も基本的な構造は、恐らく胎児の頃から生後2年程度で急速に発達・固定し、その後は変化する力(可塑性)を失っていくと考えられます。このような時期を「臨界期」と呼びます。脳をコンピュータに例えるとすれば、この臨界期までに作られるのは、「ハードウェアとしての脳」だと言っていいでしょう。
そして、自閉症というのは、恐らくこの臨界期までに構築される脳の基本構造の障害から生じるものだと考えられますので、そういう意味ではやはり「一生続く障害」であると言え、働きかけによって「完治」するものではないと考えられます。
その一方で、そのような基本構造以外の脳の要素、例えば環境から学習することや、さまざまなスキルを身に付けることのような広い意味での学習・社会適応能力は乳児期を過ぎても続き、むしろたくさんの経験を積むことによって一生発達を続けていきます。同じようにコンピュータに例えるとすれば、これらは「ソフトウェアとしての脳」の側面を表していると言えるでしょう。
こちらの能力についていえば、いくつになってもトレーニングによって発達・適応度の向上を図ることができます。それは自閉症児であっても例外ではありません。
したがって、自閉症児への療育とは、「働きかけによる改善の難しい、臨界期を過ぎた障害(ハードウェアの障害=器質的障害)を踏まえ、それを前提として配慮しつつ、働きかけが効果を持つ困難(ソフトウェアの障害=社会適応上の障害)の改善に焦点を当てること」であると言えます。
つまり、こういうことです。
自閉症児の脳をコンピュータに例えるとすれば、ハードウェアとしてある種の「故障」を抱えている状態だと言えます。そのために環境から適切に学習することが阻害され、「環境とうまくかかわれない」という困難が生じています。そして、この「故障」を直すという働きかけは、残念ながら難しいのです。
でも、その「故障」がどのようなものであるかを理解し、その「故障」による困難をうまく乗り越えられるような、適切かつ特別な配慮をもった働きかけを行なうことができれば、環境に適応するためのさまざまなスキルを「ソフトウェアとして」学習することは十分に可能です。
加えて、自閉症児が持っている「強み」を療育に活かすこともぜひ考えたいものです。
自閉症児は例外の多い複雑なルールを学習することや、広い視野でものごとを捉えることに著しい困難を示しますが、逆に、自分が関心を持ったことに対しては驚くほどの集中力で根気のいる作業でも最後までやりぬく可能性を持っています。自閉症児に「趣味」を持たせたり、将来の就労能力を高めるためには、このような領域を伸ばしていくことに大きな意味があります。
また、知能の高い自閉症児の場合、「個別の細かい事象を記憶する能力」が優れていることがしばしばあります。ですから、例えば10通りの例外を持つ1つのルールを覚えることはできなくても、発想を転換して、10種類のルールを別々に覚えることで、結果的に同じことを学習できる場合があります。
自閉症というのは、知的能力の全面的な遅れではなく、偏りのある遅れ、できることとできないこととの間に著しい開きができることを最大の特徴とします。これは言い換えると、どんな自閉症児にも、その知的発達の平均レベルを上回るような「強み」があることを意味します。
自閉症児それぞれが持っている、このような「強み」を理解し、療育に反映させることで、ただ遅れを取り戻すという視点を超えた、より付加価値の高い療育を行なうことができるはずです。
脳の器質的障害による学習・認知面での困難があるというとを理解して受け入れたうえで、その困難ができるだけ学習の邪魔をしないようにうまく働きかけることで社会的・認知的スキルアップを目指していくこと、さらには、子どもが持っている「強み」を発見して伸ばしていくこと、これこそが「自閉症児の療育」だと言えるでしょう。
ここにも、自閉症児の療育には、ただ「(量的に)遅れている」と考えるのではない、特別な配慮が必要だということが示されています。
そして、療育の目標とは、自閉症児が、自分が持つ障害と共存しつつ一生を幸せに過ごせるよう、具体的なスキルを身に付けさせていくことにあるということが理解できると思います。
いよいよ次回以降は、実際の療育法として、どんなものがあり、何を選ぶべきなのかについて考えていきたいと思います。
(次回に続きます。)